ついさっきまで後ろを追いかけてきてた魔物の気配が、どこかに消えてしまった。見失った。あっちがあたし達を、あたしもあいつを見失ってしまった。
 逃げ出したんだ。このあたしが、格下の相手から逃げ出してしまった! お腹の底から燃え立つみたいな気分だわ。
 あたしの手を掴んでひた走っていた男に、腹立ちまぎれの蹴りを食らわせる。それを完全に無視したまま、睨み返しもしないで周囲の安全を確認し始めた彼に、また腹が立った。
「なんで真っ先に逃げちゃうのよ!」
「勝てるか分からんのに戦うより逃げた方が安全だ」
「あたしなら絶対に勝てたのに。ヤト一人で逃げればよかったんだ!」
 地団駄を踏みたい気分だけど、イライラが貯まってうまく地に足がつかない。仕方ないからふわふわ浮かんだまま空中で胡座をかいた。じっとり睨みつけたら、行儀が悪いと膝を叩かれた。

「臆病者。魔物が怖いんでしょう」
「当たり前だ。俺は人間だぞ」
 何よそれ。あたしだって魔物よ。でもヤトを襲ったりしないわ。向こうだって初めて会った時もあたしを殺そうとはしなかった。なのに魔物は皆怖いって言うの?
「子供なら怖くないんだけどな」
「あれは幼体だったわよ」
「そうか。なら尚更だ。子供同士殺し合わんでもいいだろ」
 つまんないわ。結局、どいつも同じだもの。今まではしなかったことだから、人間と関わってみたら楽しいかと思ったのに。全然つまらない。ヤトが悪い。面白味のない奴だから!
「戦わなきゃ退屈するわ」
「お勉強でもしてろ。その内に脳味噌まで筋肉になるぞ」
 ひっぱたいてやりたくなるような優しい言葉をかけてくれて、そのまま草原に寝転がる。気に入らないんだもん。連れ歩けばついて来るけど、こいつはあたしに興味を示さない。

「……はぁー」
「溜息なんか吐いてんな。シアワセと気力が逃げる」
 そう言うヤトの視線はやっぱりあたしに向いていない。誰のせいで溜息ばっかりついてると思ってるのかしら。人間なんかと一緒にいても、ろくなことはないわね。ムカつくから頬っぺたを思いきりつねってやった。
「ヤトのバカ。マヌケ面!」
「楽しそうだな、お嬢さん」
「子供扱いしないで!」
 あたしは魔物なんだから、あんたなんかよりずっと大人になれるのよ。どんどん追い越して、絶対に辿り着けない場所にまで行ってやるんだから。なんて毒づいてやれば、いつも不機嫌な顔がもっと嫌そうに歪む。
 ざまーないわ! ってはしゃぐ直前、すごい勢いで伸びてきた腕があたしの頭をわしゃわしゃと掻き交ぜる。な、何なのよ! 髪がめちゃくちゃになるじゃない。
「……お前の方が強いんだ。子供扱いしなけりゃ守ってやれねえだろう、馬鹿」
 べつに守ってくれなんて頼んだ覚えはないわよ。それに守れてないし。逃げてるし。そもそも、行き倒れて死にそうになってたヤトを助けて拾ってやったのはあたしだわ。あたしの方が強いのはわかりきったことじゃないの。
「……あんたっていつも、何が言いたいのか分かんない」
「分からんでいい」
 仏頂面のままぽんぽんと頭を撫でてから、ごろんと寝転んであっちを向いてしまった。こんなに太陽が高い内から眠る気かな。人間ってせこせこ働きたがる奴ばかりだと思ってたのに。

「ねえ、寝ちゃうの?」
「子供の相手は疲れる」
「……いーわよ、だったら一人で行っちゃうから!」
 さっと舞い上がった瞬間、髪が引っ張られてつんのめった。つむじが痛い。原因を探して睨みつけたら、長い髪の端っこをヤトが握りしめていた。
「離してよ」
「…………」
「ふふん、あたしがいないと寂しいのね」
 ちらっとあたしを見た彼は、さっき言った自分の言葉をもっと強調するみたいに、盛大に大袈裟にあからさまに溜息をついてみせた。
 何よ、幸せが逃げるんじゃなかったの? それとも幸せなんてほしくないって言うの? 立ち去りにくくなっちゃうじゃない。
「……お前がいたって別に幸せでもない」
「ムカつく言い方ねえ」
「だから溜息ついても平気だ。俺はな」
 だからって、何が言いたいのよ、さっぱりわかんない。あたしに側にいてほしいなら、さっさとそう言えばいいのに。淋しがり屋だなんて笑ったりしないわよ。
「ヤトってめんどくさい」
「……悪かったな」
「申し訳ございませんバルバリシア様、って言って?」
「もおしわけございませんバルバリシアさま」
「うーん、仕方ないから許してあげる」
 ちょっと不満の残る形ではあるけど、やっと名前を呼んだわね。その内もっともっと呼ばせてやるんだから。素直じゃなさすぎてさっぱりわかんない奴だけど、あたしが必要なのは本当みたいだ。
 めんどくさい、でも面白い。わからないのって楽しいわ。だから、もうちょっと一緒にいてあげよう。何を伝えたいのか、ちゃんとわかるようになるまでね。



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