春を恋う魚



 ハイエヴァーのお城は寒い。死ぬほど寒い。アマランシン海に近づくほど寒さはマシになるのだと思っていたけれどそんなことはまったくなかった。まず天気が悪い。春の兆しをちっとも見せない曇天が公爵領を覆い尽くし、どこを探しても陽だまりがない。そして高地にある城塞に吹きつける風はとんでもなく荒々しかった。
 城内での自由行動を許された私は暖炉のある図書室の隅に大量のクッションを積み重ねて“巣”を作った。椅子に座ると足元が寒いし、床で寝るなんて論外。頭からすっぽりと毛布にくるまってクッションの山に埋もれる。これでようやく安心して本を読める。
 体を動かすのが億劫だった。少しの風も感じたくなかった。ぬくぬくしたかった。こんな寒いところで生まれ育つフェレルデン人の心身が強靭になるのも頷ける。だけど私の生まれたオストウィックだって荒海に面した町なのに何が違うんだろう?

 ふと頭上に影が落ちる。見上げると、仲睦まじく手を繋いだ国王夫妻が私を覗き込んでいた。アリスター王は私が到着したその夜にハイエヴァーを訪れた。エリッサが驚いていたから待ち合わせたわけじゃなく彼が後から追ってきたのだと思う。それにしては行動が異様に早い。女王がスカイホールドに現れた時もそうだった。私が王に連絡しようとする以前に彼は既に妻を迎えに来ていた。
 どれほど広く速く正確な情報網があったとて自分の歩く速度まではどうしようもないはず。まるで時間を圧縮したかのような王の素早さはとても謎めいている。
 それはともかく、防寒ばっちりの私に苦笑したエリッサの「本をベッドに持ち込んでも構わないのに」という言葉に慌てて首を振る。さすがに公爵の居城でそこまで寛げない。今でも充分、傍若無人に振る舞っている自覚はあるけど。
 エリッサが手近な椅子を引くとなぜかアリスター王がささっと先に座って両手を広げ、微妙な表情を浮かべた女王は仕方ないと呟き彼の膝に座った。……なんだろうこの光景。恥ずかしい。

「それは、修道士タイモスか?」
 他人の眼前で夫の膝のうえに座ってる妻とは思えない冷静な声で尋ねられ、呆気にとられつつも頷いた。今読んでるのは教会学者が書いたドラゴンの生態を探る研究書だ。推測と考察と妄想の違いについて悩みたくなる箇所も多々あるけれど、読み物としては面白い。
 他人の眼前で妻を膝のうえに座らせてる自分の姿をまったく気にしていない様子のアリスター王は、この本を眺めてつまらなそうに溜め息を吐いた。
「テヴィンターのドラゴンね。前にチラッと読んだが夢のある話だったよ。ドラゴンとダークスポーン、よく分からないもの二つを同一視して強引に未知の恐怖を減らしちまおうって魂胆だろう」
「ダークスポーンとの関連付けはともかく、ブライトの終わった数年内に毎回ドラゴン学が隆盛してる、という項は興味深いよ。じきにフレデリックが研究成果をまとめたら第5次ブライトのあとにもまたドラゴン学が流行ることになるのかな」
「いつの時代も物好きな学者が一人二人は必ずいるだろ。ブライト直後に流行るとは言うが、それが即ちブライトのない時代には流行らなかったということにはならないんだぜ?」
「……意外と夢がないな、アリスター王」
「楽しい夢なら見たいと思うがね」
 私と王の他愛ない会話に女王はなぜだか難しげな顔で考え込んでいる。

 どうでもいいけど、元々女性らしからぬ長身のうえに旅で痩せ衰えた体も王宮暮らしで回復された彼女はかなり体格がよくなって、いくらアリスター王でも膝に乗せて抱っこするには見た目から何から無理がある。椅子が可哀想だ。それに、床に置いたクッションの上という低位置に座る私の視点だからこそ気づいたことだけど、さっきから女王は体重をかけすぎないよう必死で足を突っ張ってる。王は早く気づいてあげてほしい。
 座りにくいとか足が辛いとか言えばいいのに、妙なところで意地を張る彼女は決して自分から不安定な姿勢を崩そうとはしなかった。過剰なほど触れ合いを求める王に気を使っているのかもしれない。何年も離れ離れで、もしかすると二度と会えなくなっていたかもしれない想い人に再会したんだし、片時も離れたくない彼の気持ちも分かるけれども。
 黙したまま『テヴィンターのドラゴン』をじっと見つめているエリッサに気づき、王はどうかしたのかと首を傾げた。
「ああ……アリスター、ドラゴン教団を覚えてる? 教団員はハイドラゴンの血を飲んで遠い先祖の記憶と知識を受け継いでいた」
「そういえばそんな戯言をぬかしてたっけな。ただの集団幻覚だろ。神殿の下にはリリウム鉱脈が走ってたし、奴らは完全に……いろいろと変だった」
「あの男が見たものが単なる幻覚か過去の真実か、それは問題じゃない。彼らはそれを共有してたんだ。ドラゴンの血とリリウム、幻視を通じた記憶の共有、洗礼の儀と似てないか?」
「……馬鹿言うな。確かに洗礼の儀はブラッドマジック染みたところもあるが、教団とは何の関係もない」
 洗礼の儀って、明らかにグレイ・ウォーデンの内部事情に突っ込んだ話を私の前でしていいのだろうか。耳を塞ぐこともできずそっと俯くしかなかった。ドラゴン教団といえば昔ヘイブンを占拠していた異教徒集団だ。さらっとすごい話を聞かされてしまったけど、なぜ彼女は急にそんな話をしたんだ?
「イヴリン、その本あとで貸してくれ。少し考えるべきことができた」
「あ、はい、もちろん」
 貸してくれというかそもそもクーズランド家の持ち物なんだけれども。まさか『ドラゴンとダークスポーンの関連性』を信じているのだろうか。さすがに王も怪訝そうに彼女を見ていた。
 疑惑の視線に挟まれながら気にも留めず彼女は自分の思考に没頭する。たぶん考えがまとまるまで答えてはくれないのだろう、彼女の対応に慣れっこのアリスター王は軽く首を振って今は放っとくしかないと苦笑した。

 どうやってか静者もどきの状態を脱したエリッサは、取り戻した正気を呼び声に蝕まれて時々ぼんやりと虚ろを見つめている瞬間がある。一瞬のそれを見逃すことなくアリスター王が彼女の名を呼び、すぐに意識が彼に向く。
 凛として居丈高な彼女が今も死の際にあるのだと忘れてしまいそうになる。本当は私を匿うことに割く余力なんてないのだろうに。
「そういえば、結局どうやってコリーフィウスを殺したんだ?」
 急に水を向けられ、直前までブライトに関わる話をしていたから尚更ビックリした。もしかすると“救世主”にとって私はもう部外者ではないのか。
「ウォーデンに乗り移らせて共倒れという通常の手段は使えなかったんだろう」
「それ通常の手段なの……?」
「知らなかったのか。アーチデーモンは魂なきダークスポーンに憑依して甦る。抹殺するにはウォーデンの体と魂が必要だ」
 コリーフィウスが不死でも驚かず、それでもグレイ・ウォーデンなら倒せるはずなのにとモリガンが首を傾げていた理由はそこにあったんだ。そして思わずアリスター王の顔をまじまじと眺めた。彼がエリッサの不在を望んだのもそのためだ。コリーフィウスが、ウォーデンである彼女の肉体に乗り移ることを恐れて。……あれ? でもじゃあどうして十数年前にアーチデーモンを殺した彼女が今も生きているんだろう。
「えー、と、とりあえず、コリーフィウスの生命を断つ方法は分からなかった。だからこの印で裂け目を開いて、フェイドの僻地に閉じ込めた」
 正確には“殺した”わけじゃない。脅威を終わらせたのだから同じことだと顧問達は言うけど、誤解が広まり定着するのは不安かつ不愉快だった。
 アダマントの砦でも同様の現象が起こった。私は裂け目を作り出してウォーデンを支配する魔法を妨害したに過ぎないのに、フェイドでの経緯を知らない者の中では「審問官が偉大な魔法を用いて腕の一振りですべてを解決した」ことになっている。私自身にはその力がないのに名前ばかりが肥大化してゆく。そうして次に望まれる“奇跡”はどんどん大きくなる。

 気分が落ち込み始めた私に容赦ない一言が投げつけられた。
「雑だ」
「うっ……」
「確実に息の根を止めてもいないのに望み通り生身でヴェイルの向こうに送ってやったのか。古代のダークスポーンは地道な努力を苦にしないらしいが、フェイドで生き延びる方法を見つけて漆黒の都へ侵入されたらどうする?」
「で、でも、それが可能ならとっくに成されていたはずだ」
 コリーフィウスはフェイドに入る方法だけなら始めから知っていた。だから印を用意したんだ。フェイドを歩いて都に辿り着けるなら私たちが敵の存在に気づく前に成し遂げられたはず。ウォーデンを支配したり女帝を暗殺したりまだるっこしい仕事に励む必要はなかったんだ。そうしなかったのは印をなくしたから。これがなければ漆黒の都に入れないから。……確証があるかと言われれば口を噤むほかないけれど。
 私を気遣ってのことだろう、アリスター王が宥めるようにエリッサの肩を叩く。
「まあ少なくとも、アムガラックで大雑把すぎる仕事したやつには言われたくないよな」
「あれは緊急だったから仕方ない」
「事後処理の話だ。それ以前にカル・ヒロルの繁殖地を潰した時も、リリウムの塊でブルードマザーを圧殺するなんて何を考えてんだか」
「今のところ何もないじゃないか」
「今のところないだけだろ!」
 どうも不穏なキーワードがちらつく。世界を救った人の仕事の雑さを聞かされるのは恐ろしい。世界規模の影響力で失敗したら被害はどこまで広がることか。そして今や私も同じ問題を抱えているんだ。
「……後々のことを考えてたとは言えない。私にできたのは、とにかく今コリーフィウスをこの世から消すことだけだった」
「こいつが手厳しすぎるんだ。審問会は充分よくやってくれたよ」
 同じくかつて世界を救った一人であるアリスター王に言われると気が楽になる。けど、続く女王の「やけに庇うんだな」という言葉に凍りついた。

「彼女と個人的に仲が良いのか、アリスター?」
「そうだな。まあ、いい友人だよ」
「え、あの、光栄だけど、決して変な仲ではないから!」
「違うのか。では、もしよかっ」
 まさかの愛人疑惑に焦る私になぜかものすごくいい笑顔のエリッサが何かを言いかけた瞬間、王がその口をぎゅっと手で押さえて留めた。
「あのなぁ、節操なしもいい加減にしろ。審問官には恋人がいるだろ」
 なぜ浮気を疑われている側が諭しているのか。もしや女王は浮気推奨派なのか。世の中にはいろんな趣味嗜好の持ち主がいるとレリアナが言ってたけど彼女がそれなのか。疑問符が飛び交う私をよそにアリスター王もちょっと暴走気味だった。女王の口を塞いだまま私を見る目が据わっている。
「あんたが明らかに俺の妻の好みだから警戒してるんだ。正直かなり切実に、さっさと指揮官殿のところへ戻ってほしい。というか彼は何をやってるんだ? こんな危なっかしいお嬢さんはしっかり捕まえとけよ! 俺が困る!」
 どうしよう、夫妻の両方から愛人疑惑をかけられている。あり得ないと言い切るのも失礼な気がして困っていたら、王の腕を逃れたエリッサが代わって弁明してくれた。
「心配せずとも私は彼女の好みではないよ。そうだろう?」
「え……ま、まあ」
 確かに私はもうちょっと寡黙で穏やかな人が好きだったりするので、王も女王も良い友人ではあるけれど精力的すぎて恋をするには疲れる相手だ。だから二人の懸念は無意味だった。が。
「そんなことはない」
「えっ」
 真顔で言い切るアリスター王に、私もエリッサも呆気にとられた。
「……いや、そんなことあるかないか決めるのはイヴリンだろう」
「お前を好まない人間なんかいない。全人類が俺のライバルだ」
「……」
「……」

 惚気という名の爆弾を真正面から食らって私は硬直してしまった。一歩も動いてないのにさっきまでの寒さが嘘みたいな熱を感じる。毛布はもういらないな。
 先に立ち直ったのはエリッサだった。遠い目をして「何の話をしてたか忘れた……」とぽそり呟き、深くシワを刻んでいた眉間を揉み込むようにして気を取り直すとアリスター王を振り返り満面の笑みで宣う。
「まだデネリムに戻らないのか?」
「俺が居ちゃ悪いのかよ」
「二人揃ってここにいたらまたアノーラが爆発するぞ」
「だから帰りたくないんだろうが。言っとくけど、お前が黙って消えたあとも大変だったんだぜ」
 それはもしかしなくても彼女が私を迎えにスカイホールドへ現れた時の話だろうか。王宮では承知のことと思い込んでいたけれど、万事整えていたらあの早さはあり得ない。彼女は政務を放り出して私のところへ来てくれたんだ。考えてみればエリッサは数年間音信不通にしていた祖国に戻ったばかりの女王。本当に、私に構ってる場合じゃない。
「あなたが先に帰って怒られればアノーラも疲れてパワーダウンするかもしれない。その隙に私も帰る」
「おい! 俺を盾にするな!」
 悪びれない囮宣言に憤る王もどこ吹く風でエリッサはしれっと肩を竦めて言った。
「私は安静にしてなきゃいけないんだから、その分あなたが働いてくれ」
 そのうえ、忘れていた自分にびっくりだけど、彼女は妊娠しているのだった。少なくともそういう話が出ているのは確かだ。見た目がちっとも変わっていないので疑わしくはあるけれど、事実ならおめでたい。そしてますます私に構ってる場合じゃない。
「……そうだな。尤もだ。俺がお前の分までしっかり働かなきゃな。一家の主として」
「一家どころか一国の主だが」
「でもアノーラに怒られる時は一緒だ」
「はあ……」
 彼女を放っておけなくてアリスター王はここにいる。先程の言葉を聞く限りでは、彼女が私に靡かないか心配なのだ。納得できないけど理解はした。
 私はエリッサに助けを求めるべきではなかったな。逃げたいなら一人で行方を眩ませればよかったんだ。船だけでも借りられるならアンティヴァみたいな暖かい国へ行ってみようか。もう寒いのは懲り懲りだけど、二人の邪魔になるのはもっと嫌だから。



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