01
暗い部屋
食料調達のために山を降りて、再び戻るまで一週間。能動的に何もしていない俺はともかく、修行漬けのカインにとって下山は束の間の休息だった。
そして一週間ぶりに帰ってきた試練の山は……いつも通りにアンデッドの巣窟と化していた。出かける前に根こそぎ倒していったにもかかわらず、だ。
『この増殖力。やっぱりアンデッドは便利だなって改めて思うよ』
「便利というより厄介なだけだろう……」
『そうとも言う。カイン、お疲れだな』
殺しても殺しても延々と甦ってくる。確かに厄介ではあるけどちょっとだけ羨ましくないか? 生死の境を簡単に超越できるんだ。
奴らの強みは他にもあった。野性動物やモンスター、たまに修行のため訪れた人間なんかがこの地で命を落としたら、そいつがまた新たな魔物として甦る。
『倒してもその恨みでまた甦るんだから反則だよな』
「まったくだ。毎日毎日同じことを繰り返していると、時々からくり人形にでもなったような気がしてくる」
『なあ……もう一週間くらい休んだら?』
「そうしたいが、その間にモンスターが倍増するかと思うとおちおち休んでもおれん」
もう日常生活の一部となっているアンデッド退治。さすがのカインにも飽きが来ているようだ。というより、何一つ進歩がないのが堪えるんだろうな。
数年前は魔物を狩り尽くして平穏を保つこともできていたが近年はアンデッドの復活がやけに早く、カインがどんなに頑張っても山から溢れさせないだけで手一杯だった。
そう、アンデッドの数を抑えられはしても減らすことができずにいる。ミシディアの防衛には役立っているが、なんともやり甲斐のない仕事だ。
本気で奴らを根絶したくば、ミシディア長老並みの祈祷に長けた白魔道士が足繁く通って土地の浄化を続けるしかない。
長老は近頃めっきりと老け込んで、この山まで来ることも少なくなっていた。
山の中腹に差し掛かると、目の前で真白い光が瞬いた。目が眩んで立ち止まる。やっぱり疲労が深刻化しているんじゃないだろうか。
時間の感覚がなくて定かでないが、たぶんカインがバロンを出てから十年以上の年月が経過している。その間ずっとアンデッド退治ばかりしているわけだ。
たまにミシディアの奴らと二つ三つ言葉を交わすことはあるものの、主に俺としか会話をしていない。それだってほとんど独り言みたいなもの。
つまり……このままだと、修行以前にカインが心をおかしくしてしまいそうで恐ろしい。
『なあ、今日のところはミシディアに行こう?』
「魔物の数が落ち着けば休めるんだが」
それなら応援を要請すればいい。たまには暇を持て余している魔道士どもだって山の鎮静化に協力すべきだ。そう進言しようとした刹那、何かが聞こえた。
ーーそな……た……。
微かな声。誰かがカインを呼んでいる。
「今のはヤトか?」
『いや、俺じゃない』
周囲に人影は見当たらない。今ミシディアからの登山者はいないはずだ。よほど怖いもの知らずな旅人か、遭難者でも迷い込んだのかもしれないが……。
最も考え得るのは強力な魔物が誕生してしまった、という可能性だな。カインはいつでも対応できるよう槍を構えて警戒しながら進む。
朧に霞む気配を手繰りつつ山を登っていく。声は時折しか聞こえないが、どうやら山頂の辺りから発せられているようだ。
敵意が感じられないところからすると怨霊ではなさそうだ。もしやパラディンの試練を与えるというあの祠だろうか? セシルが光を授かって以来、何者の気配も感じられなかったのに。
山頂の祠に辿り着くとまた声が聞こえた。
ーー苦し……で……ようだ………。
長年の引きこもり生活で鈍ったのか、俺の感覚をもってしても明確には聞き取れない。この声の主はかなり弱っているに違いなかった。
ーーかつての……わが……の……に……。
かつての我が、子の? えーと、カインのお父上の亡霊ではないよな、まさか。
見たところ山頂の景色におかしなところはない。だが、祠の中に入ると空気が一変した。どことはうまく言えないが、明らかにいつもとは様子が違っているのだ。
厳かではあっても静謐な落ち着いた空間だったのに、今はまるでそこら中に張り巡らされた細い糸が体を縛っているような、嫌な緊張感に満ちている。
『なんか、まずそうだぜ。とりあえず外に出た方がよくないか』
「しかし魔物が入り込んだのなら倒さなくては……」
異変の根源を探すべく辺りを見回したカインは背後を振り向いて硬直した。今しがた入ってきたばかりの、祠の出口がなくなっている。閉じ込められてしまった。
いったい何が起きてるんだ。罠が仕掛けられていたなら俺が気づけるはずなのに。
ーー訣別……。
あの声が、今度は明瞭に響いた。どうやらまんまと誘い込まれたようだ。
視界の端に違和感を覚えて振り向くと、壁中に張り巡らされた鏡にカインが映っていた。ここに鏡張りの壁なんて、あったっけ?
鏡像がこちらに向かって手を伸ばそうとしている。カインは困惑して立ち尽くしているにもかかわらず。鏡に映った自分自身……そのはずなのに、“彼”は勝手に動いていた。
悪いことに鏡のカインも左手にしっかりと愛槍を握っている。
『戦うはめになりそうだ』
「自分自身と? 悪い冗談だな」
実体を伴って鏡の中から現れたカインの分身が喜悦の声をあげる。その声音もやはり、どこからどう聞いてもカイン自身だ。
「この時を待ち侘びたぞ!」
踏み込む一歩を黙視する間もなく分身は跳躍して鋭い突きを放ってきた。現役の竜騎士だった頃よりも格段に力をつけている。こんな状況で修行の成果を確認しても嬉しくない。
「お前は、一体……」
「俺はお前だ。俺こそがお前の本心なのだ!」
もう一人の自分、過去の罪、苦悩と憎悪、己の中にある負の一面と相対し、それを克服できれば光の力を得られるという。
あの声が山に封じられていた聖なる存在だとすれば、これはパラディンになる資格を問う試練か。
「ぐっ! き、貴様は……」
『カイン!』
「眠るがいい! そして俺は自由になるのだ!」
まずい。力はまるっきり同等なのに、こっちは戸惑っていて、あちらには迷いがない。このままでは負ける。
これって勝ったらパラディンになれるけど、負けた場合は何が起こるんだ? そんな疑問を吹き飛ばすかのごとく眼前に槍の穂先が迫る。
兜の下にちらりとカインの顔が見えた。日頃から鏡なんて覗かないものだから、そういえば彼の顔を見るのは久しぶりだな……。
こんな顔をしてたんだったか。
ふと気づけば“もう一人のカイン”の姿は消え去っていた。体のどこにも痛みを感じないので、カインは無事のようだ。
『あれからどうなった? 勝てたのか?』
「ヤト、やっと目が覚めたのか」
『ああ、ごめん。肝心な時に気絶してしまった』
「構わん。俺は過去に打ち克ったんだ」
『それは……よかった』
しかしそれなら、どうしてパラディンになっていないのだろう。カインは空を見上げているので鎧がどうなっているか分からないが、変化は感じられない。
相変わらず左手には槍が握られている。そして彼は無造作に振り返ると、凄まじい一撃で祠を破壊した。
『お、おいおい、何してるんだ』
「もう必要ないだろう」
そりゃあ、またいきなりあんなわけの分からないものが出てきたら困るから封鎖には賛成するけど。だからっていきなり壊すのは乱暴すぎるぞ。でも……いや、まあ、いいか。
「俺は解き放たれた。ようやく自由を手に入れたんだ」
今、彼の胸を占めるのは清しさばかりだった。つい先程までの濃い疲労はすっかりなくなっている。
『カイン、もしかしてアンデッド退治に飽きてたんじゃないのか? キレる前に修行なんか放り出して、俺の家にでも行けばよかったのに』
「フッ……それもいいかもしれんな」
そもそもここへ来たのは、セシルたちと共にいるのが辛かったからだ。彼らの幸せを受け入れる強さを得るための修行、だった。
だが俺としては、彼には全部忘れて自分の幸せを探す権利があるとも思っている。楔がなくなったのなら贖罪なんかやめて、どこへでも行けばいいんじゃないか。