Love experience



 夕食にもまだ早く、ちょっとばかり時間をもて余していた時のことだった。やけに愛想のいい笑顔でエリッサが言った。
「アリスター、薔薇通りに行ってみないか?」
「嫌」
 即答した俺に彼女は面食らっているようだ。魂胆は分かってる。薔薇通りの意味を俺が知らないとでも思ってたんだろう。アンティヴァへ来てすぐは確かに知らなかったさ。名前からしてきっと花の咲き誇る美しい大通り? なんて勘違いしていた。
 薔薇ってのは女性のことだ。つまるところ薔薇通りとは、色街を指す言葉だ。
「夫に女を勧める妻がいて堪るか」
「べつにいいじゃないか。今まで恋愛してる余裕がなかったんだから、これから弾けてみたって」
「結婚してなかったらそれもいいかもしれないけどな」
 エリッサへの恋が成就されていなかったとしたら、いろんな経験をしてみるのも楽しかっただろう。だが俺は初めて恋した女と結ばれたんだ。この幸運をなぜわざわざ自分で手放さなきゃならない?
「妻が構わないと言ってるんだから結婚してることなんて関係ないのに」
「あのなぁ……俺としてはそんなことを勧めてくるお前が他の男とどうにかなりやしないか心配だよ……」
「私は浮気なんてしないよ」
「ほんとかなぁ」
「だってあなたが嫌がるだろう」
 ……そう思ってくれるんなら普通は俺に「女遊びしろ」なんてことも言わないだろ。こいつの考え方って未だによく分からないところがある。愛されてるからってまったく油断ならない。
 たとえ商売女が相手だって妻のある身で遊ぶ気になんかなるわけがないだろうに。他人の迷惑を顧みず自分の欲求に対してだけ情熱的だった両親のせいで、俺がどれだけ不愉快な思いをしたか。
「こんなの不倫とは言わない。誰かを好きになるのはいいことだ。何も私と別れろと言ってるわけじゃないんだし、楽しめる時に楽しんでおけばいいのに」
「楽しめる性格に思えるのか?」
「女慣れしていないのをもったいないと思うだけだよ」
 それはもしかすると夫婦生活の何かしらに不満があるからお姉さまがたと遊んで修行してこい、って意味だったりしないよな、まさか? うん、気づかなかったことにしよう。
「お前はなんだってそう俺を他の女のところへ行かせたがるんだ。むしろ嫉妬してくれるくらいの方が嬉しいんだけど」
「そういう嫉妬心はない」
「うん……」
 知ってる。知ってるけどさ……。俺が誰かと仲良くしてエリッサが悔しがるとか拗ねるとか、そういうことは夢のまた夢なのか? いや、彼女が嫉妬深い女だったとしても俺が複数の恋を楽しむなんてことは起こり得ないけど。
 そもそもが人見知りの激しい性格なんだ。浅い付き合いなら適当にやり過ごして誰とでも仲良くしてみせるが、愛だの恋だのって話になるとそれこそ一生を懸けて向き合うべき想いなんだ。俺にとっては。エリッサに気持ちを打ち明けるまでだってどんなに神経をすり減らしたことか。また一から誰かと同じ関係を築くなんて考えただけでも気が滅入る。決して楽しいことにはならない。
「俺はもう、お前が好きなので手一杯なの。他の女にかまけてる余裕なんかないよ」
 エリッサはまだ不満らしくぶつぶつ文句を言ってるが、とにかく手を繋いで仲良く娼館に連れて行かれるなんておかしな事態は避けられそうだ。
「納得できないな。もっといろんな人間を知りたくないのか? それに、子供だって……欲しいでしょう」
「あー、もしかしてそれを気にしてるのか。そりゃできたら嬉しいだろうけど、どうしてもってわけじゃないよ。世継ぎのことは……まあ、なるようになるさ」
 結婚云々以前に俺が王になることを考え始めた頃から既にその問題は目に見えるところにあった。グレイ・ウォーデンは汚れのせいで子供を作るのが困難な体となる。相手が同じくウォーデンであるエリッサでは、ほとんど絶望的といっていい。まだ分からないが、少なくともこれまでの間にその常識的見解が破られる気配はなかった。
 世継ぎを求める声は大きい。だが、なんだったら養子をとればいいと思っている。何かが違えば俺じゃなくアノーラが玉座に腰かけていたんだ、今さら俺の実子じゃなきゃ絶対ダメなんてことはないだろう。
「俺が欲しいのは、俺とお前との子供だよ。息子でも娘でもお前に似てればとんでもなく可愛いだろうと思う。だから、子供欲しさに相手を変えるなんてのはまったく意味のないことだ」
「……じゃあつまり、私がどうにかするしかないのか?」
「どうしても俺の子供が欲しいなら、そうだな」
「もしどうしても、本当に、私とでは不可能だったら?」
「その時は……諦めてくれと言うしかない」
 もしくは彼女の方が俺以外の相手を探すかだけど、そんなことは言えない。
 エリッサは俺の人生に拘っている。こうやってアンティヴァに来たのもそうだ。ろくでもない幼少期の埋め合わせに、俺に好き放題して甘え倒せる時間を与えてくれた。そして色恋にうつつを抜かしていられなかった俺の青春のために、もっとたくさんの恋をしろと言う。
 もし俺の父親が違ったら。もしイーモン伯爵が正式に俺を養子にしていたら。もし俺が人間関係に及び腰でなければ。人生を謳歌する方法はきっといくらでもあったんだと思う。だが、心を閉ざすことを選んだのは俺自身だ。不幸だったとは思わない。その生き方こそが、俺という人間なんだ。
「俺は恋愛経験の乏しさを不幸だとは思わないよ。お前がいろいろ気を回してくれるのは嬉しいけどさ」
「……私と結婚していることがあなたの幸せの妨げになってほしくないんだ。それだけだから。無理矢理なにかをさせたいわけじゃない」
「分かってるって」
 俺には家族がいる。それで充分だ。他には何も必要ない。もしかしたらいつかはエリッサの望むように、敬愛する義兄が妻を亡くしてそうしたように、別の誰かを愛する日が来るのかもしれない。彼女がいなくなったら。そうしなけらばいけなくなったら。でもそれはずっと先の話だし、できることならそんな日が永遠に来ないよう足掻けるだけ足掻くつもりだ。
 困ったような顔をしたまま俺を見ている彼女の頬に触れてみる。このぬくもり、やわらかさに代えられるものがあると思うか?
 結婚とか家族とか、憧れながらも自分には縁のないものと思っていた。この結婚こそが俺にとって人生最大の幸せといっても過言ではない。何度も彼女を失いそうになった。でも手に入れたんだ。それだけで何にも勝る経験だろう。



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