夜を塗り替える腕



 部屋に戻るとアリスターは、ベッドの上にあぐらをかいてぼんやり虚空を見つめていた。ちょっと暗いけど、デネリムにいるよりはリラックスできてるみたいだ。
「おかえり。遅かったな」
「ごめん、もう寝てるかと思ってた」
「寝てた方がよかったか?」
「そういうわけじゃないよ」
 どうせ今夜は眠らないつもりだった。書斎から持ってきたものを読んでおきたいから明かりが必要だし、アリスターが起きてるなら気を使わずに済んでありがたい。
 それに、この部屋で安眠するには、忘れてしまうには、早すぎる。たぶん悪夢を見るだろう。
「よくあんな真っ暗な中をここまで帰ってこれるな? お前を探しに行こうと思ったんだけど、怖くてやめたよ」
「やめて正解だ。間違いなく迷子になる。私は部屋の場所を体で覚えてるから帰ってこられるだけだ」
 生まれ育った家だから。そう呟いたら、アリスターは神妙な顔をして辺りを見回した。まるでこの場所が私の部屋だと初めて気づいたかのように。
 夜通し明かりを点しているのは人が居るところ、城主の部屋と使用人棟、今日は加えて私の部屋だけだ。今のハイエヴァーには城のすべてを見張っているだけの人員が揃ってない。
 衛兵もファーガスの部屋の前にしかいないし、廊下には月明かりが射し込むだけで足下もよく見えない。フェレルデンに残るただ一人の公爵が住む城塞とはとても思えない無防備さだな。
 でも厳重な警戒を敷かなくたって平気だ。……奪われるほどの物など何も残ってはいないのだから。

 机に向かおうとしたところでアリスターに捕まってベッドに引っ張り込まれ、仕方なく抱えてきた荷物をシーツの上に広げた。彼は作業に取り掛からせまいとするように私の肩に凭れてくる。
 なんでやたらとくっついてくるんだ、邪魔くさい……と払いのけようとして、私たちが夫婦だということを思い出してやめた。危うくまた悄気させるところだった。
「お前は、ここで育ったんだな」
「うん」
「俺たちがここに住むのは無理なのかな?」
「無理」
「即答かよ。もうちょっとなんかこう、言い方があるだろ」
「ハイエヴァーは田舎なんだ。たまに来るのはいいけど、王が住むべき場所じゃない。どれだけ便が悪いかは行きしなに思い知ったはずだ」
「……いや、全然分かんないなあ? またあの獣街道を馬に乗って帰るのを想像したら、楽しみで尻が痛くなってくるよ」
「それでもここに住みたいか? 低地に降りれば多少は賑わってるけどね。国の中心にはなり得ない」
 喧騒と人の気配を好むアリスターはこの静けさに馴染めないと思う。
 それに、こんな状況でなくたってそもそもハイエヴァーには人が少ないんだ。険しく荒々しい山岳が人の侵入を拒み、手つかずの森ばかりが無秩序に広がっている。
 城がボロいのだって……ハウの軍に破壊されたからってだけじゃない。私が生まれた時から壁も天井も穴だらけだったもの。自慢じゃないけど。

 広げた紙束を私の肩越しに覗き込み、アリスターは何を読んでるんだと尋ねた。首に息がかかってくすぐったい。
「ハウの取引記録だよ」
 彼と癒着して不当に利益を貪っていた貴族から財産を接収するつもりだ。本当なら取り上げた金は素知らぬ顔でここに置いていきたい、金が欲しいのはハイエヴァーも同じだから。
 ……けど、そうしたらファーガスはきっと擲つようにすべてを王宮に献上してしまう。だったら最初から私が自分で勘定して必要最低限だけ持っていく方がマシだった。
 ハウは、内乱が終わったらここに住むつもりだったのだろうか。我が家にとっては不幸中の幸いと言うべきか、彼は財産のほとんどをハイエヴァーに移していた。
 手紙束を眺めていても懇意にしていたのはアマランシン以外の貴族や商人ばかりだ。もう、その理由を尋ねることはできないけれど……。

 金勘定から思考が逸れ、ハウの署名を呆けて見つめていたらアリスターに脇腹を小突かれた。なんだか今日はやけに突っかかってくるな。
「あのさ、こんなこと聞くのもあれだけど、俺たちの結婚式はいつ挙げるんだ」
「……え?」
 まったく予想外の言葉に反応が遅れ、私の鈍さを勘違いしたアリスターはうっすらと涙目になった。
「ま、まさか忘れてないよな?」
「覚えてるよ。一年後くらいの予定だけど」
「えっ……、なんでそんなに先なんだ!?」
「お金がないから」
 デネリムが瓦礫の山のままなのに結婚式なんてやってる場合ではないだろうに。町の復興が最優先だ。だからハウの遺産を漁ってるんじゃないか。なんせロゲインの所蔵は本当にすっからかんになっていたので。
 それに、祝宴は急いで済ませない方がいいんだ。今はブライトの終わりを喜ぶことに気をとられ、汗水流して働いている国民だが、すぐに限界がくる。
 彼らが自身の中に溜まった疲れに気づいてしまう頃、アリスターが彼らを守ってくれたこと、王への感謝を思い出させるタイミングで結婚式を執り行うのが最適だ。

 しかしアリスターは不満らしい
「もうちょっと早くならないか……?」
「何のために。既成事実はあるんだ、急ぐ理由はない」
「俺が困るんだよ!」
 だからなぜと重ねて問えば、アリスターは私の背中に額を押しつけて唸り声をあげた。
「……い、一応、式を挙げるまで待つべきかなぁ、とか思ったり……してるからさ」
 待つとは……何を、ナニを? え? ちょっと待て、意味を理解し損ねたぞ。
「今さら何? もうやることやってるくせに」
「それを言うなよ! だって本当はそういうもんだろ? あの時は……こ、こうなるとは思ってなかったし、結婚するとなったら、ケジメはつけないと、な?」
 アリスターの純情さには驚かされ戸惑い呆れてきたけれど、まさか婚前交渉は気が引けるから早く式を挙げたいなんて、そこまでだとは。
 べつにしたいならいつでもすればいいんだ。私は嫌だともダメだとも言ってないのに。
「兄さんに何か吹き込まれた?」
「えっ!? い、いや全然! 何も!?」
「ふぅん……」
 夕食後、彼らは話をしたはずだ。ファーガスのことだから「ぐだぐだ悩んでるくらいならさっさとやっちまえ!」くらい言ったんじゃないかと思ってたんだけどな。

 戴冠式の日以来、アリスターはなるべく私に触れないようにしていた。そのくせ近くにいたがる。
 彼が手を出しあぐねているのも、私に何を求めているかも分かっていた。けれど私にはどうしてやることもできない。
 恋をしてるふりくらいしようと思えば可能だろう……でも、嫌なんだ。アリスターに対してはせめて誠実でいたい。大切に想えばこそ嘘はつけなかった。
 王には世継ぎが必要だ。ましてアリスターの玉座は不安定だから。彼の生い立ちと性格から愛人を作るのは無理だろうと思われた。
 だったら、グレイ・ウォーデンの体質上、見込みがなければ私と離縁して他の女と子供を作らなきゃいけない。彼が本気で私に恋しているのなら、後になるほど納得するのは難しくなる。
 私が血の穢れに追いつかれる前に誰か他の人を見つけてほしい。願うのはそれだけだ。共にブライトに立ち向かい、私たちが築き上げた絆は恋慕でなくても結べるものだと分かってほしい。
 恋していなくたって私はアリスターが大切だ。それが一時の安らぎにでもなるのなら、望まれれば応えようとは思うけれど、どうせいずれ終わる日までのことだ。……無駄じゃないか。

 まるで私の思考を遮るように後ろからきつく抱きすくめられる。本当に今日は、変だ。今までこんな風に積極的に触れようとはしなかったのに。
 背中に鼓動を感じる。心臓が早鐘を打っている。やっぱりファーガスに何事か唆されたんじゃないのか?
「アリスター、息がくすぐったいんだけど」
「うん」
「うんじゃなくて」
 胸の下に回された腕を掴んで離そうとするほどアリスターの腕にも力が入る。性差も体格差も私に不利だ。
 引き剥がそうとムキになって、四苦八苦してもびくともしない。腹が立ってぴしゃりと腕を叩いてやったらくすくすと笑う吐息が膚を撫でた。
 妙な気分になりそうだから本当にやめてほしいんだけど。

 数分の格闘は無意味に終わり、諦めてアリスターに抱きつかれたままハウの手紙に視線を戻す。首がくすぐったいのもだけど、単純に、暑苦しいという弊害がある。集中できない。
 もう今夜は徹底的に私の邪魔をしたいらしいアリスターは、私の首筋に顔を埋めるようにして囁いた。
「お前さ、もうちょっと危機感持ってくれてもいいんじゃないのか」
「危機感も何も、私は別にあなたを拒んではいない」
 アリスターに恨みがあるのは事実だ。グレイ・ウォーデンの名誉のためにロゲインを殺したことを決して許せはしないだろう。でもそれで何もかもが無に帰されるほど浅い関係だと思っていない。
 ただ一度の裏切りで、ただ一つの憎しみで、彼のすべてを拒絶するはずがないじゃないか。腹が立つ以上に愛しいのだから。
 結局、ロゲインは戦いに負けたんだ。父さんがハウ伯爵に負けたように。ただそれだけのこと。私の想いまでアリスターが背負う必要はない。
 裏切り行為で身を縛っているのは彼自身だ。このままでいいと、彼が思っているんだ。……私はただ、彼の判断に任せているだけ。

 アリスターがふと顔を上げたので、今まで彼が触れていた首筋が少し寒く感じた。
「なあ、もし俺とお前の間に子供ができたら……、お前は嫌なのか? グレイ・ウォーデンの子供は嫌?」
「えっ」
 突然そんなことを言われて動揺した。そういえば、それは考えてなかったな。できないだろう、可能性は限りなく低い、そう聞いていたからできなかった時の対策ばかり考えていた。
 いつかこの関係が終わるまでに、終わった時のために、やらねばならないこと……、終わらなかった場合のことはまったく、顧みれば不思議なほど念頭になかった。
 確かに絶対にないと言い切れるわけじゃない。私がアリスターの子供を妊娠したら……? それは……それなら、彼の恋を終わらせる必要はないのか……? だとしたら私は、彼の気持ちに応えられるのか?
「えぇと、不安要素はあるけど、まあ最善と言えるんじゃないのかな。もし私が務めを果たせるな、ら」
 アリスターは私を抱いていた腕を離すと素早く私の両肩を掴み、無理やり自分の方へ向き合わせた。急な半回転によろめいてベッドに手をつき、勢いで舌を噛みそうになった。
 彼は……餓えた獣のようにギラついた目で私を見据えていた。

「そうか」
 なんだその邪悪な笑顔は。似合わない、似合わないぞアリスター、まるで悪魔があなたの顔を被ってるみたいだ。
「分かった」
 何を分かったのかと私が尋ねる前にアリスター(悪魔?)は、散らばった手紙を残らずベッドの外へ放り出した。
「ちょ、ちょっと……」
 それデネリムに戻る前に終わらせたい急ぎの仕事なんだけど。聞く耳持たず彼は私の右手を握った。思わず顔をしかめる。力が強すぎて手首が痛い、優しさのかけらも見当たらない、アリスターらしくない。
「俺、頑張るよ。頑張ることにしたから。お前が嫌だと言っても」
「え」
 頑なな声音に、据わった目に、私では勝てないと知っているその腕の強さに、背筋が粟立つ。冷や汗が流れた。頑張るって……今? いやそもそも……、
 アリスターはずっと私の都合よく動いてくれた。私に遠慮し、判断を任せ、文句は言いつつも唯々諾々と従ってきた。
 応えきれないほどには求めず、私の引いた線を越えず、稀有な忍耐力で彼は諦めることに慣れていた。私への恋もそうするはずだった。彼はその誠実さゆえに踏み越えてはこないだろうと、どこかで高をくくっていたんだ。



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