再び来ることのない夏



 先日ドマに寄って以来あからさまに挙動不審だったリオだが、あれから三日が経過した今日ようやくその理由をセッツァーに打ち明けていた。個人的な相談事など俺は聞くつもりもなかったのだが、その場に遭遇してしまったので耳に入ることとなる。というより俺がいるところを狙って話していたようにも思うが。
「私はどうすればいいのでしょうか……」
 ドマに行ったのは、城の復興を手伝うマッシュを送り届けるためだ。そして彼は降りる間際、リオに結婚の申し出をしたらしい。かつては霊峰コルツの麓にあり今はサウスフィガロ郊外に移動してしまった修練小屋で、一緒に暮らさないかと。
「マッシュがねえ……」
 意外そうな顔でセッツァーがタバコの煙を燻らせている。確かに、驚かなかったといえば嘘になるな。リオとマッシュは以前から親しげな様子だったが、それはマッシュがリオの事情を知る唯一の人物だったからだと俺は知っている。問題の“物語”が終焉を迎えた今やリオには必死で隠し通さねばならない嘘はなく、マッシュによるフォローも必要ない。良い友人関係として落ち着くはずだった。
 庇護欲が愛情に変わったのか。しかし、恋愛関係が芽生えているようにも思えない二人だった。強いて言うなら仲のいい兄弟とでもいった雰囲気で、マッシュがリオを異性として見ていたとは思えず、それは彼女の方でも同じだろう。だから困惑しているのだ。
 相談を受けたセッツァーはと言えば、面倒臭そうに息を吐いて天井を睨みつける。この話に頷くとなればリオはファルコンを降りることになるだろう。断るとしても、これから先にマッシュが船に乗らないということはまずあり得ないのでいろいろと気まずい思いをするに違いない。いや、確かマッシュはドマに住むべきか迷っていたな。もしかすると、リオの返事を期に自分の住処を決めようと考えているのかもしれない。
 惚れた腫れただけでは済まない問題が絡んでいるわけだ。

 とはいえ、結婚を申し込まれたのはリオだ。セッツァーに、ましてや俺に相談したところで言ってやれることなど何もなかった。
「引き受けりゃいいんじゃねえのか? マッシュならお前にはもったいないくらいだろ」
「確かにな。修行漬けの生活で女を知らんのだろうか」
「いや、昔は知らねえけどセリスやティナと過ごしてたんだぜ? それで選ぶのがリオとはねえ」
「ああ……、ならば、見る目が歪んでいたのかもな」
 なにせ王宮生まれの山育ちという特殊な環境下に置かれていたのだ、女の基準が分からなくても仕方がない、可哀想に。揶揄を籠めてそんなことを言い合っていると、リオはスッと立ち上がって伝声管のもとへ歩み寄り、ファルコンを操縦しているダンに声をかけた。
「あー、ダンさん、航路をジドールに変更お願いします。リルムに大切な大切なお話がある」
「おい……何の話をする気だ」
「ブラックジャック時代の帳簿って誰が一番高く買ってくれるかな。やっぱり長年イカサマに気づかず搾り取られたジドール銀行の……」
「やめろ!」
 慌てて立ち上がった俺たち二人をゆっくりと振り向いて、リオは完璧な笑顔を浮かべていた。
「ごめんなさいしよっか?」
「……ごめんなさい」
 こいつをからかうのは得策ではないな。だが本当に、なぜリオだったのかは謎だ。女が苦手だとも聞いたが、だからリオなのだろうか。しかしそれを口にすると今度こそ本気で怒らせそうなので黙っておくとしよう。

 実際のところ、リオは何を言ってほしいのか。引き受けろとも断れとも部外者には口出しできまい。そう若々しい少女でもないのだから結婚に踏み切れないということもないだろう。セッツァーの言うように、俺の目から見てさえマッシュは生涯を共にするのに最適以上の相手だと思えた。
「で、なんで迷うことがあるんだよ。お前はマッシュが好きじゃねえのか?」
「余裕で大好きですが?」
 ハッキリと言い切ってから頬を赤らめるリオにセッツァーが苛立っているのを感じた。……気持ちは分からんでもないが。嫌っているのでもない限り渋る理由はないはずだ。三日もぐだぐだと悩むのはなぜなんだ。もしかするとリオは、断るつもりでいるのだろうか?
「だってさー、なんかずっとそういう目で見ないように気をつけてきたのに、急にそんな結婚ってことになっても頭ん中で処理が追いつかないわけですよー」
「そういう目で見ないようにしてきたってんなら、気をつけなきゃそういう目で見てたってことだろうが」
「まあそうなんだけどね」
 嫌ってなどいない、むしろ好意を寄せており、異性として見ることもできる相手と一緒になるのを渋る理由は。……やはり“物語”に関することか。リオは世界の崩壊に未だ罪悪感を抱いている。そしてそれはおそらく一生かけても消えることがない。元の世界には戻らないと決めたものの、こちらに骨を埋めていいものかと躊躇する思いもある。マッシュは彼女の葛藤を知っている。
「……マッシュと一緒にいたら、逃げ場にしてしまう気がするんだよね」
 赦されるのを恐れているわけだ。自分の負の部分まで熟知している包容力のありすぎる男のそばにあって、いつか罪の意識さえ忘れてしまうことを。
 リオの事情など知らぬはずだが、セッツァーは鼻白んだように肩を竦めた。
「ぐだぐだ考えるな。シンプルに決めろよ。あいつを男として見れんのか、友情以上のモンはないのか、それだけのことだろ?」
「……うん」
 以前リオが言っていた通り、詮索しないのはこの船長の美点だな。誰が何を抱え込んでいようと関わる気がなければ無関心を貫いてくれる。それは時に、面倒事を抱えている者にとってはありがたい。たとえば一緒に抱え込もうとするような優しさを持つ相手には、共にいるのを躊躇してしまうこともある。

 マッシュがドマに降りてから二週間が経ち、ファルコンで迎えに行く。俺はいつも通り見知らぬ他人のふりをしてフィガロからの補給物資を降ろしていたが、マッシュの隣にいた人影を見て少し眉をひそめてしまった。やはりマスクが欲しいところだな。
 行きしなは船を使ったのか、いつの間にやらドマに渡ってきていたロックがマッシュと一緒に乗ってきたのだ。見ればセッツァーはかなり苛立っており、リオにいたっては死んだ目であらぬ方を見つめている。
「ちょうどロックもドマに来てたんだってさ。ついでだから俺もサウスフィガロで降りるよ」
 今日はリオが答えを出す日だ。承諾ならばマッシュと一緒に船を降りて彼の小屋へ行くことになっている。
「べつにロックを追い出した後にコルツの小屋まで送ってやるぜ?」
「おい、追い出すってなんだよ。俺も客なんだけど」
 手間になるから構わないと言うマッシュにため息を吐き、ロックの抗議を軽く無視してセッツァーはリオに向き直る。
「で、お前は?」
「えっ!?」
 一緒に降りるのか、それとも。何事だか理解していないロックも含めた全員の注視を浴びたリオは硬直し、その彼女に苦笑しつつマッシュが助け船を出した。
「俺の荷物頼んでいいか?」
「あ、わ、分かった。部屋に持ってっとく」
 鞄を抱えて逃げるように走り去った後ろ姿を三者三様に見送っている。
「どうしたんだ、あいつ?」
「ロックよ、お前ってやつは本っ当にどうしようもなく間が悪い野郎だなぁ!」
「何がだよ!?」
 八つ当たりに近いが、同感だな。

 未だ誰にも素性を打ち明ける気はないので、ファルコン号に客がいる間はいつもラウンジに顔を出さないようにしている。スカイアーマーの整備ついでに甲板に出ていると、部屋で休んでいたはずのマッシュが覗きにやって来た。
「なあ、前から聞きたかったんだけど、あんた、シャドウだよな?」
「……」
 一瞬リオかセッツァーが話したのかと思ったが直ぐ様その考えを打ち消した。なんだかんだで鋭い男だ、誰に言われたのでもなく自分で気づいてしまったのだろう。ファルコンに乗ってくる元仲間たちの前で一声も発したことはなく、ろくに顔も合わせずに雇われの乗組員として過ごしてきた。だが、こう見えて王宮育ちの彼は他人の内面を察するのに慣れている。
「釘を刺す必要はないと思うが、誰にも言うなよ」
「やっぱりそうか! 聞いてよかった。生きてると知って安心したよ」
 わざわざ確認してきたのはそれを言うためかと思えば気も抜ける。そういえば彼らには魔列車で素顔を見られていたのだったな。こうも長い付き合いになるとは思っていなかったので油断していた。ならばカイエンにも警戒すべきか。……いや、おそらく彼は目の前で俺がインターセプターを撫でても気づかないだろう。
 隠しておきたいなら誰にも知らせないと言うマッシュに頷き、スカイアーマーの整備を続ける。約束は守られるだろう、こいつは信頼に値する男だ。
「……だが、俺と話してる時ではないんじゃないのか」
「へ?」
 リオを口説きに行かないのかと問えばマッシュは顔を赤くして目を逸らした。
「なんか顔を合わせづらいっていうか、今話すとあいつも居心地悪いだろ」
「今後のことも話し合っておくべきだと思うがな」
「えっと、もしかしてもうリオに答えを聞いたのか?」
「いや」
 あいつは結論を誰にも話していない。ここ数日はずっと心ここにあらずといった様子で呆けているか、顔を強張らせて考え事をしているか、でなければ一人物陰で百面相をしているかだった。気が散りすぎてセッツァーのコートを洗濯機に放り込んでずたぼろにした罪を俺に擦り付けようとした時以外は、ろくに会話もしていない。もしかしたらセッツァーには既に答えを打ち明けているかもしれないが。
「難しいと思うぜ。“物語の登場人物”に惚れろってのもさ」
 驚くべきことにマッシュは自分がフラれると思っているらしい。……まあ、そうだな。こいつが彼女のどこに惚れたのかは知らんが、向こうからすればこの世界の人間に恋するのは確かに困難なことなのかもしれない。だがそれも、瓦礫の塔を脱するまでの話だ。その“物語”はもう終わった。
「……この世界を現実に変えたのはお前だろう」
 あいつは現実に立っている。マッシュのいる、この世界に。
「お前はバレンの滝でリオを連れて行かなかった。ここが現実であり、リオにも死の危険があると実感させたんだ。あいつが“物語”に逆らっても構わないと思い始めたのは、おそらく……」
 シナリオに従事するのではなく自分の意思を全うすることに目を向け始めたのは、マッシュが現実を認識させたからだろう。リオは俺に命を救われたと思っているようだがそれをさせたのはマッシュだった。死を、生を、この世界に呼吸しているという事実をあいつに意識させたのは間違いなくマッシュだ。
「少なくともリオにとってお前は登場人物ではない」

 ぽかんと口を開けてマッシュが何事か言いかけた時、それを遮るようにリオが甲板に飛び出してきたので彼は口を噤んだ。
「マッシュ、ここにいたんだ。部屋にいないから探したよ」
「リオ……」
 柄にもなく深刻な表情を浮かべるリオに緊張が走る。飛空艇はもうじきサウスフィガロに到着する。あと少し待てないのか。それ以前に、俺を挟んでそんな重要な話をする気ではないだろうな……。
「あのさ、私はファルコンを降りれない」
 爆弾発言にまさかと思う間もなく彼女は続けた。
「だからマッシュがここに残ってほしい」
「……え?」
「だって考えてもみてほしい。カジノもないしルーカスさんもジミーさんもいないのに船長とダンさんだけでファルコンの維持費を稼ぎ出せると思う? まともな世界地図もまだ各国に行き渡ってないような状況でファルコンが飛べなくなったら経済が回らないし。マネージャー業をロックとかリルムとかフリーのやつらに引き継いでもらうことも考えたけど、どっちにしろすぐには無理でしょ」
 ちょっと待て、何の話をしてるんだ? 言ってる内容は尤もだが今リオが考えるべきは彼女が降りた後にファルコン号が飛び続けられるかどうかではないだろう。とは思うのだが怒濤のごとく溢れ出す言葉に俺もマッシュも口を挟む隙がない。
「週休二日はあまりにも忙しないから無理だとしても月に二回、五日くらいまとめて休みをとればその間は降りて小屋に帰れるんじゃないかな。ドマに行くのはもっと頻繁にしてもいい。この際だからファルコンの定期航路を決めて時刻表も作っちゃいたいところだけどそこら辺はセッツァーと要相談だな。とにかくそういうわけで私はしばらくファルコンを降りられない。だから、マッシュが帰らないでここに残って」

 船を降りないと言った時にはなぜか俺まで焦ったが、要するにこれは……しばらく予定が延びるとはいえ、船を降りて一緒に住む話は承諾した、のだろうか。つまるところリオが迷っていたのは“自分がファルコンを降りても大丈夫なのか”という一点のみだ。マッシュと共にある未来については、答えに悩むまでもなかったわけだ。
 何を言われているのかついていけず困惑していたマッシュだが、ようやく事態を飲み込んだらしくおずおずとリオに尋ねる。
「あのさ、お前は降りられないとしても、俺は小屋に帰っていいんじゃないのか?」
「……あ」
 それもまた尤もだな。マッシュは今まで通り小屋に暮らし、リオが会いに行くという形をとっても構わないわけだ。考えもしなかったという顔でリオは呆然としている。現状維持が選択肢として思いつかず、自分が降りられないのでマッシュに帰るなと告げ、船に残るよう求めるのは。
「……俺に帰るなってのは、つまり、」
 断るという選択肢など最初からリオの頭になく、ただひたすらどのようにして一緒にいるか、その方法だけを思い悩んでいたということにほかならない。
 二人は互いに顔を見合わせたまま赤面して固まっている。サウスフィガロに着くのを待つまでもなかったようだ。リオは今すぐにでも答えを告げるだろう。しかし、悪いが愛だの恋だのを口にするのはもう少し待ってもらうぞ。
「そういうことは俺が立ち去ってからにしろ」
 今ようやく俺の存在を思い出したと言わんばかりの様子でこちらを見たリオが、顔を覆って踞る。慌てて彼女に駆け寄ろうとするマッシュに背を向け、船内に避難することにした。
 正直なところを言えば、リオは異邦人にしては充分すぎることをやってのけたと思っている。世界に対する責任など感じず、すべてを投げ出して無視してもよかったはずだ。だが彼女は我が身を引き裂かれるような思いで世界の崩壊を見届け、今も当たり前のようにその傷の修復に駆けずり回っている。ああ見えて奇特な女だ。案外、似合いの二人なのかもしれんな。
 幸せになってほしいとまで素直な感情は抱けないが、少なくとも不幸になるなとは願っている。マッシュがそばにいるならそれは叶うだろう。リオは現実という二度と繰り返せない物語の中にいる。その結末は誰も知らないが、俺も悲劇にしないための助力くらいはしてやるとしよう。一人きりで罪を見つめる夏は、もう来なくていい。



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