1自立というもの
ーーマリンフォードにいる女は必ず一度は海兵に恋をする。
巷で噂されるくらい、海へ戦いに行く男は庶民の憧れでもあり、海賊を倒すヒーローとして持て囃される事は日常茶飯事だった。その一方で、人の見方によっては殉職者の多い海兵との結婚を敬遠する動きもある。
殉職者が顕著であったマリンフォード頂上戦争によるうねりは、海賊達へ大海賊時代の激化の一途を辿るだけでなく、身内である海兵達も平和だった日常が大きく動いた大惨事であった。
1年前。私の夫も、その頂上戦争直前の荒れた波乱の中、呆気なく海に散っていった。大佐まで登り詰めたものの、36歳だった。お見合い結婚して1年も足らず、子どもも出来ずに彼は深い海の底へ沈んでいってしまった。
喪失感に項垂れ、何もかも自暴自棄になって荒れ果てる私の生活を見てとったのだろう。死後1週間をして、夫の育て親である義父が一人でいるのはよくないとご実家に引き取って下さったのだ。
お義父様はただの親切心や同情心で、義息子を喪った哀しみもあろうに、義娘である私を大層気にかけて下さっただけだと言うのに。
ーーそれなのに不謹慎な私は、また二度目の恋に耽る。
「(お義……父様、だめっ……)」
決して知られてはいけない自分の慰めを、夜な夜な耽る密かな愉しみ。死んだ夫への罪悪感と背徳感で一杯になりながら、3ヶ月前ほどから気づいた恋心に従って自分を慰める手が止められなかった。脳裏に浮かぶは、夫ではない愛しい人。
「(っ……何してるんだろ……私)」
死んだ夫の、夫も血が繋がっていない育て親、しかも20も歳の離れた海兵。
私はまた、海兵に恋をしている。儚く散った海兵の夫に懲りずに、また。しかしこの人は、呆気なく海へ散った夫とは違い、頂上戦争でも世界最強の海賊の頭半分を割り、海賊王の子を殺し、戦争後には海軍大将だった同僚に決闘して勝利するほどの猛者だった。
勿論、この想いは夫が亡くなってからだった。いや、むしろ夫が亡くなったからこその不器用な励ましだったり、辿々しい慰めや優しさに気付けたのかもしれない。生前は一度だけ結婚のご挨拶でお会いしたものの、何処か近寄りがたいお義父様としか思わなかったから。
膨らみ続けるこの想いを隠し続けるは、良くか悪くか。この叶わぬ恋を良い機会に、私は新たな人生を歩もうと動き始めていた。
□□□□□
「仕事を始める?何故今更」
「いつまでもお義父様に養って頂く訳にはいきませんもの。立ち直るのに長く時間がかかって申し訳ありませんけれど、やっと新しい職も見つけましたから……」
夫が殉職してから1年。お義父様は立場ゆえ喪失感にうちひしがれる間もなく軍務のいざこざもあり、専業主婦の私は夫が亡くなってからお義父様から生活費を有り難く頂きながら身の回りのお世話をしていた。が、流石に血の繋がりもない義息子の嫁がこれ以上居候するのも心苦しく、数ヵ月前からこの家からの自立は内々に考えてきた事であった。
お義父様としては元帥に昇進されてかなり多忙らしく、家の事をしてくれて有り難いと仰るけれど……。
今までの生活費も少しずつ返さなければなりませんと言うと、お義父様は少し眉を潜めて訝しげにして、快く了承して頂ける様子はなかった。
「金なら心配せんでええ、わしが面倒見ちゃる。というより、こっちも仕事が多忙じゃけェ、家の事してもろうて助かっとるんじゃ。……もう少し考え直さんか?」
「……」
確かに。家事に価値を見出だすならこれほどwin-winな関係はないだろうが、私は貴方をただのお義父様として見ている訳ではない。
もし、この想いを気付きでもされたりしたら。不正義や不倫理とは無縁のお義父様が、何と言われるか考えるだけでも末恐ろしく。
一方で私が金銭的に自立しようとする動きは、お義父様にとっては私が当に考えもしなかった懸念材料にもなり得たらしい。
「それとも何かィ」
「?……」
「1年そこらでもう男が出来たか」
「っ!……そんな事、ありません……!」
ーーずくり。
一瞬、夫への罪悪感が突き刺さった。図星だったからだ。好きになってしまった人が例え夫の義父であろうと、夫以外に懇意がある男性がいる事には変わりないのだから。まだ1年、たったの1年しか経っていない。お義父様にとっては、それほど短い時間なのだと思い知らされる。
私の答えに少しは安心したのか、お義父様は再びお気に入りの盆栽を剪定し始めた。
「……ほうか。で、どこで勤めるんじゃ」
「マリンフォード郵便局です。15時までの時短勤務ですが事務職として採用して頂いていますから、家事もしっかりこなしますし」
「……。家の事を優先するならええ、出来んのならさっさと辞めて貰うけェの」
「はい、ありがとうございます。」
渋々の了承ではあったけれど、何とか働く事は許して頂いた。少しずつではあるけど、仕事も順調にいけばきっとこの家からも出ていける。そうすれば、貴方への想いもいつか……。
□□□□□
とはいえ、私が想定していたよりも想像以上に社会は手厳しかった。まさに恋心を忘れる為に就職したような不謹慎な私にとって、この世界の痛いほどの厳しさを目の当たりにしたようだった。仕事の為に命を落とした夫を思えば、まさに蚊に刺された程度のきつさかもしれない。すると、夫に大変申し訳なくなって、仕事と家事に目まぐるしく働けばあのような不埒な想いも少しは薄れていったような気はする。
結局、15時までの勤務時間が夕方18時過ぎても帰れなかった事などざらにあった。
「こんなに疲れるんだ……お仕事」
『時短勤務であろうとしなければならない仕事終えてから帰ってくれる?ここにはお子さんがいても正社員でばりばり働いてる人だっているし、未亡人はマリンフォードじゃ珍しくないんだから』
ーー正論だ。
世の中には子どもを抱えながらも1人で仕事しながら子育てに励む母親もいる。マリンフォードでは海兵が殉職した私のような未亡人は少なくない。その人達は明日を生きる為に夫の死を嘆く暇もなく、必死に働いてるんだと。
甘かった。
私はなんて世間知らずで、馬鹿だったんだと。
いつの間にか、疲れ果ててリビングで寝入ってしまったらしい。早く夕飯作らなきゃと戒める自分の意識が既に向こうにいってしまったから。
「ベル」
「……」
「おい」
久し振りに聞こえた声は、そんなくだらない私を心配してくれるような心地よいものだった。
□□□□□
「あ…………」
「起きたか」
数時間、といったところか。ここは、お義父様のお部屋?
目を開けてお義父様の声が聞こえた瞬間、はっと飛び起きてしまった。
「!……ごめんなさい!私すっかり寝ちゃって!今からお夕飯」
物凄い私の飛び起きに驚かれたのか、あの堅固なお義父様すら晩酌中の縁側から少し目を丸くされていた。が、それも束の間、私が寝ていた布団の横にあるものに指をさすとまた盃をくいっと傾けたのだった。
「飯は出来とる。喰え」
「え!……これ、お義父様が?いいんですか?頂いても」
「おう。わしは喰うたけェ」
布団の横にあったお盆には、まさかあのお義父様が御作りになられたとは思えない程の、素敵な和食がそこにあった。白米に茄子の味噌汁、だし巻き玉子に鯖の塩焼き、ほうれん草のお浸しに漬物。一から作られたものもあるし、冷蔵庫の残りを上手く分けて作られたのであろう。素直に凄いと思ったし、単純に空腹だったから遠慮せずに頂く事にした。
「おいしい……お義父様、お料理お上手なんですね」
「独り身が長いけェのォ。じゃが、まだ15にも満たん義息子(せがれ)を引き取ったら、意外にもあやつのほうがメシは旨かった」
「……」
今晩はお酒の力もあるのかな。
あまり家族やご自分の事を話さないお義父様が
、少し饒舌に話す話は珍しかった。義息子として心底可愛がったであろう夫が亡くなった時も、泣き崩れもせずにただじっと墓を見つめる姿は何処か冷酷さを感じたほど。
最初、お義父様は海兵なら殉職も当然だと思ってらっしゃったのかと私は少し戦慄を覚えたのだけれど、同じ時を過ごすにつれて決してそうではない事が何となく分かった気がしたの。
普段、表に出ないだけなの。そんな気がするの。
「今のお前を見とると、義息子を拾ってきた時によう似ちょるわ」
「え?」
「血が繋がらんばかりに遠慮して、喰うもん貰うたら他から盗んででもわしに返しに来よったわ。当然、拳骨は免れんかったがのォ……」
「……そんな事があったんですか」
「働かざるもの喰うべからず、とはよう言うたもんじゃ……ガキにはまだ早い話じゃろうて」
夫の昔話も初めて聞いた。それに、夫と私が似てると言われて込み上げてくるものを必死に抑えて、私は今こそ腹を割って話すべきだと思った。貴方への想いは伏せるけれども。
「あの、私……!」
「?……」
「お義父様の重荷になりたくないんです。それに、私、今回仕事に出て自分が甘かったと痛感したんです。今、自分が食べていけるのってお義父様のお陰なんだって」
そこまで言い切ると、以前仕事するとお話した時のように少し不機嫌になったように眉間に皺を寄せたお義父様が、むつりと言葉を紡いだ。どうしてそんな事言うんだと言いたげに。
「言うたじゃろう?別に金は心配せんでええ。いくら働かざるものと言えど、人には役割がある。……わしの役に立ちたい思うちょるんなら、それこそ今の腰掛仕事を辞めて貰いたいわ」
「っ……」
棘のある最後の言葉は、この間の約束を破った罰だった。そしてそれがきっとお義父様の本音。
『……。家の事を優先するならええ、出来んのならさっさと辞めて貰うけェの』
つまり二度はないぞと。そう仰有りたいのであろう。
すっかり萎縮して「はい」と返事をすると、お義父様は晩酌の盆を持ってこの部屋から立ち去ろうとした。
「ここは今晩使え。わしは向こうの部屋で寝る」
「……ええ。お休みなさい」
お義父様の部屋で一晩を過ごしていいと仰有るから、ひょっとして……だなんて一瞬でも不埒な考えに至った自分が恥ずかしかった。
浅はかな考えを振り払おうとお義父様が作って下さった素敵な和食をすべて平らげると、何もかも忘れるように眠りについた。明日から仕事にメリハリつけて、ちゃんと家事もしないと。枕をしっかり頭につけると、すん、と私の好きな匂いがする。
「……」
今気づいた。この布団さえ、そう言えばお義父様のだったんだわ。
自立というもの。
(どきどきして、眠れない。)
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