20-羊と狼


「……え、一泊?」

眉尻の下がった情けない顔で訊き返す。
坂田さん……風邪気味だったのに大丈夫なのだろうか。
だが引き受けないと生活費がだいじょばないだろう。世知辛いね。

「ここの所、急に冷え込んだでしょう?だから旅館の人手が足りないんですって。明日までいてほしいそうです」
「……そうなの?えーと……私は?」
「山奥だから置いてくって、銀さんが……」
「…………」
「ぎ、銀さん。やっぱり雪さんにも来てもらいましょうよ」
「駄目に決まってんだろーが。熊とか出たらどうすんだ。温泉が混浴だったらどうすんだ」
「どーもしねーだろ!熊なんてそうそう出ないでしょうが。一泊とはいえ、一人残されたんじゃ寂しいですよ」
「何言ってんだ、ガキじゃあるめーし」

また口を開きかけた新八君の着物を引っ張り、首を横に振った。
多分、坂田さんは私の事を心配してくれている。……きっと、当の私よりも。

「おみやげ買ってきてね」
「……はい。勿論買ってきますよ」
「温泉の素買ってきてやるよ。どーせあんなん、天然とか言って粉入れまくってんだろ」
「何つー事言ってんだアンタ!!」

*****

着替えを取りに一旦家へ戻った新八君は、万事屋を出るまでずっと気遣わしげな顔をしていた。
世界中の眼鏡と優しさを集めて作られた天使か。自分で言っといて何だけど何だそれ。

「いいか。知らねェ奴が来ても、絶対玄関の戸開けんじゃねーぞ。寧ろ俺らが帰るまで玄関は完全封鎖しとけ」
「宅配業者の人が泣くよ」
「泣け泣け。誰しも涙の数だけ強くなんだよ」
「うーん……」

どれだけ泣いても、私は強くなんてなれなかったけどな。
まあ、バネがある人は強くなれるって事で。宅配業者さんにバネがある事を祈ろう。

「坂田さんって過保護だね」
「あァ?」
「神楽ちゃんにも、誘拐されるから知らないおっさんに声かけられたら逃げろとか言ってたし」
「……それはアレだ、アレ。えらい目に遭ったら可哀想だろ。誘拐犯が」
「あはは」

坂田さんは最初、神楽ちゃんが万事屋に来た事に対して、脅されて雇う羽目になったんだとぶちぶち文句を言っていた。
だが今となっては、神楽ちゃんが万事屋を出て行く事になったりしたら、傷付くのは神楽ちゃんだけだろうか。……いや、きっと。

「……あ、これツンデレっていうのかな」
「あ?何か言った?」
「ううん」

神楽ちゃんが帰ってきたら、新八君と駅で落ち合ってすぐにでも依頼人の元へ向かうのだろう。……お妙さんの家に泊めてもらおうかな。
いや、やっぱりやめておこう。夜のお勤めがあるかもしれないし。
もしそうなら就寝時間が噛み合わなくて迷惑をかけてしまうかもしれない。そもそも、急に押しかけるのは悪い。
……いや、暗黒物体で息の根を止められたくないとか思ってないよ。……ないよ。

「……怪我、すんなよ」

坂田さんが静かに呟く。
我慢できず猫を助けた日の事が脳裏に浮かんだ。

「……うん。あんまり外にも出ないね」
「あァ。温泉行きてェんなら、混んでねーシーズンに客として連れてってやるからよ」
「うん」


*****


ごろりと寝返りを打って目を瞑る。
自分しかいない真っ暗な和室は、いつもより広く感じられた。
豆電球だけ点けようか。でもそうしたらそうしたで、中々眠れなくなる。神経質か。

万事屋が賑やかになってからはめっきり少なくなっていたのだが、今はまた不安な心地に襲われていた。
原因は分かり切っている。一人暮らしをしていた時の事を思い出してしまうからだ。
今はもう学校に行かなくてもいいのに。
そもそも学校ないからね。学校何処だよ。学校が来い。なんて思ってみても、どきどきといやに早く脈を打つ心臓は中々落ち着いてくれない。
このまま目が覚めなければ。このまま夜が明けなければいいのにと何度思っただろう。今はもう、そんな事を思わなくていいと頭では分かっているのに。
やっぱり、私も坂田さんたちについて行きたかったな。
でも、よく知らない人の所で働いていて何かあったら。この意味不明な体質が誰かに知られでもしたら、きっと迷惑をかけてしまう。

頭の中で羊に柵を飛ばせて数を数えていたら、二十五をいくつか過ぎた辺りで狼が乱入してきて、羊は一匹もいなくなった。どうしてくれるんだ。
何故か柵の前に座り込んで寛ぎだした狼は、私が眠りに落ちるまでこちらをじっと見つめていた。


*****


「あー……風邪気味だったもんねぇ……」

電気線を指でくるくると回して引っ張りながら溜め息を吐いた。
向こうで風呂掃除をしている最中、うっかり三人纏めて湯を抜いていない方へドボンしてしまったらしい。そりゃ悪化する。
しかも二人にも伝染ったらしい。仲いいな君たち。寝込むほど具合悪いのは坂田さんだけらしいけど。

「……うん、分かった。私は大丈夫。……うん、何にもなかったよ。ちゃんと治してから帰ってきてね」

坂田さんはもう、声からして具合が悪そうだった。
寂しいから帰ってきてだなんて、逆立ちしても言えない。早めに通話を終え、静かに息を吐いた。

「……一泊、じゃないのね」

昨日はやはりと言うか、あまり眠れなかった。
まだ陽も昇っていない内に目が覚めてしまい、それからはもうひたすらごろごろと寝返りを打つ機械のようになっていた。
そんな不気味な機械ねーよ。あったとしてもお化け屋敷行き。

「……ふぁ」

昼寝しよう。今から眠れば、きっと目が覚めるのは暗くなってからだ。
そしてもう、夜通しテレビでも見ていようか。……昨日は、無理に眠ろうとしたのが間違いだったかもしれない。

「ねぇ、一緒に昼寝しようよ」

ぽんぽんと定春君の背中を叩いて誘ってみる。
定春君は尻尾を一振りすると、朝にあげた餌の残りの方へ行ってしまった。フラれちゃったよ。
和室で布団に包まって目を瞑る。昨日の夜よりはぐっすり眠れそうだ。


160226


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