うろ覚えの愛し方でもよかったら
ロゲインが無言で睨みつけるとマリクは大きな体を縮こまらせて床に視線を落とした。交わす言葉もない二人の間に置かれた揺りかごの中では生まれたばかりの赤ん坊がすやすやと眠っている。
「どうしてそう考えなしなんだ」
「な、何も考えなかったわけじゃないよ」
「だが結果を見てみろ」
「うぅ」
偉大なるフェレルデン王を涙目にさせても叱責を緩めることなく、ロゲインはいかにも忌々しげに溜め息を吐いた。
赤ん坊はアリスターと名づけられた男の子。ようやく物心ついたケイラン王子の弟、れっきとしたマリクの息子だ。それで終わりならめでたい話だが、生憎とアリスターは妾の子だった。
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マリクの無責任を詰りつつ、ロゲインにも彼の気持ちが分からないではない。モイラ女王亡きあと重大な責任を一身に背負わされたマリクは、ただ一人で国を引き受ける役目までケイランに継がせたくなかったのだろう。せめて共に戦える兄弟がいればとこぼすのを戦争中にも何度か聞いた。自分を兄代わりに慕っているともロゲインは分かっていた。
しかし、ケイランの弟妹が欲しかったならローアンとの間に作るべきだった。他の女と通じあってできた子を女王に押しつけるわけにはいかない。ローアンは受け入れるかもしれないが、きっと深く傷つき、夫妻の間に走った亀裂は修復不可能なまでに広がるだろう。
「お前は……」
やはりローアンに対して気持ちがないのではないか。そう尋ねかけてやめた。王子のことならともかく夫婦の仲にまでは口出しできない。当人同士に任せるしかなかった。
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マリクは赤ん坊の処遇に頭を抱えている。不義密通の後始末として、最も簡単な方法はアリスターの誕生を誰も知らないうちに殺してしまうことだ。しかしロゲインもその選択肢には気づかないふりをする。名前をつけた時点でそんな道を選ぶはずがないのだ。
庶子としてでも王宮で育てられればよかったが、マリクには未だ敵が多すぎる。あまりに長く続いた戦争は国の隅々にまでオーレイの血を流し込み、粛清しきれなかった裏切り者たちは臣従を誓った裏側でマリクを陥れる隙を常に窺っていた。そんなところに妾の子など放り込めばどうなるか。
獣の群れにも等しい貴族に囲まれ、マリクの手元でアリスターを育てることはできない。といって一介のメイドでしかない母親に押しつけるのも無情に過ぎる。
「私は、イーモンに預けようと思ってるんだけど」
アリスターの母親はイーモン伯爵の邸宅で働いている。マリクは妻の実家であるゲリン家との繋がりを深めるため頻繁に義弟を訪ねていた。と考えれば、そこで別の女を愛してしまったのはひどい皮肉だ。
「イーモンか……」
「彼なら信頼できる」
「それは否定しないが」
父子として名乗り合えずともアリスターが実母のもとで過ごせるならばそれも良いかもしれない。だが素性の分からない子供を育てることをイーモンの周囲はどう考えるだろう。殊に、伯爵夫人は。
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戦争に敗れてオーレイに逃げ帰る家族とは別れ、一人フェレルデンに残ってイーモンと結婚したイゾルデ夫人は、愛情のためも足場固めのためにも切実に自分の子供を欲している。そんなときに夫が誰の子とも知れぬ赤ん坊を保護すればどう思うかは一目瞭然だ。否、彼女が勘繰らずともアリスターの父がイーモンではないかと疑う者は必ずや現れる。一度でも噂が聞こえればイゾルデは赤ん坊を放っておかないだろう。
悪意ある噂を避けるためアリスターは放逐されるか、疑惑の晴れないままゲリン家に本当の跡継ぎができてもそれはそれで問題だ。逆にこのまま夫妻に子供ができなければ、いっそのこと父親の名を公表した上でアリスターをゲリン家の養子にしてしまうかもしれない。
「……いや。彼は確かに誠実で善良だが、それでもやはり根っからの政治家だ」
いつか利用できるときがくれば迷いなくアリスターに流れるマリクの血を利用するだろう。イーモンは愛情をもってアリスターに接してくれるかもしれないが、それを脇に置くことができるのが貴族というものだった。
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できることならロゲインは、政の道具となるべく生まれたようなアリスターをその運命から逃がしてやりたかった。マリクもケイランもフェレルデンに住まうすべての者のために放り出せない責任を負わされている。せめてこの赤ん坊だけは、そこから遠ざけたかった。
「いっそ充分な資金を与えて母子とも外国に出してやればどうだ?」
「そんな厄介払いみたいなことしたくない。ただでさえ大々的な援助はできないのに」
「偽善はやめろ。どう始末をつけるにせよ厄介払いには違いないんだ。お前はアリスターに何も言い訳できない」
「わ、分かってるよ。悪かった。ただ、彼女には娘がいるし……なるべく王宮と関わらせないようにしたいんだ」
そう聞いてロゲインはついマリクの脛を蹴り飛ばした。悲鳴をあげかけた彼はアリスターの寝顔に目をやり慌てて口を塞ぐ。咄嗟の判断力だけは褒めてやっても良い、と思った。もちろん言葉にはしてやらないが。
母親にも家庭があるとなればまた話は変わる。下手にマリクとの繋がりを明かせばそちらの家族まで政治抗争に巻き込まれかねない。
「母の名を伏せておくなら尚更イーモンのところへはやれんな。あまりに近すぎる」
「実は以前、ブライスにも相談したんだ。でも彼には自分で責任をとれと突っぱねられた」
「至極尤もだ」
「ううぅ……」
クーズランド家にはすでに男児がいる。確かアノーラと同じくらいの歳だった。代々続く公爵家とはいえ当主の人柄ゆえにゲリン家ほど作法にうるさくはないので、アリスターのことも純粋に家族の一員として迎えてくれるに違いないが、だからこそ安易に引き取ろうとはしないはずだ。
父を誇りたくない息子はいないのだから。アリスターが抱くはずの理想を壊さないためにも、マリクは最善を尽くすべきだ。
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アリスターは未来に何の不安もないような顔で眠っていた。現実をその通りにするため二人して頭を悩ませ続けている。
「如何にすべきか……。というか、なぜ私がお前の愚行をフォローしなければいけないんだ」
「私の子なんだぞ。君の子も同然だろう」
「どういう理屈だ。人聞きの悪いことを言うな」
「自分の身に置き換えて考えてくれって意味さ。私より君の方が良案を思いつけるじゃないか。西方丘陵の戦いみたいに、劇的な作戦でなんとかしてくれよ」
無茶苦茶なことを吐かすなと殴りつけたい気持ちでいっぱいだったがロゲインは額の青筋を揉み消して唸るに留めた。
自分の身に置き換えてといっても、自分なら妻以外の誰かと子供を作るなどありえない。王たるマリクと違ってもし仮になんらかの形で孤児を引き取らねばならなくなっても、そのまま我が子として迎えてしまえば済むのだから単純な話だ。
「……そうか」
改めてアリスターの寝顔をじっくりと眺めた。薔薇色の頬が家で待っている妻を思い起こさせる。ロゲインにとってはそれで充分だった。
「私が引き取ればいいんだな」
「……へっ?」
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考えたくはないが、ケイランに万が一のことがあったときのために目の届くところにいてほしいという部分もある。とはいえ本当にどうしようもなくなるまで政に巻き込まれず育ってほしい親心もある。妾の子だと後ろ指さされず、貴族の食い物にもされず、マリクの息子として、ロゲインなら万全の状態でアリスターを引き受けられる。
農民あがりの英雄であるロゲインはイーモン伯爵やブライス公爵と違って貴族たちとの間に良くも悪くもしがらみがない。ロゲインの目を盗んでまでアリスターに取り入り、ケイランの地位を脅かそうなどと無駄な策略を巡らせる愚か者はまずいないだろう。
そしてまた独立の功労者である彼が後見人となれば、庶子といえども無下に扱われることはない。そうさせない自信があった。自信に見合う権力もある。
「では今日にも我が家に連れて帰るとしよう。彼の母親とその娘についてはお前が自分できちんと落とし前をつけろ。いい加減なことをしたらアリスターには二度と会わせないからな」
ぽかんと口を開けっ放して固まっているマリクは話についていけていないようだ。無理もない、まさに盲点だった。諸侯の口出しを受けず、尚且つマリクの目の届く場所でアリスターを守れる人間がこんなにも近くにいたのに。
ローアンも、ケイランも、愛した女性やその家族、そしていずれ父のことを知るアリスターも傷つけたくない。すべてうまくやろうとしたばかりにマリクは泥沼にはまりこんでいたが、浅い傷なら癒すこともできる。いつかアリスターの胸は痛むだろうが、友としてマリクの不器用な愛だけは伝えたかった。おそらくそれを教えてやれるのはロゲインだけなのだ。