永遠なんか無い
フェレルデンを守るために成すべきことをすべて成し遂げたネリアは、ブライトの終結へ向かう最後の戦いを控えても常と変わらぬ無表情を保ってアリスターの前に立っていた。
「では、リオーダンが失敗した時のことを決めておこう」
その声音に緊張や恐怖といった色はなく、ただひたすらに平坦で、日常キャンプにおいて「明日市場で買っておく物は何か」と相談する時と全く同じだった。
自分との別れの瞬間が迫っているかもしれない、にもかかわらず冷静な彼女に今更とは知りながらもアリスターは少しショックを受ける。
「俺にも意見を言う権利はあると思うぞ。先に言っとくけど、お前がトドメをさすってのは無しだ」
「もちろん言いたいことは言ってくれて構わない。私がそれを必ず受け入れる義務はないが」
ひょっとしたら怒っているのかと疑いたくなるような仏頂面だが、長く共に過ごしてきたアリスターはこれが彼女の素の表情だと知っている。
ネリアが決戦を前にしながらもすっかり寛いでいるのは、自らが為すべきことをもう自分の中で決めているからだ。そしてアリスターが何を言おうが、それを変えるつもりなど更々ないからだ。
彼女は自分の死を招いてでもアリスターをそこから遠ざけようとしている。
つい先程リオーダンから告げられた事実はアリスターを大いに焦らせた。グレイ・ウォーデンとして使命に命を捧げる覚悟はとうの昔にできていたが、それが彼女にも適用されるのだという当たり前の事実がなぜか頭からすっかり抜け落ちていたのだ。
しかし思い返せばあの時、間髪入れず「私がとどめをさす」と言った彼女も実は焦っていたのだろうか。落ち着き払った外見からはとても想像できないけれど。
「俺にお前を看取れって言うのか? 御免だね」
「今更そんなことを言うなんて驚きだ、アリスター。出会った時から二人ともグレイ・ウォーデンだった。とっくに覚悟はできているものと」
細身の肩を大袈裟に竦め、エルフの魔道士はいかにもわざとらしく嘆いてみせる。
「覚悟は、していたさ。ああもちろん……でもそれは……」
それはたとえば、いつか地底回廊に行く時になっても、死が二人を別つまで彼女の背中を守るという覚悟だった。それが最早叶わないだろうことは分かってる。彼女への愛情を自覚した時、アリスターはただの男に過ぎなかったが、今やフェレルデンの王だ。恋人を守るために容易く投げ出せはしなかった。この命はアリスターだけのものではないのだ。
しかし、だからといって彼女が犠牲になるのをはいそうですかと受け入れたくもない。
戦いの中に生きてきた。そしてずっとそこで過ごすのだと思っていた。いつか命を落とすかもしれないなどと、洗礼の儀を受ける時には覚悟を決めていた。
だが足掻いたうえで力及ばず死ぬのと、何もできず何もせずに死ぬのでは違う。勝利と引換の犠牲にネリアを差し出すなど真っ平なのだ。
アリスターの強情を前に、余裕綽々だったネリアの表情がいくらか曇った。
「……リオーダンの気遣いはありがたく受けるが、今までだって予測不能の事態は何度もあっただろう。明日それが起きないという保証はない。だから今は彼が失敗したらという仮定で話す。彼の次にアーチデーモンに挑むのは私だ」
「お前の提案は、俺を死なせないためだけに出されたものだ。遺される俺を憐れむ気持ちはないのか?」
「嫌われても傷つけても気にならないけど、あんたが好きだから先に死なれるのだけは我慢ならない」
卑怯なほどストレートな告白はしかしあまりにも身勝手で、アリスターは思わず顔をしかめた。
「知らないかもしれないから言っておくが、俺も同じ気持ちだ」
彼女と違って、嫌われてもいいと思い切った言葉は吐けないが、その弱さを隠して意地を張る。
どんな状況下にあろうとも彼女を愛している。二人で一緒にいようと誓ったのだ。全力を尽くして守りきれなかったとしたら生涯自分の弱さを責めるだろう。だがしかし、守ることを放棄するなんて絶対に許されない。
「黙って見てろとでも言うのか? お前がアーチデーモンと共に血を噴きながら倒れて、冷たくなるのを見て喜べと? 俺が死ななくてよかったと!」
ああ駄目だ、考えただけで気分が悪いと吐き捨てる。ネリアは困ったなと小声で呟き頭を掻いた。あまり困っているように見えないのがまた腹立たしかった。
「リオーダンが失敗したら、俺たちのどちらか、その時に動ける方がやればいいだろう。二人ともグレイ・ウォーデンなんだ。俺もお前も、同じ義務と権利を持っている」
「あんたにはウォーデンであること以外にも責任があるだろう。あんたが死ぬ覚悟を決めるのは私の心臓が止まった後でなければいけない」
全く正論すぎて彼女を嫌いになりそうなくらい、アリスターの腸は煮えくり返っていた。
「俺の記憶が正しければ、王になるより前からウォーデンだったんだがな」
「ウォーデンは他にもいる。王は一人だけだ。ブライトの後にもフェレルデンを守らなければ。あんたがウォーデンとしての役目を負うのは、最後の一人になった時だけだ」
だがアリスターを王にしたのは彼女ではないか。王でなければ、彼女と同じただのウォーデンであれば、国なんか背負っていなければ彼女が死ぬところを見なくて済むのに。
肩を並べて戦い、彼女を守り、彼女を庇って死ぬことが許されるのに。お前が一番大事だと言えるのに――。
「王になんかなりたくなかったよ。ずっとそう思ってる。今が一番、そう思える」
「でも自分で選んだことだ」
「よく言うよな。誰がここまで導いたんだっけ?」
皮肉めいたアリスターの返しも気にすることなく、いつになく優しい声でネリアは言った。それはさながら幼子をあやす母のようだった。
「アーチデーモンはリオーダンたちに任せて今から地底回廊に行くか? 二人で力尽きるまでダークスポーンを殺し続けるんだ。あんたが望むなら私は一緒に行こう。ブライトは誰かがなんとかしてくれるだろう」
「……そんなこと、できないに決まってる」
「違うな。できないんじゃない、やらないだけだ。あんたは王の職務を全うしなければならないと考えている。望まないことでも、それをやろうと決めたのは自分自身だ」
両手で顔を覆って天を仰ぐ。言葉を発すれば創造主かネリア自身を罵倒する言葉が噴出しそうで、アリスターはただ無意味に嘆息した。
「参るよな。王になんかなったせいで、好きな女とは一緒になれないし、お前を守って死ぬことすらできない。ひどい話だ」
「そうだろう。だから王になれと言ったんだ」
「なんだって?」
さらりと聞かされた衝撃の言葉にアリスターは目を見張った。とうの彼女は何を今更とばかりに不思議そうな顔でアリスターを見つめ返している。
「私だっていろいろ考えたさ。勝っても死ぬのが定めならブラッドマジックに頼ってみるか、とか。フェイドで適当な悪魔と契約すれば死んでもこの世に留まれるかもしれない。正直そんなことも考えた。でも駄目だな。魂が壊れてしまうならたぶん私は跡形も残らないんだ。主のもとへ還ることもなく、霊となって留まることもなく、あんたが死んでフェイドに行っても二度と会えない。私はいなくなるんだ」
「いやしかし、お前は本当にひどいな」
何よりも守りたかった女が死ぬかもしれない、それを無理やりに受け入れさせた挙げ句、もっと残酷な事実を思い出させるなんて。
「消えてしまうのだから私は悲しまないと思う。でも、そうなっても忘れないでほしい。あんたに残された時間が尽きるまで、私がアリスターを好きだってこと、覚えていてくれ。そうすれば真実は消えないだろう?」
「……覚えておくさ。こんなに性格の悪いエルフのこと、忘れようがないよ」
やっとの思いで言えたのはそれだけだった。今夜もまた悪夢を見るだろう。それはきっとブライトが終わる夢だが、アリスターにとっては悪夢なのだ。
泣き言と悪態のどちらがより彼女を困らせることができるだろうかと悩む。そんなアリスターの肩を、彼の気持ちもどこ吹く風でネリアが叩いた。
「さて、今までの話を大前提に一つ提案がある」
「はいはい、なんでも聞きますよ。もうどんなこと言われても傷つくもんか。お望みのままに、マイマスター」
「今からモリガンの部屋に行って彼女を抱いてくれないか」
皮肉っぽく笑おうとした。しかし失敗した。唇の端が中途半端にひくついて、こめかみの辺りから熱いような冷たいような鋭い感覚が広がってゆく。これは何だろうか?
「そいつは凄い。今まで生きてきて一番……最低の気分だ」
「そんなことはないだろう。王としての責任と重圧を感じた時にも同じような気分を味わったと推測する」
「まあ、確かに、そうだけど」
「加えて言うなら、どうせいつかはこうしなければならない」
たとえブライトを生き延びてもアリスターには王としての責務が待っていた。彼女の言う通り、いずれはそういう日が来るのだ。どんなにネリアを愛していても、彼女ではない誰かと子を成さねばならない時がいつか。
だが、あまりといえばあまりにも冷たい物言いじゃないか。
「もし俺に選ぶ権利があるのなら、その相手がモリガンじゃないことだけは間違いないね」
グレイ・ウォーデンの使命なんて知らないという顔をしたままネリアはあらゆるものを救ってきた。フェレルデンのあちこちに残るその足跡のすべてがブライトの終わりへと向かっている。
悪夢の中心に近づくごとに彼女がアリスターに起こす言動は残酷になっていくようだ。少なくとも、彼にはそうとしか感じられない。
「お前は自分のことだから確信を持ってるのかもしれないが、俺はたまに自信がなくなるよ。お前は本当に俺のことを……今でも……好きなのか」
彼女の仏頂面がさらに歪んで、あからさまに眉を寄せた。こうも分かりやすく怒った顔をするのも珍しくて思わずまじまじと眺めてしまう。
「馬鹿なアリスター。いや、馬鹿なのは知っていたが、そこまで重症だとは思ってもみなかった」
「ああ、そういえばお前はあまり俺を馬鹿扱いしないよな」
「頭が悪くても分別はある人間だと考えていたからな」
「そりゃ気の毒に、致命的な勘違いだ」
「……いや。あんたは愚か者ではない。私があんたを好きだってこと、ちゃんと分かってただろう、せめて王になる前までは」
そう、確かに。ただ使命に向かう戦士として二人で生きていた頃はちゃんと彼女の愛を感じていた。自信をなくしたこともあるし、戸惑うこともあったが、それは些細なことだった。今ほど酷い気分ではない。
グレイ・ウォーデンであるという事実が多くの一般的な幸せから二人を遠ざけていても、自分たちなりに愛し合い、幸せに向かって歩んでいると思えていた。
しかし今では本気で分からなくなることがある。散々にわたって嫌だとこぼしていたのにネリアは躊躇なく「王位を継げ」と言った。愛している、一緒にいたいと囁いたその口で別の女との結婚を勧めた。
そしてアリスターに嫌われることも傷つけることも厭わないと宣い、彼女の死を受け入れさせ、そのうえで嫌いな女と寝ろと命じる、その想いが見えない。
「訳が分からない。どうやってお前の愛を感じろと?」
しばしの沈黙の後、あ、と手を打ってネリアは慌てて付け加えた。
「言い忘れた。すまない、私も焦ってるようだな。今夜あんたがモリガンと寝れば私たちが二人とも生き残れるかもしれないんだ。そうだとしたら、彼女の部屋へ行ってくれるか」
「……ええ?」
それは願ってもない話だ。真実なら、だが。残念ながらモリガンという魔女はアリスターにとって即座に信じ頼ることのできる存在ではなかった。
「モリガンと、アーチデーモンと、ウォーデンの宿命と。何の関係が? その儀式はどんなものだ?」
「内容を聞けばあんたは本当に怒ると思う」
「なら遠慮する。怒りは腹一杯、もう充分だ。じゃあ、それで俺たちが二人とも助かるというのは確かなのか?」
「それは絶対とは言えない。そもそもアーチデーモンに辿り着けず死ぬ可能性もあるし、リオーダンが奴を殺せば儀式は意味のないものになるからな。しかし儀式の効果のほどは、有効なものだと私は確信している」
「それはあいつへの友情、信頼からくる確信か?」
「いや、魔道士としての確信だ。モリガンの知識はフレメスから得たもので、彼女はブライトについて深い知識がある。術式はよく分からないが、その方法が事態の解決に繋がるだろうとは私にも理解できた」
彼女の言葉を噛み砕きつつ、アリスターの眉間はますます深いシワを刻んだ。フレメスの魔法、モリガンの申し出。母と娘どちらが企んだにせよ彼女らの関わる魔法が邪悪でないはずがない。だが、それでも。
己の正義に悖る行為に及んでも、この世で一番嫌いな女と寝るはめになっても、それでもし本当に二人とも生きられるなら。彼女が助かるなら。失わずに済むのなら。
どうせ……ブライトを止めて生き延びたら、どうせこうなるのだ。捨てるべき執着は今のうちに捨てた方がいいのかもしれない。ネリアを見習って、ただ愛する人を生かすことだけを考えるべきなのだ。
「……分かったよ。お前を信じよう」
いまいちアリスターの望む愛され方ではないのだが、それでもネリアが彼を生かそうと足掻いていることだけは感じられた。もとより分かり合うために愛したわけではない。理解できないからこそ愛しいのだ。
「アリスター。何が起きても一緒にいようと言った、その気持ちは今も変わりない。私は常に最善を尽くしている。もしも約束が破られるとしたら、それは私が死んだ時だ」
世界がどのように動いて、どんな風に変わろうとも、二人の関係に影響はない。どのような形でも構わないのだ。
「あんたが好きだ、アリスター」
「分かってる。俺もだよ」
ただ、ただひたすら、一緒に生きたい。彼女に生きていてほしい、そのほかには何もない。
死が二人を別つまでは。