01



 数時間は走ってたと思う。今回のは奴の命令のせいで駆けずり回ってたんじゃない、当のルビカンテから逃げていたんだ。俺の意志で。
 しかしやはりというかここは奴の本拠地だ。多少慣れてきたとはいえ俺にとってはまだ他人の縄張り、逃げ切れるはずもない。向こうは無尽蔵な魔力で俺の行き先を読んでテレポートしてくるし、対するこちらは魔法も使えなければ煙玉も持たない無力な人間。
 追い詰められては愚行を諭され、また逃げては思い直すよう説かれ、今は階段に踏み出しかけたところで壁に手をついて休戦中だ。今これを駆け降りると間違いなく踏み外す。
「……ヤト、いい加減に諦めてはどうだ。君がどう足掻こうと、この塔から逃げられはしない」
「……無駄だって、分かってても、抵抗しなきゃいけなかったんだ!」

 俺が悪かった。俺が馬鹿だったんだ。こいつは魔物だ。恐れ、憎み、忌むべき存在だ。間違っても友愛や慈悲でもって接する相手じゃない。……情なんかいらないんだ。
「俺はお前の何だ? 妻か? 嫁か? 奥さんか!?」
「どれも同じに思うが……、言うまでもなく君はど、捕虜だろう?」
「どって何だ。奴隷か。だいたい捕虜って何だよ? 俺を捕虜にしてどうすんだ。俺の国もうないじゃん、お前が滅ぼしたんだぞ。捕虜とって誰と何の交渉すんだよ」
 仮にエブラーナが残っていても、俺に何の価値がある。陛下がここにおられるのに、わざわざ俺を取り戻す必要性はどこにもない。
 俺が悪かった。……最初から間違っていたんだ。例え死しても全力で立ち向かうべきだった。いっそ燃え盛る故郷と一緒に焼け落ちるべきだったんだ。
「戦うのは、今からでも遅くない」
「ヤト、悪いことは言わない。……考え直せ」
「うるさい。もうお前に隷属するのはやめだ」
 最初からこうすべきだった。何を素直に従っていたんだろう。ここは敵地でルビカンテは仇敵だ。情けなんか……友好なんか、築いちゃいけないんだ!
「……もう二度とお前には従わない」
「それは困る」
 本当に困り果てた顔で、ルビカンテが俺の手を握った。振り払えない。ここでほだされるわけにはいかないのに、腕に力をこめられない。
「俺はもう……お前の世話役なんか御免なんだ!」
 苦い決意のもとに振り払ったルビカンテの手が宙を掴むのが見えた。唖然とする奴の顔がやけにゆっくりと視界の下の方へ消えて行き、俺は浮遊感に襲われる。
「あ、」
 間抜けな呟きはどっちの声だったのか。
「ぎっ、あ、むげっ、ぎゃうっ、……」
 数度バウンドしながら俺の体は階段を転がり落ちた。奴の手と一緒に自分が危うい場所にいるって記憶も振り払ったらしい。
 咄嗟にとった受け身は二段目で無意味になった。それ以降の衝撃は肉体的な痛みよりも俺って馬鹿あほマヌケ、精神面に大きく作用した。

「……だ、大丈夫か」
 しばらく呆気にとられていたルビカンテが素早く近寄って手を差し出すが、俺はもうなんかいろんな意味でその手を取れなかった。
 床に伏せたまま無視を決め込むと、焦れた奴が強引に俺を起こす。体の節々が痛い。腕は死守したが、突き出た肘と膝と、腰と尻と、あと際立って背中が痛い。
「これに懲りたら二度と反乱など企てないことだ」
「……べつに反乱じゃないし」
「私にとっては似たようなものだぞ」
 苦笑しながらルビカンテの手が背中を撫でた。触れた部分からあたたかい魔力が流れ込んで、恐ろしいほどの勢いで痛みが引いた。
「……撤回しないからな」
「まだ逆らう気か」
「ルビカンテ、俺の趣味とか分かるか」
「何? ……掃除、整理整頓……料理だろうか。いや、私の予定の管理、」
「全部違うッ!」
 不機嫌さを増す俺の顔色を窺いつつ出された候補は、そのすべてが過去誰かに同じように言われた「俺の趣味」だ。
「俺は、俺は……ぼーっとするのが好きなんだ!」
「……それは趣味ではないような」
「趣味だよ! 真面目に働いて、たまの休みに可愛い女の子と遊んで、そんで10日にいっぺんくらい誰にも関わらないでひたすら自室でぼーっとするのが、俺の趣味なんだ!」
「まあ、ある意味ヤトらしいな」
 なんだよそれって平凡だなとか詰まらない人間だなって意味か。何度となく言われてるから今更傷つかねえよ、ざまあみやがれ!

「俺は本来、めんどくさがりなんだ」
 言った瞬間のルビカンテの顔。魔物のくせに俺の友人どもと同じ表情しやがって。「え、嘘だろ」「お前すげえ神経質じゃん」「雑事が苦にならないタイプよねー」決めつけるな! 雑用を押しつけるな!
 頼まれると断れない俺も駄目だとは思う。だが「ヤトに任せとくと部屋が使いやすくなっていいよな」とか言って俺をハウスキーパー扱いする奴は許せない。
 どうして他人の家まで管理しなきゃいけないんだ! 断ったら良好な関係にヒビが入りそうで怖かった。
 魔物なんかの捕虜になって。……虐げられても、もしかして殺されても、憧れの「なんにもしなくていい日々」を体験できると思ったのに!
「……きれいに整ってるとこじゃないと寛げないんだ」
 だからしょっちゅう部屋の大片付けをしてるんだ。清掃用具もきっちり揃えて、身の回りは毎日きれいにしてさ。そんな風に暮らしてると必ず言われるんだ。
「なら今の生活に不満はないだろう?」

 頬を何かが伝った。熱い。熱くなりすぎて俺は泣いていた。さすがにルビカンテも慌てるが、そんな様を見ても胸はすかっとしやしない。結局お前だって同じだ。
「きれいじゃなきゃ嫌なんだ。決まった場所にあるべきものが、昨日と違う場所に置かれてるのが許せないんだ」
「……なのに、面倒臭がりなのか?」
「明日なにもしなくていいように整理してるんだよッ!」
 それをお前が! ゴルベーザへの報告書はどっかに持ってったまま置き忘れて来るし! ルゲイエに指定された実験材料は塔のテキトーなとこに放置してるし! 町から妙なもの仕入れては俺の部屋に放り出すし!
「……片付けても、片付けても……動かしたものは戻さないし……そのくせ何か探すときは引っ掻き回すし」
 根がずぼらなんだ。おおざっぱなんだ。破壊はできても創造はできない。修復はできても「破壊しない」ことはできない。……片付けられない人間は、散らかさずにいられないんだ! 動かしたものを必ず元の場所に戻してれば、ずっと怠惰に過ごしても散らかったりしないのに。
 俺がやるからいいやと思ってるんだ。いや、例え誰もやらなくても構わないんだ。明日必要なものは明日用意すればいいと思っているんだ! 最初から分かっていた。魔物と人間は……乱雑さが気にならない無神経な奴と、ものぐさが極まったが故に神経質な俺とは、相容れないに決まってるんだ。

「俺は……『真面目』に戻れる環境が整ってないと、安心して『堕落』できないんだよぉ!」
「……す、すまなかったな。私も気が回らなかった。……いろいろと」
「反省してんのか」
「ああ。これからは君の負担が減るよう心掛ける」
 分かってない。絶対分かってない。俺の苦悩をお前はこれっぽっちも理解してない。
「……じゃあ俺ここを出て行く」
「それは困ると言ってるだろう、君がいてくれなければ私は立ち行かなくなる。面倒はかけないように身の回りのことは自分でやるから……ん?」
「だから……俺に依存してる時点で! やる気ないじゃないか!」
 どうして他人の世話までしなきゃいけないんだ。乾ききらない涙を拭って、ルビカンテの魔力で回復した四肢を駆使してまた駆け出した。本日……何回目の追いかけっこだっけ?
 これはべつにスキンシップなんかじゃない。本当に、本っ当に、不満なんだ!



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