献盃


1理由





毎回この街に帰ってくると自分が嫌でも東京では田舎者の部類なんだと思い出す。駅のホームの明るさや通い慣れたお土産処やドラッグストア、見慣れた大画面に左右に伸びるエスカレーター。やたらキャリーケースを転がす外国人が多い気がするのは、東京でも同じではあるが。新幹線の改札口でも聞き慣れない言語が飛び交う中、母が見送りに来てくれた。

「あんた、最近いい人おらんと?」

「おらんよ。いたら連れて来とるし」

「早よう安心させてよ、今年ぐらいは」

毎年お正月に帰るのが億劫なのは帰り際のちくりが理由。彼氏はいないのか、結婚はまだなのか、実家にいる時は一切聞かない癖に帰り際のこのタイミングで決まって聞いてくる。ずるいと思う。
ひとり親家庭で育ち、高校も大学も人より倍は苦労して資金繰りをして通った私にとってはいまいち“結婚”にいいイメージが持てない。結婚に失敗した母が娘に結婚を薦める……実に無計画な貧乏人の情けない人生だと娘が内心嗤ってるとはこの人は思いもしてないだろうが。

「はぁ」

母と別れ、行き先の電光掲示板に映る“東京”の文字に安心してしまう。飛行機の方が断然速く着くのだが、情けない話で閉所恐怖症があって新幹線でしか東京までの交通手段がない。たまにニュースで流れる海外の飛行機事故や国内線でも飛行機トラブルを目にするたび、たとえ自動車よりも事故に遭遇する確率が低くても怖いものは怖い。新幹線なら大それた事故は今のところないし、だからこそ私は新幹線は安心、安全を信じすぎたのだと思う。

「(ん……?)」

片道5時間はかかるので、最初は適当に本を読んで過ごし、自分のコートをブランケット代わりにしてそのうちうつらうつらと眠気に入ったところだった。新大阪駅から私の真横の席に30〜40代ぐらいのサラリーマン風の男性が座った。相席か、ついてないなとぐらいしか思ってなかったが何故か右太腿に違和感を感じる。何かの勘違いだろうと少し身動ぎして壁に寄りかかるが、それでも右太腿の違和感が消えない。思考も身体も固まってしまう。

「(ちょっと……!)」

職業柄痴漢だの盗撮だの性犯罪案件は腐る程見てきているのだが、実際に被害に遭うのは初めてで。もぞもぞと右太腿で動く気持ち悪い手は右胸に触れる。引っぱ叩きたいのに怖くて、怖くて堪らなくて動けない。何分なのか何秒経ったのか、どうすればいいのかと震えていると、前方の号車扉から乗務員さんらしい人が入ってきた。途端、痴漢の手が引っ込む。
しかし流石に、乗務員さんが此方に気付く訳もなく通りすがって後方のデッキがある扉へ向かっていった。とにかく、決死の思いでその席を立って私も乗務員さんが向かった方向へ追う。今のこの状況で頼れる人は乗務員さんしかいない、後方の扉を開けると思いのほか乗務員さんの足が速かったのか既におらず。代わりに、お正月の帰省ラッシュで指定席が取れなかったのか、デッキで立ち乗りする人が何人かいるだけだった。

「すみません」

「ひっ」

それでも乗務員さんを追わねばと進もうとした時、後ろから呼ばれる。痴漢だった。まさかここまで追いかけられた事実に余計に恐怖が募って足が竦む。

「あ、いや、あの。さっきは偶然当たったって言うか」

何処か申し訳なさそうに言ってくるのに対して「嘘!思いっきり触ったじゃない!」と抗議したいのに、私の口は恐怖ゆえに開いてくれない。しかも周囲の視線がどことなく私達二人に向けられて、恐怖心もさながら羞恥心まで掻き昇ってくる。
恥ずかしい、やめて。話しかけないで。

「誤解しないで欲しいんですけど、車掌さんに言うのだけはちょっと」

車掌さんには言わないで欲しいって事は、心当たりがあるからこそだろう。人の身体を触っておいてよくも厚かましい事言えるなと、もはや許せなくて噛みちぎってやりたいとさえ思った。思えるのに、もう涙しか滲み出なくて情けないこんな自分が辛い。

「何かあったんですかィ」

この痴漢は無視して乗務員さんを探そうと思ったその時、痴漢の背後から此方に声をかけられてまた驚いてしまう。何せその男性は軽く痴漢を見下ろせる程の背丈はありガタイの良いおじさんで、ヤのつく稼業に就いていそうな眼光の鋭い角刈りの風貌の壮年だった。

「いや、あの……の……え」

気付いた痴漢も流石にそのおじさんに圧倒されたらしく、もごもごと口籠り鈍い反応をしている。今なら言えると思った私は、まさに虎の威を借る狐のように指を差してぶっちゃけてやった。

「ち、痴漢です!この人……」

「いいいえ誤解です!ほんと」

「ほう」

明らかに周囲の視線が私達に刺さる。でも強面のおじさんがいてくれるおかげで、不思議と先程までのどうしようもない恐怖感だけはなくなっていた。もういい、絶対この痴漢許さないんだから。

「この人に太腿触られました!車掌さんに言おうとしたら言わないでくれって口止めされて……!」

「いやだから、あれは偶然……」

「誤解と仰るなら一旦駅で降りて署まで来てつかあさいや。あんた何も後ろめたいことないんじゃろ?」

「僕は何もしてません!だから警察行く必要なんか……!」

痴漢が声を荒らげた途端、また周囲がざわめいてヒソヒソと話し声が聞こえる。

「(え、痴漢?)」

「(やばくない?)」

「(ダメでしょ流石に撮ったら)」

「(いやむしろ撮った方が逃げられないでしょ)」

周囲のおばさんやら若い女性やら何人かがスマホを痴漢に向けていた。写真に映るのは嫌過ぎると思って下がると、強面のおじさんが隠すように私の前に立ってくれて安心した。
丁度そのまた後ろから、先程私が追いかけていた乗務員さんが気づいてくれたのか、声をかけてくれた。

「どうされました?」

「次の駅で降りた方が賢明じゃと思いますが、のう?ひとまず車掌さんに話しましょう」

「……」



□□□□□



その後、名古屋駅で痴漢と共に降り近くの警察署まで連行してもらい署内で逮捕してもらった。30代後半会社員で妻子持ち、単身赴任中で仕事帰りだったらしい。
恐らく相手は示談交渉に持ちかける事になるだろうが、それでも職場に連絡が行き、前歴がつくだけでもせいせいはする。正月早々災難な目に遭ったが、あの強面のおじさんがいなかったら私は今頃泣きながら東京駅を歩いていただろう。

「本当にありがとうございました……あのままやったら私、丸め込まれて泣き寝入りするところでした」

「気にせんでええです」

途中、名古屋の警察署の職員と話してる声で分かったのだがこの強面のおじさんも警察関係者の方だったらしくて、妙に親しげに話してる理由にも納得がいった。てっきりヤのつく人かと思ったが、真逆の警察関係者でも通用しそうな強面だったなと思う。
お礼を言うと手を小さく振られて、視線も合わせてくれなかった。被害者だからこその気遣いであるのだろう。

でもこの人が声をかけてくれなかったら、今頃私…。

「あの、途中で下車させてしまいましたし、細やかですがどうかお礼をさせてくれませんか?」

「いやァ、本当にええです。あんたも気ィつけて帰って下さい」

ダメかぁ、そりゃそうだよね。警察関係者なら尚更。

人を助けるのが仕事である警察がいちいちお礼を貰っていては仕事にならない。きっと強面のおじさんにとっては日常茶飯事の出来事で、大して珍しくも何ともなかったのだろう。検察関係者である私でさえ、痴漢や盗撮等の性犯罪の事件が上がってくるのは日常茶飯事なので気持ちは分からなくはないが、いざ自分が被害に遭うとまた違う立場で犯罪というものが恐ろしくて理不尽なものだと認識させられてしまった。
おじさんの言う通り、警察署を後にして取り敢えずは駅構内のカフェに入った。東京に帰るにはまた新幹線に乗らなければならない。明日から仕事始めだから今日中には絶対帰らないといけないのだが、気分的にもすぐには新幹線に乗れる気がしない。色々と取り調べで疲れてしまったし、暫く休憩してから帰るかとメニュー表を取った。


□□□□□


どんよりとした気持ちで何とか新幹線の切符を買う。博多駅で乗車した時は口煩い母親から逃れて気分は晴れやかだったのに、東京に帰ると言うのに未だにモヤモヤとした気持ちが残る。あれは私があの席に座ったから悪かったのかとか、強面のおじさんいなかったらあの痴漢は逃げ隠れてたかもしれないとか。ありもしない“もし”を考えてしまって、また落ち込む。非日常が起こると頭の中が混乱してしまって、また余計な事を考えてしまうのは私だけなのだろうか。

自販機で飲み物を買って、ガラス張りの待合室に入るとふと視界に映った人物が気になった。待合室の外にあるベンチに座りスマホをいじる、つい先程見たことある角刈りの男性。

いた……!あの強面のおじさん。

ーーまさかこんな偶然があるなんて。
考えるより先に私はバックの中からペン、財布の中からいらない抽選券を取り出す。抽選券の裏に文字を書き、足早に強面のおじさんの近くまで近付いた。

「あの」

「ん?」

急に声をかけられたからか流石におじさんも驚いたようだ。一目私を見ると少し目を見開き、「あんたは…」と一言溢し、思い出してくれたみたい。

「私、東京まで乗るつもりだったんですがもしかして貴方もですか?」

「?……はぁ」

「これ私のLimeのIDです。良かったら今度今日のお礼にお食事でも奢らせて下さい。あ、迷惑やったら捨てちゃって全然構わないんで…!」

半ば強引にその抽選券を渡したが、こうでもしないと強面のおじさんもお礼を受け取ってくれないだろう。もし本当に嫌だったら、全然無視してくれればいいこと。とはいえ返事まで聞くのはちょっと怖くて、私はその場を足早に去った。自分が乗るはずの号車から遠い乗り場まで来てしまったけど、後悔はない。

「(お名前、何て言うのかな)」




理由。
(私を助けてくれた人)

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