女主
秋深し
ビロードウェイの外れにある喫茶店で松川伊助は遠縁の娘と向かい合っていた。つまり、私のことだ。
継ぎ接ぎだらけのスーツを着たボサボサ頭の三十路近い男は悪い意味で目立っていた。
私がいかにも“観劇に来た”風なきちっとした格好をしているのも悪かったかもしれない。
私も伊助も他人の視線が気にならないタイプなので放っておくけれど。
そもそも伊助はチラチラ見られていることだって気づいてないんじゃないかな。
他人の視線に反応するほど繊細だったらこんな服を着て出歩いたりしないはずだ。
窓の外、秋の景色を見つめながらぼんやりと伊助の話を聞いていた。
彼が勤めるMANKAIカンパニーとやらのポスターは見当たらなかった。ビロードウェイの端っこと聞いていたけれど、反対側なのだろうか……。
一通りの話が終わったようなので、私は言った。
「しょうがないなぁ」
ふ、と息を吐く。ため息のように聞こえたかもしれない。でも私をよく知る伊助にはそれが微笑だと分かったはずだ。
両親の、あまり付き合いのない従兄弟。この続柄をなんと呼ぶのか、改めて調べなければ分からないほど遠い親戚だ。
自分でも覚えていないくらい昔から私は伊助に懐いていた。
一人でふらっと彼を訪ねて適当な会話をして帰宅する。それが学生時代の趣味だった。伊助といるのは私にとって楽しいことだった。
このところ遠ざけられていたのを少し根にもっているくらいには、彼を親しく感じているのだ。
私はそれがどんな内容であれ伊助のフォローをすることに何の躊躇いも感じない。
だから今回の話も大して悩まず引き受けると決めていた。
伊助が支配人を務める劇団、MANKAIカンパニーのメンバーが暮らす寮で働いてほしい、という話だった。
私に課せられる仕事内容は“寮監一歩手前の諸事雑用”とのこと。なんだか具体的じゃないなあ。
寮監の仕事なんてものは普通、引退した老夫婦やなんかがやるものだ。
私は若すぎて、住み込みで何から何まで寮を取り仕切ることはできない。だから通いでもいいらしい。
現在のところ寮に住んでいる団員は十七人、その約三分の一が大人なので事細かに世話を焼く必要はないという。
料理はしてもいいけれど、他に自炊できる人もいるのでしなくてもいい。それよりも共用部の清掃や備品の管理、倉庫の維持などを任せたいと伊助は言った。
その劇団はそれなりに歴史があったはずだ。なのに今さら寮監探しだなんて、今まで管理をしていた人が急に辞めでもしたのだろうか。
伊助の話を聞いていてそんなことを考えた。
「そんなお手伝い程度の仕事なら、もっと早く連絡してくれればすぐ駆けつけたのに」
「いやあ……あはは。いろいろと事情がありまして」
実は、と彼が切り出したことにはさすがの私も少しだけビックリした。
かつて人気だったMANKAIカンパニーは今や潰れかけの弱小劇団となってしまった。
春夏の公演を終えて少し立て直しつつあるけれど、傾いていることに変わりはない。
そもそも春までは主宰も団員もいなかったというから、潰れかけというよりは“潰れていたところを復活したばかり”の方が正しいかもしれない。
団員が少ないだけが問題ではなかった。劇団には、一千万の借金がある。つい最近までヤクザが取り立てに来ていたのだ。
なるほど、それで伊助はこのところ会いに来ないよう私に言っていたんだ。
私の家族……彼自身の親戚たちにそれらの事実を知られたくなかったから。
もちろん、ヤクザがうろついている場所にのこのこやって来て私の身に何かあったら困る、というような心配も多少はしてくれたと思うけれど。
伊助の気が変わったのはMANKAIカンパニーの新生秋組が揃ったからだ。そのメンバーの中には、借金の取立て人である古市左京なる人物が含まれている。
カンパニーの新人総監督である立花いづみさんが、ヤクザが演劇経験者であることを見抜いて恐れ知らずにも彼をオーディションに呼んだのだった。
ヤクザさんが劇団員となったところで借金が帳消しになるわけでもないけれど、ひとまず私を呼んでもいいと思える程度の治安は確保された。
久しぶりに会おうという電話はそのためだったのだ。
秋組の公演が終われば次は冬組のオーディションが行われる。以後カンパニーは少なくとも二十人の団員を抱えることになる。
家事を当番制にするとしても、団員には稽古もある。片手間にやるには無茶な仕事量だった。
まだ見ぬ冬組の全員が寮に入るかは、オーディションまで分からないけれど。
とにかく寮の管理に専念してくれる誰かが必要となるのは明白だ。そこで伊助は、暇な私に目をつけた。
切り出しにくいこと告げるため、伊助は目を泳がせる。私は次の言葉をなんとなく感じ取っていた。
「それでですね〜……お給料のことなんですけど」
「うん」
「具体的な額は監督とも相談するとして、ですね。……ええと、あんまり期待しないでほしいんですが」
一千万の借金がある身、そのうえカンパニーの財布の紐をヤクザに握られている現状では、真っ当な寮監を雇うことは難しい。
伊助には下心があるんだ。自分に懐いているリオならば、安く雇える、という。
私はまっすぐに伊助を見つめてにこりと笑った。意図を窺わせない笑顔に伊助が固まる。
「心配しないで。お給料いらないから」
「それは助かります! ……えっ?」
反射的に喜び、後から疑問がやって来たようだ。
「い、いやあ、それはまずいんじゃないですかね〜。一応アルバイトとして雇うわけですし」
「じゃあバイトじゃなくて伊助の家事手伝いって名目にすればいいよ」
給料はいらないと重ねて言う。その代わり、無給に相応しい程度の仕事しかやらないことを宣言しておく。
伊助は言葉に詰まった。
自分が私の扱いに慣れているのと同程度には、私も伊助を理解しているのだということを思い出したのだろう。
迂闊に安月給で雇われては、いずれ恐ろしい量の雑用を負うはめになる。そんなヘマ、私は踏みません。
劇団の寮なんて面白い人がたくさんいそうだし、遊び半分の社会勉強だとでも思っておこう。
「バイトもあるし毎日通うのは面倒だから火曜と木曜の夕方にしようかな。土日は朝から行くよ」
伊助のことだからどこもかしこも手がつけられない状態まで放置しているのだろう、と指摘する。図星のようだった。
「あんまり酷い散らかり方なら最初のうちは毎日通ってもいいけど。とりあえず、総監督さんとも会わないとね。今日これからの予定は?」
「備品を買って寮に帰るだけですね」
「じゃあ、私もついてっていい? どんなところか見たいし。買い物も手伝うよ」
やや困惑気味の伊助に「ここは奢ってあげる」と言って立ち上がる。
こういう時に私を立てて素直に奢られてくれる伊助の性格を私は好ましく思っている。
伊助が並々ならない愛着を持っているMANKAIカンパニー。どんな人たちがいるんだろう。
寮はもちろん、劇場もどんなところだか気になる。今まで芝居に熱を傾けたことがなかっただけに未知の世界だ。
折しも芸術の秋。きっとそこでは、楽しい日々が待っているだろう。