21-唸り声
「んぐ」
やけに息苦しくて目が覚めた。
顔を後ろに下げてぷは、と息を吸えばすぐに原因が分かった。定春君の毛並みに顔を突っ込んでしまっていたらしい。
「なんだ、君も昼寝してたの?」
とはいえ、もうすっかり陽が落ちているようで部屋の中は薄暗かった。昼寝と言うには語弊があるかもしれない。
定春君は私が横たわっていた布団のすぐ隣に寝そべっていたようだ。
やっぱり私って寝相が悪い。近くに何かあると、無意識に抱きついてしまう。
寝起き特有の気怠さに俯きながらぼんやりしていると、定春君がむくりと顔を上げた。ふわぁと欠伸をして、きょろきょろと忙しなく辺りの匂いを嗅ぎ始める。
「どうしたの?」
遂には立ち上がって部屋の中をうろうろと彷徨いだしてしまう。こんな落ち着かない様子は珍しかった。
「神楽ちゃんたちがいなくて寂しいの?」
襖を開けば、定春君はすぐさま居間へと足を踏み入れた。相変わらず何かを探すように歩き回っている定春君を見ながら私も欠伸をする。
不安なのは私だって同じだけど。でも、三人とも具合が悪いんだから仕方ないよ。定春君の気を逸らすべく、私はドッグフードの袋と皿を取りに行った。
「……あれ、なんだろ」
何か紙のような物が玄関の戸に挟み込まれていた。誰かが郵便配達にでも来ていたのかもしれない。私は指先で鍵を開けると、玄関の扉をスライドさせた。
「あ」
伸ばした手は間に合わず、不在票らしき紙切れがはらはらと敷居の上に落ちる。拾い上げたそれをぱたぱたと振って埃をはらっていると、斜め向かいの建物と建物との間に人影らしきものが見えた。
何だか既視感を感じて、その人影をじっと見つめる。視線の先の人物が、被っていた何かを下ろして此方を見上げた。
「……あ」
十八禁お兄さんじゃないか。何だか久しぶりだ。
あの後は、何か恩返しできる事はないかと思いつつも、特にいい案も浮かばず。結果、こうして約一ヶ月ぶりの再会となった訳だけど。
しかし、なんで今こっち見たんだ。そんなに視線痛かった?……あ、こっちに来た。
よく見ると「何か」は編み笠で、それを被り直しながら確かに此方へ向かって歩いてきている。
「こんちは」
あ、もう日が暮れてたんだった。リテイク要求していい?
お兄さんが万事屋の階段を上がりながら薄く笑う。
「……よォ。灯りが点いてねェから、誰もいねえのかと思ったぜ」
「ああ、今まで昼寝してたんで……点けようとは思ってたんですけど」
こめかみを軽く掻きながら笑った。どんだけ長い昼寝だと思われてそうだ。
違うんだ、昨日眠れなかったから……分かってくれ。無理か。
「って事ァ、もしかしてお前さん一人かい」
「え?ええ、まあ……いた、痛い」
ぐいぐいと肩を押して万事屋の中へ押し込まれる。
いや、誰の家だと思ってるんだ。坂田さんの家だぞ。最近あんまり家賃払ってないみたいだけど。
「邪魔していいかい」
「もう入ってるじゃないですか。……あ、そういや初めてですね、こういうの」
今までは、断固やんわり拒否してきた。どっちだよ。
だって人の家だし、坂田さんとあんまり仲よくないなんて言うし。
でも今は、坂田さんどころか神楽ちゃんも新八君もいない。
……駄目だと言っても、華麗にスルーされそうだし。……いいか、もう。
*****
足を組んでソファに座っているお兄さんは、すっかり寛いでいるように見える。もし坂田さんがいたら、こうはいかなかったのだろうか。
しかしあんまり仲がよくないって、つまりどんな関係なんだ。具体的にお願いします。
「お兄さん」
お茶の入った湯呑みを机に置いて、もう一つあるソファに腰を下ろした。
お兄さんの隣に「いいかしら、社長さん……」と座るべきだろうかと思ったが、やめておいた。ここキャバクラ違う。
「なんだ」
「坂田さんと……仲が悪いって、どのぐらい?どうして仲悪いんですか?」
「……気になるかい」
「……うーん……そりゃ……家に上げちゃいましたし……」
家に上がりこまれちゃいましたし。何もありませんでしたよという顔をするのも気が咎める。
旦那が留守の間に他の男を家に入れて自主規制……という訳ではないけども、それでも。
「言わなくていいさ」
「……んー」
お兄さんが目を瞑ってず、と熱いお茶を啜った。
お酒の方が喜びそうだけど、そんなお金はない。だって仕事がない。だって履歴書もとい履歴がない。僕の履歴だけがない世界。
「俺はなにも悪い事ァしてねえだろ。何か盗んでく訳じゃねェ。物壊した訳でもねえ」
「……んんん」
言うべき3対言わないべき7に心境が変化しだした。いかん。容易く流されそうだ。
「……坂田さんに嫌われたら、私、居場所なくなっちゃうんですよ」
「俺がもらってやるよ」
「小動物じゃないんですから。誰かに返してきなさいって言われるんじゃないんですか」
「……くく、言われねェさ」
ああ、何か偉い人なんだったね。……いいね、居場所があって。きっと、この人が自力で作った、確固たる居場所なんだろうね。
ちょっと足元が見えなくなったような、不安な心地になって膝を抱えていると、ぐるると唸り声が聞こえた。あ、お兄さんのインパクトで軽く忘れていた。
「でけェ犬だなァ」
唸られて気分を害するでもなく、お兄さんは目を細めてどこか楽しそうに笑っていた。
え、感想それだけなの?私なんて、定春君を初めて見た時は遠近法マジックかな?と四度見はしたのに。
「どしたの」
私はソファから立ち上がると、定春君が身を隠している(隠せていないけど)坂田さんの机の陰に近寄った。唸り声が小さくなる。
ぽんぽんと頭を叩いたり撫でたりしていると、定春君はやっと落ち着いたようで唸るのを止めて目を瞑った。
「人見知りだったの?定春君」
「……中々賢い犬ころだな」
「え?」
「いや」
声が小さすぎてよく聞こえなかった。もう一回言って。
そう視線で訴えても、お兄さんは薄く笑ってみせるだけで、一向に口を開こうとしなかった。……ケチ。
「お兄さん、好きな食べ物は?」
「作ってくれんのかい」
「はい」
頑張る。
……とは言え、すごく難解な注文されたらどうしよう。それ何処の国の言葉?みたいなの作れって言われたらどうしよう。まず修業期間に入ります。待てるか。
「気持ちはありがてェんだが、銀時が帰ってくる頃にゃ暇させてもらうぜ」
「ああ、なら心配いらないです。……直ぐには帰ってこないと思いますから」
ちゃんと風邪が治ってから帰ってきてくれないと困る。山道歩いてる時にぶり返しでもしたら大変だ。
……とは思うものの、寂しさからしょぼくれた声が漏れた。
「そうかい。……そうさな、好きなもんは……鯛の刺身かねえ」
「……んー」
刺身……あんまりお腹膨れなさそう。というか、上手く捌けるかな。煮物に入れるやつより丁寧に扱わないといけない気がする。
「魚は煮物とかに入れる為に捌いた事しかないです……そうだ、お店の人に頼めばいいのかな」
「煮物で構わねえよ」
「……そうですか?」
「あァ」
なんかごめんなさい。料理の達人とかじゃなくて。
もう一度定春君の頭を撫でてから、私は財布を取りに行った。玄関へと向かう前に、くるりとお兄さんの方を振り返る。
「お留守番お願いしますね」
「……いいのかい、そんな信用して」
「だって、何も悪い事しないって言いました」
「……そりゃそうだがな」
え、やっぱり嘘だったの?なんか不安になってきたよ。せっかく信じてみたい気分になっていたのに。
音もなくすっと立ち上がったお兄さんが、羽織りと編み笠を拾い上げた。
「どうしたんですか」
「今は夜だろ。お前さんにゃ本当、危機感ってもんが無えなァ」
「……んん」
ついて来てくれるらしい。
ごめんなさい、面倒かけて。私はお礼がしたかったのに。
……おんぶしてあげようか?十秒で倒れるわ。
20160502
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