ベガは依存を示し
壇上に立っていると自分がどれだけ注目を浴びてるのか見ないふりするのは難しかった。雑談しながら、食事しながら、こちらに背を向けていてさえ俺の動向を探っているのを感じた。嫌な気分だ。
でも慣れなきゃいけない。これから先は一日の大半をこうして過ごし、一生の大半それを繰り返すことになるんだから。
幸いにもエリッサがそばにいるのでかなり気が楽になった。互いを失う危機に何度も瀕したが、それでも二人揃ってここにいる。不愉快で面倒な仕事が山のように待ち受けているとしても彼女が一緒にやってくれるなら心強い。
……たぶん、きっと、一緒にやってくれる、はずだ。俺たちは結婚するんだし。皆の前で何度もそう言ったし。
そのエリッサは今、壇上にはいない。戴冠式の間中ずっと気もそぞろだった彼女は俺に「兄と話しに行っても構いませんか」と尋ねて、その慣れない口調にびっくりして何も考えないまま頷いてしまった俺を振り返りもせず飛ぶように兄のもとへ駆けていった。
アーチデーモンを殺した直後に昏倒してしまった彼女がファーガス・クーズランドの生還を知ったのは、目を覚ましてすぐ、つい昨夜のことだ。その時から彼女の目には兄の姿しか映っていなかったように思う。
本当なら先に兄妹のために個人的な時間を儲けてやりたかったんだが、エリッサは国民にブライトの終結を宣言するのが最優先だと言って夜を徹した王宮の掃除に参加した。
ようやく言葉を交わせるようになった今、彼女は人々の視線に晒されながらも気にすることなく兄と話をしていた。
個人的な時間を必要としているのはむしろ俺の方だ。こんな人目のある場所で「ちょっと感動の再会はそれくらいにして俺にも構ってくれないか」なんて言えるわけもないよな……。
彼らが何を話してるのかは聞こえない。俺に分かるのはエリッサの表情だけだった。
グレイ・ウォーデンとしてではない、フェレルデンの英雄としてではない、女王としてでもない、誰かに見せるために作ったものじゃなく彼女の内心そのままに笑っている。再会の喜びも喪失の哀しみも内包され、ただ兄への深い愛情となって浮かぶ切ない笑顔だ。
知ってる言葉を全部使っても言い尽くせないくらい多くのものがそこに表れていて、嫌というほど理解してしまう。彼女がどんなに家族を想っているか。彼がどんなに大切なのか。
他の誰よりも、何よりも、それだけを求めてきたのだと、口で言うよりずっと強く感じてしまう。
俺はろくに話もできなかったが、見る限りファーガス・クーズランドは想像したような人物じゃなかった。
なんというか、エリッサの兄というともっと貴族然としたシャープな人間を思い浮かべていたんだが、彼はむしろレッドクリフ辺りの酒場で一杯引っかけてる冒険者のようだった。
グレイ・ウォーデンの中で慣れ親しんだ粗野で気安い空気を持っていた。つまるところ、好感が持てる。
彼はおおらかに微笑んで妹の髪を撫でた。エリッサはくすぐったそうな顔をして拗ねてみせつつ兄の手から逃れようとはしなかった。
慈しむように触れ、当たり前にそれを受け止める。なぜだか彼らを見ていられなくなってそっぽを向き、酸っぱいワインを思いきり呷って噎せた。
気づけば俺の傍らにはイーモン伯爵が立っていた。彼はエリッサの代わりに俺へ集中する視線を和らげてくれている。俺が彼女との距離に動揺しても、皆はしばらくそのことに気がつかないだろう。
「……伯爵。ちょっと聞きたいんですが、女王ってのはずっと王宮にいるもんですよね?」
ケイランはしょっちゅう出かけてしまって滅多に王宮にいなかったそうだ。実際に首都デネリムに住み、王国全体を仕切っていたのはアノーラだった。
エリッサもそうするはずだ。そして俺も変わり果てた人生に慣れるまでは勉強のため王宮に籠りきりになるだろう。イーモン伯爵は俺の意図を正確に理解したうえで、なかなかに人の悪そうな笑みを浮かべて首を振った。
「王のできないことを補うのが彼女の役目だ。あなたが王宮から離れられない間、女王が各地を奔走するはめになるでしょう、陛下」
「えっ……」
「それに女王が自身の領地を持たないとは限らない。年中領地で暮らすわけではないにせよ、四六時中一緒というのは無理だろうな」
心臓の音が鎧に反響してなければいいんだが。いや、いっそのこと彼女にまで届いてくれないだろうか。そうしたらエリッサは俺がここにいることを思い出すかもしれない。イーモン伯爵はニヤニヤしながら彼女を見やり、更に続けた。
「グワーレンも領主がいなくなってしまったな。彼女が公爵の地位に相応しくないとは誰も言わないだろう」
絶句だった。グワーレンなんて、ブレシリアンのまだ向こうだぞ。氷結海に面した僻地じゃないか。遠すぎる。ハイエヴァーでさえ考えるだに心細いってのに、そんなのってないだろ……。
「まあ、昔からクーズランド家は仲睦まじかった。ブライス公爵とエレノア夫人は互いに別の用を抱えているのでない限り一緒に行動していた。ああも共に過ごす時間の多い夫婦は貴族には珍しい。子供たちが生まれてからは毎年デネリムに連れてきたものだ。彼女は仕事のために家族と離れるということには慣れていないだろう」
「……それは、安心していいのかどうか、判断しかねるな」
彼女にとって離れていたくない家族というのは俺なのか、彼なのか。……考えるまでもないじゃないか。
エリッサが今までハイエヴァーに戻らないつもりでいたのは、そこにクーズランド家がなく、彼女の果たすべき役割もないからだった。今は違う。
彼女の兄が生きていて、きちんと父の跡を継ぎ公爵になるのなら……クーズランド家が取り戻されるなら、彼女が家に帰らない理由なんてあるのか? 戻ってお兄さんを支えたいに決まってる。
俺は彼女が王宮にいなければならない理由を考えておくべきなんだろうか。……選ばせなくてはならないのか。最も大切なものよりも、君を必要としている俺のそばにいてくれ、って?
近いうち、きっと彼女はハイエヴァーに帰りたいと言うに違いない。俺と結婚したのはフェレルデンのためにそうするしかなかったからだ。彼女が望むなら、俺は認めてやるべきだ。エリッサは俺の望みを叶えてくれたんだから。
ファーガスとの話を終えると彼女は民衆の前に姿をあらわし、俺たちは夜まで話をする機会を与えられなかった。
もともとは、王と女王の寝室は別だった。ケイランが使っていたという兵舎に近い部屋がダークスポーンの襲撃で潰れてしまったので、俺とエリッサはひとまず執務室を兼ねたアノーラの部屋で寝起きすることになる。
ほんの数時間でとてつもなく離れてしまったような気になった。物言いたげな彼女に気づかないふりをし続けたせいで部屋には妙な緊張感が満ちていた。
だが彼女がそんなことに気後れするわけもなく、俺とまっすぐに向き合ってエリッサはついに口を開く。
「アリスター、お願いがあるんだけど」
「だ、駄目だ!」
間髪入れず言った俺にエリッサは驚いたようだった。
俺は国王として、アーチデーモンを倒した英雄の願いを聞いてやらなければいけない。そうする義務があるし、俺自身そうしたくもある。
もし彼女が「兄と共に暮らしたい」と言ったら引き留める術は何もなかった。結婚式もあるし、しばらくはここにいると彼女は言ったけれど、その後はどうなるんだ?
「言っとくけど、お前が面倒見なきゃいけないのはハイエヴァーだけじゃない。お前はハイエヴァー公爵じゃなくて、女王なんだぜ。南方はブライトの被害がもっと深刻だし、この首都だって、女王がよそへ出かけてられる状態じゃない……」
そんなこと俺に言われなくても分かってるだろうに。ここでダークスポーンと戦い、フェレルデンを窮地から救ったのは彼女自身なんだ。今すべきことをエリッサ以上に弁えている者などいない。
「だからその、俺一人じゃ貴族どもにナメられるだろ? 多くの助けがなきゃ王になれなかった男だと知ってるはずだ。イーモン伯爵だって付きっきりではいられないし、右も左も分からない俺を放り出していくなんて無責任なことしないよな? お前が俺を王にしたんだから」
なぜ脅してるんだ。違う、そうじゃない、責任を押しつけて無理やり留めるなんて御免だ。彼女は充分すぎるほど義務を果たしてきた。もう、自由に生きていい頃だろう。
……行かないでくれ。嫌なんだ。お前にとってはそれが一番、幸せなんだと分かってるのに……。ずっとそれを願っていたのを知ってるのに。
グレイ・ウォーデンになって以来、彼女がなくしてしまった笑顔を取り戻す日を。彼女が、俺の知らないかつての姿を取り戻せることを。ずっと願ってたのに。
それ以上なにも言えなくなった俺を静かに見つめ、彼女は無感動なグレイ・ウォーデンの顔で呟いた。
「ハイエヴァーには戻らない。兄がうまくやるだろう。私は……あの地に必要ない。私がすべきことはここにある。分かってるよ」
不意にゴルダナのことを思い出した。今こそ忘れているべきだったのに思い出してしまった。
父親は、俺の人生を苦いものにした張本人だ。母親のことは何も知らない。異母兄はダークスポーンに惨殺された。唯一残された異父姉は、俺の存在を拒絶していた。
エリッサは違う。彼女は兄に求められている。ファーガス・クーズランドこそ最もエリッサの支えを必要としている人間だ。
覚悟はできていたはずだ。それがこの国を、彼女の故郷を救う唯一の道なら、王になると決めたはずだ。たとえ彼女と離れることになったとしても。……でも……。
きっといつか、お前を解放してやるから……もう少しだけそばにいてほしいんだ。
あとほんの少しで構わない。俺にも一人ではない日があったと思えるまで。一度は望むままに生きることができたのだと感じられるまで。この腕のなかに彼女の愛を抱けるまで……。
エリッサはいつか俺がバラを渡した日のように困惑しきった顔で手を伸ばし、俺の頬にそっと触れた。
「アリスター、私はあなたを一人にはしない」
「そうしてくれ。……できる限り」
まだ俺は彼女を必要としている。彼女がブーツを履かせてくれなければ裸足でいばらの道を歩くはめになるだろう。
だが、そうじゃなくなれば……彼女の助けがなくても玉座に腰かけていられるようになったら、きっと、彼女の手を離さなきゃいけない。