献盃


2思い切って





お義父様の匂いに包まれた蒲団で寝てしまったあの日から、お義父様が仕事でいない時にこそりとその蒲団で何度か慰みに耽っていた。人の想いは、早々簡単に軽くなる訳がない。

「っ……」

「おと、う……様っ……」

「(好きっ……好きっ……)」

どうせ叶わないと知ると、余計に切なくなって求めてしまうのが恋なのだろうか。だからといって、何て破廉恥で淫らな事をしているのかも自分でも分からない。けれど、お義父様の蒲団で寝ると、まるごと抱き締めて貰えているような感覚がするからか。きっと見つかったらもう、それこそこの家に居続けられないでしょう。
でも大丈夫。お義父様がこの時間にまず帰ってくる事はない。

「(あぁ、だめ……こんな淫らな女だってバレたらそれこそ幻滅されちゃう……でも)」

慰める気持ち良い手が止まらない。
これがもしお義父様なら、もっと太くて長い指が入るだろうと今朝の茶碗を持つ手を思い出す。私がそんなふしだらな事考えてたなんて、夢にも思っていないでしょうね。

「(っあ……お……とう……様……すきぃっ)」

そう大声で叫べたらいいのに。
盛大に意識を放して放心すると、それまでの燃え盛るような欲もすっかり落ち着いて、先程とは打って変わって深刻な自己嫌悪モードに浸る。

人の蒲団で何やってるんだ、と。

「(……はぁ。)」


ダメだ。
私ほんとに、何やってるの。


□□□□□


それからしばらく経った。
職場のお局様や上司の小言にも負けず、仕事もきっちり15時に終わらせるよう効率的に励んだし、家事もあれから滞りなく徹底した事でお義父様からも苦い顔をされずに済んでいた。
仕事の要領を覚えれば早いもので、この生活にも段々慣れてきた頃だし、次は正社員としてフルで働ければなと思っていた頃だった。

慣れてくればその分、人間関係の付き合い、なきにしもあらずで私の素性を知りたがっている人も出てきた。だけど入社当初から私は亡き夫の義父と住んでいる事やその義父が海軍のトップである事は徹底的に伏せておいていた。言い触らす事でもないし、中には苛烈な思想をお持ちのお義父様をよく思わない一般人がいたらと思うと気がかりでもあったから。
しかし、何処からそれが漏れたのか。帰り際に上司に個人的に呼び出されると、少し話をしてくれないかと知り合いの名前を出された。

「え?」

「あぁ、いや。無理にとは言わなんだよ。ただ、お義父上があのサカズキ元帥殿ならお耳にぐらい……とね」

上司にとってはこの職場のお得意先の息子さんが海兵さんで、腕も立つしいい歳だと言うのになかなか大佐に上がれないと嘆いていたそうだ。

海軍の階級はほぼ実力主義と聞く。だからお義父様も元帥という地位を同僚と決闘までして争ったらしいし、実力がなければそれまでの世界なのだと夫も生前から言っていたのだから本当なのだろう。
明らかに手蔓であるのは見え見えだし、第一不正義とは全く無縁でむしろ嫌うあのお義父様が、それを許すはずがないという考えには至らないのだろうか。
上司のこんな時だけ何とか頼むとすがるような目付きが不快で、何とかかわして帰ろうとしたのだが。

「すみませんが私、海兵さんのお仕事のことはさっぱりでして……」

「あぁ、わかってるよ?勿論。だから無理に、とは言ってない」

無理にではないと聞いてホッとしたのだが、次の瞬間上司の顔が厭に曇って何かを企む目付きをしたのを私は見逃さなかった。

「ただ」

「?……」

「君も旦那さんが亡くなって、いつまでもお義父上に頼る訳にもいかんだろう?このご時世適齢期の女性の就職先も困難だ。君の時短勤務も、育休中の社員が復帰したら……わかるよね?」

つまり、此方の条件を飲まなければ今の仕事がなくなるぞって事?

「……」

冷や水を浴びたように頭の中が冴えきった。ついでに人の醜さを一瞬にして全て見えた気もして、この場にいる全く無力な自分すら嫌になった。
世の中ってそんなもの?地位や権力、力やお金を持っている人間が全てなの?
答えはYESなんだろう。だからこそ、私は上司の人を雇用する権力に振り回されている。

せっかく慣れてきたこの仕事がなくなるのは流石に痛い。また就職先を探して見つかるかどうかも上司が仰有るように分からない。私が……お義父様に少しお話すればいい事なのよね?
正直、それを聞いた時のお義父様の顔を浮かべればいい顔をしないって事だけは素人の私にでも分かった事だが。上司を前にして、断る文句も言葉として紡げなかった。

「は、はい……」

「頼んだよ。一言添えてくれればそれでいいんだ」

ぽんぽんと頭を撫でられて気持ち悪くて逃げるように職場を後にした。悔しくて、今度は何をされるか分からない恐怖心も抱きながら無力な自分を呪いたかった。

いつの日か、お義父様が私に外へ出るなと渋々と言った意味が、分かった気がした。
正義の砦であるこのマリンフォードという島でさえ……。


□□□□□



「ラザロじゃと?」

早速、明日の職を確保したい私は後ろめたさを感じながらもその晩お義父様にお話する事を決めた。丁度お仕事に踏ん切りがついたらしくて、今晩は気持ち良さそうに葉巻を吹かしておられたから。
できるだけお義父様が素面でない時、特に縁側で酒を飲んで寛がれてる時に、どこか不自然さを醸し出さないようにその海兵さんの名前を出すと、お義父様の盃を傾ける手がやはり一瞬止まってしまった。
既に言い出してしまっては仕方がない。ここまで来たら、最後まで世間話を続けなきゃ。
できるだけ笑顔を絶やさずに陽気に話を続ける。

「え、ええ。職場でその噂を聞きまして……凄く、腕の立つ海兵さんだとか」

「……」

「でも、なかなか大佐にあがれないって聞きまして。どんな方か、知りたくて」

あくまで、職場の根も葉もないただの噂話。
お義父様は海兵に対しては厳格すぎるけれども、民間人の噂話や俗っぽい話には幾分か寛容だった気もする。だから、ラザロという海兵さんの事も小耳に挟んで頂ければ私のミッションは果たしたと言う事なんだから。

大丈夫ーー。

と思っていたのけれども。むつりと急に黙ってしまっていたお義父様が、おもむろに盃をお盆に乗せた後、今まで見たこともない凄く怖いお顔で睨まれてしまったの。
思わず生唾を飲んで少し後退れば、地を這い唸るような声で責められてしまった。

「ベル」

「は、はい?」

「誰に吹き込まれた?」

「い、いえ。私はただ噂話をっ……きゃあっ!」

パシンーーー。
普段、お義様が私に手をあげる事など絶対ない。だから余程嘘をついてしらばっくれた事に腹を立てたのだろう。そして私の薄っぺらい企みなんか、既にお見通しだったと言うことだった。

「アホ!素人と思うてどこぞの輩に貴様からわしに吹き込むよう言われたんじゃろうが……!せなけりゃそがぁ落ちこぼれの海兵の名が出るか!」

「え……!?」

落ちこぼれ?
嘘、腕が立つ海兵さんって上司は言ってたのに……!

だがよくよく考えてみると確かに。そんなに腕が立つ海兵さんならマリンフォードに住む私すらその活躍を小耳に挟んでもおかしくないのだ。そうか、そうだったんだ……。落ちこぼれの海兵さんだから私も全く名前すら知らない。
全く上司の話が違う事に唖然としていると、義娘を良いように使われた怒りを隠せぬのだろう。お義父様は啖呵を切って、縁側から離れて電伝虫を取りに行こうとしていた。

「とにかくそんな仕事は今日限りでやめい!全く、碌な事ぁありゃせん……!」

わしが郵便局に文句言うちゃるわ!と受話器を取ったその手を、すかさず止めに入って正解だった。今にも電話番号を探そうとメモ帳を取り出したのだから、本気なのだろう。

「待ってください、お義父様……!」

「離せ。大方わしにラザロの件を吹き込む条件で脅されたんじゃろう……!?お前が脅される様子が目に浮かぶわ」

全て図星だ。あぁ、何でこの人には何もかもお見通しなんだろう。ぐうの音も出ない。

だけれどももし今ここで、職場を辞めてしまったらーーー。
私はずっとこの家にお世話になるだろうし、いつか勘の良いお義父様にこの想いを気づかれでもしたら。義息子を想う余り、ビンタどころできっと済まない。

「でも!それじゃあ私、いつまでも経っても自立なんか……」

「自立?」

初めて聞いたぞと驚かれたよう。当然だ、口に出してちゃんとお義父様に言ったのは今日が初めてだから。
すると、ぴたりと受話器を置いて、ようやっと私と面と向かって目を合わせて下さったのだった。相変わらず、むすっとした不機嫌そうな表情は解けないけれど。

目の前に好意のある人が自分をじっと見るって照れ臭くて、恥ずかしくて、耐えられそうにないんだけど、でも今は、ちゃんと伝えなきゃお義父様も私が何を目指しているのか分からないんだから。
辿々しくも、一言一句、少し震える声で言葉を紡いだ。

「で、ですから私、いつまでもお義父様に養われっぱなしで……この家からも、出れない……ですし」

「……」

「いつかはちゃんと……」

ちゃんと、一人で生きていけるように。
死んだ夫の事を忘れることは決してないだろうし、勿論お義父様には数えきれない恩があるからいつかはお返しするとして。
私が泣きべそ掻いてないでちゃんと前を向いて、夫がいなくたって生きていく。いや、生きていかねばならないの。
お義父様へのくゆる想いはきっと、あの時どん底だった私にとって唯一の救いだったからこその想いだとしたら。

ここで踏ん張って、お義父様に頼らず生きていくことが私にとっての幸せだとしたら。

じっとお義父様の目を見てこの気持ちを訴えていると、お義父様は少し歯を噛み締めつつも徐にその場を立って私に背を向けた。
かなり巨漢である人だけれども、その時だけは何処か言われもない寂しさを感じたのは気のせいか。灰色の着物姿が余計にそれを助長させているのかもしれない。

「せんでええ。……お前はずっと、ここにおりゃええんじゃ」

「?……」

どうしてお義父様は私が自立して家を出ること、反対されるのかしら。
そう言えば仕事を始める話をした時も、いい顔されなかった。単に家事が増えるなら家政婦を雇う経済力もあるだろうし、私を養うぐらいなら其方のほうが幾分か効率的だ。
考えられるとしたら、やっぱり夫に似ているから?

数少ないお義父様との会話から推測するにも、なかなか見当がつかずにいると、痺れを切らしたように勢いよく此方に振り向いたお義父様にびっくりした。

「言わにゃあ分からんか?ほいじゃあこの際、はっきり言うちゃるわ」

何だか、少し様子が変だと悟った頃には遅かった。まさかこれが愛の告白だと気づくには、私にはその手の経験が少なかったかもしれない。
若干頬が紅いのは、単純にお酒のせいだと思っていたから。

「出逢うてから一切お前を義娘として見とらん。死んだ義息子の手前言わんかったがのう……わしはお前を女として見ちょるんじゃ!」

「!……」

ーー嘘。

脳天から足先まで雷に打たれたみたいに、全部の細胞が一気にざわついた。それを上手く理解して処理するまで、どれだけ時間がかかった事か、たった数秒が何時間にも感じた。

ーーつまり、お義父様も同じ気持ちだった?

嬉しくて、私もと言葉を紡ごうとしたのに。こんな時に限って電伝虫からベルが鳴って、部下の方から海賊が何処其処の海域で暴れていると慌てた報告が雰囲気を全て台無しにしてくれる。
お義父様も「間が悪いのう……」と舌打ちしながら半ば強制的に電伝虫を蹴って切ると、捨て台詞のように捲し立てるように言ってその場を後にされた。

「チッ……ここを出ていくんも好きにせい。じゃが、今の仕事は辞めろ。それが条件じゃ。次の仕事見つかるまでは面倒見ちゃる」

「えっ、……あの。待っ」

「仕事じゃあ。行ってくる」


思い切って。
(忘れられない、愛の告白)

- 2 -

*前次#


ページ: