きわめて平坦に差し含む
寝入ったところを襲われたのであろうか、ハウが見つけたとき、彼女は寝巻き姿で血に塗れていた。闇に浮かぶ双眸が鋭い光を放つ。見た目には手負いの獣のようだった。
傷は見当たらないのでその赤は返り血なのだと分かる。しかし、痛みに呻いていた。ここへ来るまでに倒れていった部下と同じく化け物の体液を浴びて毒にあたったのだろう。すぐに息絶えた彼らと違って彼女はふらつきながらも立っているが、耐性でもあるのかもしれない。
暗がりから湧き出でた怪物が襲い掛かる。ハウは距離を詰めさせることなく弓兵を嗾け、それを殺した。
「大丈夫かね」
「ハウ、伯爵……」
こちらへ向けられた視線が背後の兵士たちへと移る。ハウは未だ逡巡していた。今――チャンスなのではないか。このままこいつを殺せば怪物どもの仕業にしてしまえる、手間が省ける。しかしなぜダークスポーンがハイエヴァーにいるのか。ブライトは本物だったのか。だとしたら……。手にした武器を誰に振り下ろすべきか、迷うハウに部下が耳打ちする。閣下、南から近づいてくる集団があります。
オスタガーに向けて旅立った軍は、まだそう遠くへ行っていないはずだ。ふと気まぐれに振り向けば城塞に上がった火の手が見えるに違いない。異変を察知し、引き返してくるだろう。この混乱の中でハイエヴァーの精鋭兵とまで戦うなど御免であった。
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にこりと安心させるような笑みを浮かべた彼は、とても寝起きには見えなかった。確りと覚醒していた。まるで最初から眠るつもりなどなかったようだ。付き従う兵士たちも同じく、戦いに挑む準備が万端整っていた。
呼吸を落ち着けると、エリッサは改めてそれらを眺めた。
「ありがとう伯爵、助かった。しかし……随分と用意がいいな」
「戦には慣れているのでね」
白々しく応えたハウに動揺は見られない。エリッサは首を傾げた。寝室に、忍び込んだというよりはまさしく湧いて出たかのような怪物に、驚きはしたもののすぐに殴り殺してここまで駆けてきた。年嵩の彼が自身よりも冷静でいられたとして不思議ではないのだが。
ハウは武装していた。客間で眠っているところを襲われたようには見えなかった。兵の統制がとれすぎていた。あらかじめ襲撃を察知していたのかと思えるほど完全に機能している。そんなはずはないのに。ではなぜ? なぜハウは“戦いに備えていた”のだ。
「オスタガーには行かないと言ったくせに」
ブライス公爵が留守の間に手勢を連れてハイエヴァーを巡察することだけ承知したけれど、彼はブライトの真偽に確信が抱けるまで戦争に加わるつもりはないと言った。出兵を拒否したのだ。戦闘の備えがあるのはおかしい。深夜の襲撃になぜこうも容易く対処できたのか?
疑念が晴れない。尋ねなければと口を開くのと同時、またあの薄ら寒い気配がした。目の前の男がにやりと笑う。
「そんなことを話している場合か?」
押しつけるように剣を手渡された。ひとまずは戦わねばならない。この、明らかに何かを企てていた男とともに。怪物よりもむしろ背後に注意を向けて剣を構えた。
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化け物は食料庫の奥から城に侵入していた。通路を封鎖し、ひとまず休息の時を得る。城塞の外にもダークスポーンが溢れているとしたら、朝までに戻るだろうブライスが襲われるかもしれない。周辺の様子を把握しておかなければと思いつつ、ハウはこの隠し通路の位置をしっかりと記憶した。
「あなたは疑わしい」
すぐ横から怒気を孕んだ声が聞こえ、振り向くと言葉以上に剣呑な瞳がハウを見ていた。戦いながらずっと考えていたのか、この子供。ハウはほくそ笑んだ。
計画は保留しておこう。今でなくともいい、機会はいつだって訪れるものだ。焦ってすべてが無に帰すよりは耐えて見送る方がマシだ。ハウは脱ぎかけた衣を再び身にまとった。
「私がいて良かったな、お嬢さん? ブライスが戻るまで、あの化け物どもから守ってあげよう」