凍てつく夜を超えて



 審問会を名乗らずに王宮を訪ねるのは何年ぶりだろう。下手をしたらアリスターの戴冠式以来かもしれない。彼がスカイホールドに来た時も私がデネリムに来る時もお互いそれどころではなく挨拶をする暇もなかった。知っているのは“フェレルデン王”の近況ばかりで、友人としての会話など長いこと交わしていない。
「なんだか久しぶりに思えるわ」
「あー、公的になら会ってたんだけどな。……レリアナ、健康になったみたいで何よりだ」
「そう? 今までも病気とは無縁だったけど」
 忙しくしていたから顔色でも悪く見えたのだろうかと思わず頬に手をあてる。体温を感じると共に自分が手袋もフードも外しているのに気づいて妙な気分になった。アリスターはそんな私を見て苦笑し、「病気の心配はしてないけど」と続ける。
「審問会のナイチンゲールは『私は世界のあらゆる悲劇を体験してきたのよ!』ってな切羽詰まった不健康な顔してたからさ。今はいろいろ吹っ切れたようだ」
「私を馬鹿にするなんて成長したわね、アリスター」
 確かに、教皇の左手となってからずっと神経質だった自覚があるだけに気恥ずかしい。それもアリスターに見透かされるなんて。風が急に冷たくなったのが頬に熱がのぼっているせいなら、やっぱりフードを被ってくればよかった。
「馬鹿にしちゃいない。昔みたいなスッキリした顔に戻って嬉しかったんだよ」
「……そうね。ありがとう」
 昔のように。信仰に対して無邪気でいられた頃のように。ナイチンゲールが虚偽の塊だと言うつもりはないけれど、アリスターから見れば昔の私とは別人に映ったであろうことは理解できる。あの頃は自分を信じていられたし、迷いなんてなかったもの。
 誰かの手のひらで踊っていられれば気が楽でしょう。何が正義か、何を為すべきか、これまでは私自身が考える必要などなかった。ジャスティニアに救い出されたつもりでいたけれど、私は自らを彼女に縛りつけて選択を彼女に押しつけていただけだった。だから彼女を亡くして“私”は空っぽになった。この身に、心に、残されるほどの何も築いては来なかった。
 だけど澱のように積もっていた苦悩を審問官が拭い去ってくれた。過去のすべては心を戒める呪縛ではなく愛しい思い出に昇華され、自由な未来を受け止める余裕もある。ジャスティニアは死んだのだと、私は私として生きてゆかねばならないのだと、トレベリアンが教えてくれたから。

 彼女はどこでどうしているだろう。そんな私の内心が漏れ聞こえたかのようにアリスターは気まずげに頭を掻いた。
「トレベリアンの行方を聞きに来たのか?」
「いいえ。結果が分かりきってるのに無駄なことしたくないわ」
 彼女をスカイホールドから連れ出したのはエリッサだった。責めるつもりはない。むしろありがたいと思っていた。戦いが終わった今や審問会は政治の時代に突入している。それはトレベリアンが最も忌避する地位だった。いずれ逃亡を計ったのは間違いなく、その身柄がエリッサの手中にあるなら一人で暴走されるよりもよほど安心。
「私は強制力を持ちすぎている。トレベリアンが今後どうするのか、彼女自身に決めてもらいたいの。居場所だけでも知っておきたいのは確かだけどね。……わざわざ尋ねて誤魔化されるのも嫌だし」
 彼女の居場所を聞けばエリッサは嘘を吐く。今さらそんなことで壊れる関係などないけれど、少し不満なのも事実ではある。アリスターは私の返答に「正直で結構だ」と笑った。
「その健気さに心を打たれた。隠し事をしてるのが苦しいな。……と言いたいところだが、俺も教えてもらってないんだ。ちょっと前までハイエヴァーに匿ってたが、そこから先は知らん」
「無事でいるのは間違いない。私はそれで満足よ。ただ、うちの馬鹿真面目な指揮官がね……」
「馬鹿は言ってやるなよ。彼が心配するのも無理はない」
「それでも馬鹿だと思うわ」
 一人の男として彼女のもとへ行けばいいものを、顔を合わせれば指揮官として彼女を連れ戻さねばならないとでも思っているのか、あるいは彼女自身がそう考えるのを恐れているのか、カレンは“審問官”が戻ってきてくれるのをただ待っている。イヴリンが私たちを見捨てたのだと半ば理解しながらも、自らの立場と責任に縛られて彼女を追いかけられずにいる。
「どちらがより尊いのか考えもせず、ただ手の内にあるものを捨てられないばかりに彼は身動きとれないのよ。馬鹿ね」
 コリーフィウスを倒す前ならともかく、アンドラステの使徒に見捨てられたとなれば今の審問会に命運を共にするほどの価値はない。教会を復興してもいい、新たな組織を興してもいい、私たちが存続してもどうせそれは起こること。新たな時代に差し掛かっている。秩序は我々だけで作り上げてゆくものではないのだから、審問会だけが答えではない。

 恋焦がれつつも立場ある身として心のままには動けないという共通点からか、アリスターはカレンの味方らしかった。馬鹿の一語で切って捨てる私に苦い顔をする。
「まあ、捜索に無駄足を踏んだら気の毒だから言っとくが、彼女を逃がすのにクーズランド家関係の伝手は使ってないみたいだ。ファーガス経由でバレるからだろうな」
「あなたにも兄君にも教えないんだもの。大した情報統制だわ」
「考え得るのは旅してる最中に知り合ったやつの手を借りたか。あいつが連絡をとってた商人にティグリンってドワーフがいるけど、そっちをあたってみたらどうだ?」
「オールド・ティグリンのこと?」
 エリッサの足取りを辿る難しさは思い知らされている。ブライトの調査をするために使ったルートでトレベリアンを逃がしたとすれば追跡は不可能に近い。眉をひそめる私にアリスターは見当違いな驚き方をした。
「知ってるのか。さすがに顔が広いな」
「何言ってるの、ブライトの時に何度か世話になったじゃない」
「……へ?」
「街道沿いにフェレルデンを旅してるドワーフでしょう。覚えてないの?」
 商隊を組まずに身内だけのごく少人数で商うボーダンと彼は、お互いの縄張りを明確にしてうまく折り合いをつけることで商売敵にならずに済んでいたらしく、オーズマーに帰れない者同士なにかと情報や品物を交換して交流を続けていた。エリッサが売却した物品はボーダンを介してティグリンの手に渡っていた。でなければ、ずっと行動を共にしていたボーダンが増え続ける荷をどのように処分していたと思うのかしら。

 目が点になっているアリスターに呆れ、すぐに思い直した。私たちは旅の荷物管理や換金をリーダーであるエリッサに一任していたから通りすがりに出会った商人の記憶など残っていなくても仕方ない。それに問題はそこではなかった。「連絡をとってた」とアリスターは言った。エリッサが、ティグリンに。行方を眩ませていた時期に。
「……彼、エリッサの居場所を知ってたの?」
 ようやくアリスターの受けた衝撃に気づいて顔が引き攣るのを感じた。未だ立ち直りきれていない彼は絞り出すような声で呟いた。
「万が一の時、あいつが俺に届けるべき情報を、全部預けてたのが……その商人だ」
 おそらく追放された地表ドワーフであろう、オーズマーに戻ることも他国へ渡ることもせず王の街道を廻って細々と商いを続けていた。そう、この十数年、ずっと、彼はフェレルデンにいた。ヘイブン時代には審問会にも何度か顔を出したし、私が直接品物を買い付けたこともある。おそらくはアリスターも、王都の市場で彼を見かけたことの一度や二度はあるはず。その男がエリッサに通じていたという。
「て、ことは、じゃあ、ずっと、すぐ、そばに、あいつ……の……! わああっ! 分かってたけど性格悪すぎる!!」
「そうね、分かってたけど……分かってたんだけどね」
 ずっと探していた。最初は審問会に加えるために、それを諦めたあとは消息の掴めない友をただ心配して。そして情報戦に長けた私たちが総力を結集するよりもなお、アリスターの執念の方が彼女に迫っていたに違いない。にもかかわらずエリッサはついに見つからなかった。彼女自身が姿を現す気になるまで影を掴むことさえ叶わなかった。
 友人知人の類いに手がかりを残しはしないだろう……と思わせ遠方を探し回る私たちの裏をかいて、本当はこんなにも近くに姿を見せていた。
「嘘つきの詐欺師め! 公爵の家族がそんな卑怯者でいいのかよ!」
「むしろ旧い貴族だからこそでしょう。影に忍べば秘密が手に入る。それは大きな武器になるわ」
「……まあ実際、コロッと騙されたわけだが」
 エリッサが隠密としての技能を学んだのは幼い頃だったと聞く。いつか公爵位を継ぐにせよ御兄様の支援をするにせよ、人を騙すことに長けていれば役立つと思ったんでしょう。美徳や建前よりも実用性を重んじる彼女らしい。その成果が世界で一番愛する人をも騙し通せる剛胆。
 彼女ほど存在感のある派手な人物なら敵も味方も影に隠れて動きやすくなるものだけれど、エリッサ自身が裏のやり方に慣れているから侮れない。罠だと信じて避けた場所にこそ答えがあったりもする。彼女が隠しているのだからトレベリアンを探して見つかることはないだろう。教えてもらう方法を考えた方が早いわね。

「それで、エリッサの具合はどう?」
 掌で転がされていたと知って不貞腐れていたアリスターは、それでも彼女のことを考えるとすぐに頬を緩ませた。まあ、聞くまでもなく順調そうで何よりだわ。
 女王が戻り、しかも妊娠したとあってフェレルデンは喜びに満ちている。波乱のあとで再び国をまとめるにはいいタイミングだった。山向こうから虎視眈々と窺っているオーレイも今は内乱の後始末にかかりきりで、すべてが落ち着く頃には両国の力関係も均衡がとれていることだろう。
「隣に彼女がいるだけで何もかもが違うよ」
 女王がいなくなってから数年間ずっと一人で気を張って国を守ってきた。今その腕に愛する人を取り戻した彼は、誤魔化しでも痩せ我慢でもなく心から晴れやかに笑っている。
「やっぱり俺は、彼女がいないとダメらしい」
「一人でも充分やってたじゃない。彼女が帰ってきたのはもちろん喜ばしいことだけれど、それとこれとは別よ。もう誰かにブーツを履かせてもらわなくても一人で事を成し遂げられる、立派な男性だもの」
「あいつは俺にブーツを履かせてくれたりはしなかったよ。ただ、靴の左右が間違ってたって歩けるもんだと教えてくれたんだ」
「それは……とても強引だけど、エリッサらしいわね」
「生きてれば誰だって間違える。でもその行動が価値のないことだとは限らない」
 エリッサは過ちを認めてくれる。アリスターが惚れ込んでいるであろう彼女の性質を私も知っていた。

 昔、忌むべき人物に恋をしていた。ずっとその感情を後悔していた。だけどエリッサが恋愛に過ちなどないと教えてくれた。相手がどんなに卑劣な人間でも、その恋がどれほど非情な結末をもたらしても、恋をしたのは、彼女を大切に想う感情そのものは間違いなんかじゃないと言ってくれた。
 アリスターはとても誠実で優しくて、時にそれが欠点ともなるくらい純粋な人。彼はきっとどんな状況でも、仮にエリッサと結ばれなくても自分の力で幸せを掴めたとは思うけれど、自らの使命を悟って身を捧げる覚悟をしながらも愛を得ることを諦めず、欲したものを手に入れようと思えたのはエリッサのお陰だ。
 責められるべき弱さも彼女は許す。完全無欠でなくてもいい、創造主にも見捨てられた人間としての弱さを、彼女の前では持ち続けることができる。だからこそ彼女に恥じない人であろうとする……たぶん、アリスターもそうなのだろう。
 彼の恋を最初から見守っていた。当時エリッサが心の深いところを閉ざしていたのも知っていたから、二人が結ばれた時は本当に嬉しかった。血の汚れが彼らを引き裂き、それでも諦めず再び手を取り合えたことを喜ばしく思う。
 トレベリアンがエリッサを頼ったのは賢い選択だった。正義を求める人ほど彼女が負った責任を放り出すのを認めなかっただろうから。望まないなら審問官になど戻らなくてもいい。ただ彼女にも幸せになってほしい。



 104 / 104 

back | menu | top