太一



まだ君は真っ白



 えっさほいさと風呂場から台車を転がしている時のことだった。
「リオさん!」
 学校帰りらしい制服姿の太一くんに声をかけられた。
「おかえりなさい、太一くん」
「ただいま! 何してるッスか?」
「私は今、洗濯用にお風呂の残り湯を運んでるところです」
 これが万里くんだと力仕事を手伝わされそうなタイミングを巧妙に避けるのだけれど、そこのところ太一くんは不器用というか要領が悪いというか。
 まあ私だって、今特に忙しい秋組の団員に家事を手伝わせたりはしないつもりだ。

 太一くんは台車に乗っかっているバケツを見てなにやら目を瞠っている。
「残り湯で洗濯って、風呂場と何往復してるッスか!?」
「えーと、そんなではないよ。三往復くらい?」
 万里くんや幸くんみたいに自腹でクリーニングに出している人もいるし、そこまで大量! ってこともない。
 洗濯機は初代の頃から使っているらしい年代物が三台あるから水さえ運び終えてしまえば苦労はない。
 今のところ私一人でギリギリ面倒見きれる量かな。冬組が増えたらどうなるか微妙ではある。

 一般家庭の洗濯物より実際かなり多い衣類を洗うのに使う水の量は、もちろん結構なものになる。
「水道代を節約しろって左京さんに言われて、残り湯を使うことにしたんですよ」
「さ、左京サン、徹底してるッス……」
 でもさすがにバケツをぶら下げてえっちらおっちらってのはしんどいから、こうして台車を使っているわけだ。
「まあ、こうやって生活費を切り詰めることで舞台にかける予算が増えると思えば。秋組の衣装、お陰で素敵なのができそうだし」
 マフィアが安っぽい服着てたら白けちゃうもんねえ、と続ける私が見たものは、やや青褪めた顔で硬直する太一くんの姿。

「どうかした?」
 もしかして劇団の貧乏っぷりを改めて目の当たりにして引いているんだろうか。
「えっ? あ、何でもないッス。お、俺っちも運ぶの手伝うよ!」
「えー、いいよそんなの。……と言いたいところだけど、せっかくだからお願いしまーす」
 こちらから手伝ってほしいとは決して言わないけれど、あちらからの厚意ならありがたくお受けしましょう。

 私が台車を押してる間に太一くんは風呂場にいって追加の水をバケツに汲んでくれている。
 腰にくるんだよね、あれ。大丈夫かな。若いから平気かな。
 それから太一くんはバケツの水を洗濯機にぶっ込むところまで手伝ってくれた。
 うーん、やっぱり男手があるのは心強いなぁ。

 太一くんは、いつも通り明るく犬っぽく振る舞っている。さっき思い悩んでいるような顔を見せたのが嘘みたいに。
 なんとなく明るすぎるな。何か悩み事があるんだろうというのは分かる。でもそれは私が踏み込んでいいことなのかどうか、迷ってしまう。
 いづみさんにそれとなく伝えておいた方がいいだろうか。あるいはそっとしておくべきだろうか。
 もしかしたら、異性には知られたくない悩みということもあり得るし。

 順に洗濯機のスイッチを入れて何気なく太一くんに話しかける。
「太一くんはランスキーの病弱な弟役だったっけ。今回は凝った衣装じゃなくて残念だね」
「まあ、俺っちはアクションシーンもないッスからね〜」
 派手な衣装を着てもかえってもったいないと彼は言う。
 ベンジャミンの衣装は真っ先に完成している。といっても要はパジャマなので、あまり“衣装”という感じはしない。管理も普段着と同じだ。
 着古した感じを出すために太一くんはそれを着て寝ているらしい。他の服と一緒に洗濯もした。
 今回の公演が終わったら別の衣装に作り直されることになるだろう。

 ルチアーノを始め他の役はマフィアらしく華やかでカッコイイ衣装だから、比べるとベンジャミンは出番も少なくて地味な印象だった。
 それを気にしてるのかなあ、と思ったけれど、違ったみたいだ。
「でも、名前ついてて台詞あるッスからね! みんなにいい弟だって思ってもらえるように頑張らないと!」
 助演だって舞台に欠かすことのできない大事な役。太一くんのやる気に翳りはなかった。
「きっと大丈夫。太一くん、弟力が高いから」
「そ、そう? なんか喜んでいいのか微妙ッスね」
 照れくさそうにする太一くんに無理して笑っているような様子は見られない。私の思い違いだったのかな?

 太一くんは一旦部屋に戻って制服を着替えたあと、洗濯機が止まる頃合いに干すのを手伝いに来てくれた。
 自分の服は自分で干すッス! とのこと。稽古もあるのにありがたい心遣いです。お返しに何かできたらいいんだけれど。
 私はやっぱり、さっきの太一くんらしくない表情が気になっていた。

「えーと、私はあんまり悩まないことにしてるんだよね」
「えっ?」
 いきなり話し始めたものだから太一くんはビックリして、白いシャツの向こうから私を覗き込んできた。
「悩んでも迷っても物事は起こるものだし。なるようになれ、って割り切っちゃえばいいんじゃないかな。もし後悔するはめになったら、その時はその時で」
 あなたがどんな悩みを抱えているのか私には分からない。私に分かってほしいのかどうかも分からない。
 だから私にできるのは、その悩みをなかったことにするだけだ。太一くんがいつも通りに振る舞うのなら私もそれに合わせるだけだ。

 考えないようにしていれば意外とすんなり忘れてしまうものかもしれない。
 でなければ、思いも寄らないところから救いの手が差し伸べられるかもしれない。
 どうしても自然には解決しなくて、それ以上放っておくこともできなくなったら、誰かに話せばいい。
「なんかとてつもない悩み事があっても案外、時間が解決してくれたりするから、知らん顔して笑ってた方が人生お得だと思います」

 ひらひらと洗濯物が揺れる。
 洗濯機が回っている間は手持ち無沙汰だけれど、干す作業は好きだ。こうして全員分の服が並んでいるのを見ると壮観だ。
 取り込むのだって他の仕事の合間にうまく挟めると充実感があるし、きれいに畳めると、やった! って気分になる。
 どうせなら何だって楽しんだ方がいいじゃないかと私は思う。
 けれど太一くんは不意に、彼らしくもない表情を見せた。

「役者にとっては悩むのも大事なんッスよ。楽しいだけじゃ……駄目なんだ」
「……あー、それはあるかもですねえ」
 能天気に悩み事を受け流してばかりじゃあ影のある役は演じられないのかもしれない。
 ああ、だからかな? ベンジャミンは明るくて素直な性格だけれど彼には病の影が張りついている。
 つまるところ太一くんが時々見せるのは役作りの成果なのか。だったら仕方ない。
 でも本当にそうなのかな。何かに耐えるような辛そうな顔は、太一くんじゃなくてベンジャミンの顔なのかな?

 無事に洗濯物を干し終わり、二人してふーっと息を吐く。
「これ毎日やってるなんて、リオさんも大変ッスね……」
「そのために来てるわけだし。結構、楽しんでますよ? 自分が家事好きだってこと気づいちゃった」
「いいお嫁さんになるッスよ!」
「お、今の台詞はモテですよ太一くん」
「ほんとッスか!? モテポイント高かった?」
「高得点です」
「やったー!」

 役者にとっては悩むのも大事なこと。だから太一くんはその悩みを手放したりしない。
 それはつまり、やっぱり太一くんが悩んでるってことじゃないか。
 すると、この快活で無邪気な彼の方こそが演技なんだろうか?
 七尾太一。稽古風景や日常生活を見るに単純な男の子という印象だった。でも意外と奥が深い。
 太一くんのことをもっと知りたいな。彼はこんな潰れかけの劇団でも構わずオーディションにやって来るほど芝居がしたかったんだ。
 彼が何を抱えているのか、未だ分からない。



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