I BEG YOU!
ロザリングから少し東、南方地方伯爵領を臨む平原にブライランドの軍が陣を敷いていた。山岳に点在し不気味に蠢く影はすべてダークスポーンだ。そう実感すると領地を取り戻す自信がなくなってしまいそうで、伯爵はあえて進軍すべき方向から目を背けた。
辺りには絶え間なく犬の鳴き声が響いている。フェレルデンの代名詞とも言うべきマバリのものではなく、愛玩に向くような仔犬の甲高い声だった。援軍として駆けつけたクーズランドとハウの末子がそれぞれ怪訝な顔をするのにもはや苦笑を返す気力もない。
「一体なんのつもりだよ、あれ」
「南方地方伯の娘が仔犬を買い漁ってるという噂を聞いたけど、本当だったんですか」
「……ああ、まあ、そうなんだ」
まさしく群れの中心にいるハブレンこそが仔犬の飼い主であり、伯爵の娘であった。国家の危機たるこの時に彼女の願いを叶えるためにブライランド家の財産が尽きかけているのは辛い現実だ。
「……戦いの邪魔をしないのなら私は構わないけどな」
「いや、既にかなり邪魔だろ? 兵士の幕舎とっちゃってるし」
元来の犬好き娘エリッサ・クーズランドに比べると、トーマス・ハウはハブレンの暴挙になかなか手厳しい。完全に正論なので言い返せなかった。トーマスは素直ないい子だ。だからこそ同情する。ブライランド伯爵は密かな溜め息を吐いた。
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知能の低い怪物どもだが数だけは無制限に湧いてきた。まともに戦っていてはこちらが消耗するばかりだ。取り戻すべき城は山間にいくつも隠れているから、こちらが先に息切れしないよう小さく戦わねばならない。
エリッサ達はこれから少数を率いて暴れまわり、騒ぎにつられてダークスポーンが出てきたところへ軍が雪崩れ込み拠点を確保する。それはもう、本当に、ハブレンがここにいるはずではなかったのだが。
「他人事じゃないぞ。彼女は君たちについて行くつもりなんだから」
「……はあっ!?」
冗談は止せと二人の目が語る。ブライランド伯爵は堪えきれずにそっぽを向いた。
冗談だと思いたいのはこちらだって同じなのだ。娘の馬鹿げた思いつきに付き合わされ一番迷惑しているのは伯爵と南方地方の兵士たちだった。だから彼らに厄介者を押しつけ……否、大切な娘を預けるのだ。
「あの仔犬たちは訓練されている。ハブレンの言うことしか聞かないが……まあ、それなりの働きはできると思う。でなければさすがに許可しない」
「いやいやいや、あんな小さい犬にマバリの真似事をさせるつもりですか!?」
「娘が言うには、“フェレルデンの犬はマバリだけではない”そうだ」
「私のマバリの方がかわいいけどな」
「そういう問題じゃないし張り合うところじゃないし同意もできないからエリッサは黙ってろよ!」
泣きそうな顔で怒るトーマスは正しく常識と良識を心得ているのだろう。彼の歩む道の険しさは自分にも身に覚えがあるものだった。
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いや、確かに犬はいい、人間の騎士たちと違って餌だけ与えていれば彼らは満足するのだから維持費はさほどかからない。剣も鎧も不要、名誉も金貨も無関心。最高だ。勝って得られる旨味に乏しい南方地方では兵を募ってもなかなか集まらず、戦地がどこでも文句を言わない灰の戦士とマバリは重宝する。
そう、マバリならよかったのだが。仔犬に囲まれて戯れるハブレンの姿を眺め、ブライランド伯爵もトーマスと似たような心境でいた。諦念と自棄だ。
「仔犬なのに軍として機能するのなら、むしろ感心する」
「言ってる場合じゃないって。あんなの連れて戦えるかよ!」
「陽動にはいいんじゃない? うるさいし、ダークスポーンは寄ってくるだろう」
「ちょ、納得しないでよ部隊長……」
半ば事態を許容しつつあるエリッサに遠い目を向けたトーマスよりもさらに遠い声でブライランド伯爵は呟いた。
「まるでホワイト・リバーで戦いに明け暮れた頃の我々を見ているようだ、懐かしい」
「それ負け戦じゃないですか!」
「不吉なことを言わないでください」
すかさず責め立てられて乾いた笑いが零れた。でも事実だから仕方がない。彼らはハブレンの性格を知っている。ブライランド伯爵は、彼ら以上に熟知している。父親としては、せざるを得なかった。だからこそ仔犬と一緒に軍に加わりたいという娘の要求を飲んだのだ。
「……二人とも、娘をよろしく……頼むっ」
「あっ逃げた!」
「押しつけられたな」
「育児放棄反対ーー!!」
涙ぐましいトーマスの叫びには同情するが、怒声を背中に受けて心は晴れやかだった。
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どれほど手塩にかけても子はいつか親の庇護を離れてゆく。友人アルフスタナも名残惜しそうに言っていたじゃないか。悲しいが仕方ない、これが親の役目、必要なこと。心からの安堵を以てハブレンを送り出したい。
在りし日ホワイト・リバーでは好戦的なクーズランドとハウに連れられあちこち駆けずり回るはめになった。彼らの自由奔放さには大変な苦労を強いられた。子供たちに罪はないけれど、これも宿縁というものだろう。親の手にも負えないわがまま娘とて同年代の若さで抑えられる……かもしれない。
大人はもう戦いに疲れてるんだ、これからは君ら若者の時代だろう!