優しさに手枷



 森に囲まれた高地に建つハイエヴァーの城は、アマランシンの港町と比べるまでもなく静けさに包まれていた。
 静謐というよりは単に寂れていると言うべきか。あちこち壁が崩れたままで使用人の姿も見かけない。ダークスポーンの被害こそ受けなかったが、この場所も先の戦乱で大きな痛手を被っていた。
 夏でも夜はかなり冷えるという。次の冬が来る前に修復を終えられればいいんだが、エリッサは余裕がありそうだからいくらか銀貨を持って行くなんて血も涙もないことを言っていた。
 彼女の生まれ育った家から財産を奪うってのはどうも気が引ける。国全体がもっと深刻に困っているとしても、だ。
 渋る俺を諭したのはファーガス公爵だった。
「あれは元々ハウがデネリムから横領したものだからな。首都の復興に使うのが筋だろう?」
「理屈はそうかもしれないが……、情に訴えてあなたに余計な負担をかけてるようで嫌なんだよ」
「気にするな、弟が兄貴に頼るだけのことさ」
 ごく自然に弟と呼ばれて反応しきれなかった。そう、エリッサの兄である彼は、今や俺の義兄だ。
 ……ケイランが異母兄だという事実を自分なりに受け入れるのには結構な苦労を要したが、ファーガスについてはすとんと腑に落ちる。たぶん父親の身勝手で繋がった血縁じゃなく、俺が望んで結ばれたエリッサの繋がりだからだろう。
「とにかく、ブライトの被害が軽微だった北部には資財を貯め込んでいる貴族も多いんだ」
 知り合いをせっついて援助させればハイエヴァーはなんとでもなるさと彼は明るく言ってのけた。なんというか、この朗らかさは稀有な資質だな。

 エリッサは今頃マバリと城を歩き回っているはずだ。一緒に居たかったが、きっと彼女は一人になりたいんじゃないかと思えてついて行けなかった。手持ち無沙汰に部屋で寝転がっていたところに義兄が来てくれたのは、だからとてもありがたかった。
「あー、その、ちょっと込み入った話をしても?」
「もちろん」
 尋ねたくても口に出せない疑問がありすぎる。ファーガスの気安さに救われていた。国王扱いされないこともあってハイエヴァーに来てから俺はかなり寛いでいる。今なら、彼になら、聞けるだろう。
「……ロゲインをどう思っていたのか、聞かせてほしいんだ」
「ん? そいつは予想外だな。妹の好きなタイプでも聞かれるかと思ってたよ」
 それはそれで聞きたいけど、聞いても仕方ない。少なくとも俺のような男ではないと分かっている。彼女は俺を好いてくれてるが、許してはいない。気にかかるのはその原因だ。俺がロゲインを……殺したこと。
「もしあなたが俺の立場なら、フェレルデンの王だったとしたら……」
 彼を処刑しただろうか? 間違いなく、エリッサなら彼を許したと思う。罪を償わせるのだと称しながら、きっとただロゲインに生きていてほしいがために。

 しばらく黙り込んで何か考えに耽っている様子だったファーガスは、次に口を開いた時には快活さがなりを潜めていた。
「オリアナ……俺の妻は異国人だった。知ってるか?」
「えっ? あ、ああ。エリッサからちょっと聞いたことがある。アンティヴァの出身だとか」
「うちはあまりそういうのを気にする家じゃなかったが、俺があいつと結婚して以来なんとなくエリッサが公爵を継ぐという空気になっていたんだ」
 それは俺の質問に関係あるのかと戸惑いつつ聞いていた。確かに彼女には末っ子らしい気楽さがないように感じてたけど、あの頑ななまでの強い責任感は次期公爵としての自負が育んだものだったのか。
「エリッサはクーズランド家を愛し、自分が背負ったものの重さを理解してる。たとえば俺がオリアナと結婚して異国の血が入る、なんてことは気にしないが、侵略により心性を損なわれるのは何世代にも渡る家名への侮辱だ。そんなことは許せない、許してはならないのが貴族の矜持……いや、領民に誓った義務だな」
 それはきっとエリッサが、城を襲って家族を殺したハウ伯爵よりも彼女から名を奪ったダンカンこそを強く憎んでいたように。命を奪われるよりも、名を剥奪される方が許せない。命あっての物種だと思う俺とは違う。
 エリッサはクーズランド家を、ハイエヴァーを、フェレルデンを心から愛している。それが彼女のすべてだ。マリクへの反発が根本にある俺とは、故郷への想いが徹底的に違っていた。

 でもそれがロゲインと関係あるのか? あの男は、べつにエリッサの家族ってわけじゃない。言葉にしなくても雄弁な俺の視線を受けて、ファーガスは苦笑した。
「とにかく妹は根っからの貴族だってことさ。で、何を話すべきか……そうだな、オーレイ帝国の占領下で貴族の女がどんな扱いを受けたか知ってるか?」
「……いや」
 シュヴァリエが道端で哀れな民を打ち据える。傀儡の王を据えて国のすべてを搾取する。仮面をつけた洒落者連中がフェレルデンを食い荒らしていた話は聞いている。でもそれは所詮“聞いた話”でしかない。
 人と人の争いの醜さは知識として理解してるが、現実に俺が体験したのは今回の内乱だ。占領というものを具体的に思い描くのは難しい。オーレイとの戦争はただ噂程度に聞き齧った昔の出来事に過ぎなかった。
 でもそれはファーガスやエリッサだって同じはずだが。俺も彼らも、生まれた時にはオーレイの影など見当たらなかったんだから。
「虐げられてたっていうなら、貴族も農民もそう変わらないだろ?」
「ああ。この国のほとんどはオーレイのものだった。我々の城は彼らの家だった。さて、主人である彼らが家に帰り要求するものは? 食事か、寝床か、女か?」
 土地、財産、何もかも。まあ戦争なんて何時如何なる理由で起きても結末は似たようなものだ。勝者は敗者から略奪する。でも身分や地位をなくすのが死ぬより酷いこととは思えないんだ。人間扱いされず虐げられたのは王から農民まで皆同じだろう。
 オーレイ人は実に優雅に他人を所有する。フェレルデンの人々は彼らの家畜、玩具、装飾品だった。異民族区のエルフか、テヴィンターの奴隷みたいなものか?
 それでも貴族であれば貧しい人々のように、シュヴァリエの気紛れで殺される心配はなかっただろうに。実際、反乱の英雄であるロゲインだって、貴族以上に農民からの人気が高かったんだ。

 俺が呑み込んだ言葉をファーガスは嗅ぎ取ったようだ。……やっぱり根っこに高貴な身分への反発があるんだろうな。俺が王宮で嫌われるのは無意識にそんな態度をとってるせいでもあるかもしれない。
 エリッサたちを介して知り合いが増えれば、認識を改められるだろう。
「それで、貴族の女はどういう扱いを受けたんだ?」
「彼らに傅いて媚びるよう強いられた。家に帰ってきた夫を迎えるように、忠実に、奉仕させられた。先にフェレルデンの子を身籠っていれば殺されただろうが、多くは生きたまま主人のそばに置かれていた」
「……え」
「エリッサや、母さんや、俺の妻は……もしかしたらオーレイ人のペットになっていたかもしれない。そんな言い方では生易しいけどね」
 後頭部を殴られたような衝撃だった。戦争なんてものは偉いやつらの身勝手で引き起こされ、被害を受けるのはいつも無関係な民衆だと、俺は漠然とそう思っていた。習い聞いたような言葉を自分の頭で考えもせずそのまま放ったらかしていた。
 貴族に対する反感と猜疑心から、彼らの受けた傷を見ないよう無意識に目を背けていた。
 エリッサは、実際そんな目に遭ってはいない。だから俺は考えもしなかった。彼女は違った。“なぜそんな目に遭わずに済んだのか”をちゃんと考えていた。
「殺されるよりマシだと思うか? まあその辺りは気質の違いだな。エリッサは殺されても犯されても憎みはしないだろう。……敗北なら受け入れられる。しかし俺たち貴族が負けた時に失われるものがどれだけ多いか、それもよくよく分かっている」
 領主が負ければ領民は“客人”の奴隷になるしかない。エリッサがクーズランドの名に背負っていたものは彼女自身の命ひとつじゃなく、ハイエヴァーそのものだ。家名がどうでもいいなんて……言えるわけもない。
 あるいは、彼女の父親はオーレイ人だったかもしれない。彼女はエリッサ・クーズランドではなかったかもしれない。もしこの城もオーレイに支配されていたら、彼女の人生はまったく別のものになっていただろう。
 背負ったものすべてが無に帰される。自分という存在の証が塗り潰される。貴族が家を失う痛みは……自分一人が死ぬだけではない、何世代にも渡る先祖への侮辱というのはそういうことだ。

「フェレルデン中でそんなことが起きていた。幸いにも俺たちには起こらなかった。不幸がふりかかる前に、マリクとロゲインが救い出してくれたからだ」
 どんな罪を犯してもロゲインは英雄だ、ロゲインこそフェレルデンの父だ。俺にはないその実感を彼らは持っている。
 ロゲインが過去の名誉を守ってくれた、ロゲインこそが未来の自由を与えてくれた。体験しなくても彼らはそのことを理解している。
 エリッサはオーレイを憎んでるわけじゃないんだ。彼女が彼女自身でいられたことの感謝をロゲイン公爵に捧げていただけだ。
 俺が惹かれた、グレイ・ウォーデンではない彼女を、その心を守ってくれた人だから、敬愛していた。罪を償わせるためでなくてもただロゲインに生きていてほしかったんだ。
 俺がダンカンに生きていてほしかったように。
「ま、エリッサがロゲインを生かしたかった理由はそんなところだ。しかし……アリスター、それを気にしてるのか? 確かに彼の死を惜しんでいるかもしれないが、固執してはいないはずだ。ロゲイン公爵は……残念だが己の罪によって死んだのだから」
「彼を殺したのが王の判断であれば、だな」
「あなたの判断だろう」
 鈍い痛みが胸を満たした。王の判断であれば……、ああ、俺の判断だ。似たような会話をエリッサとも交わしたっけな。
 彼女がウォーデンになりたがっていないことなんて最初から知っていた。だからこそ使命に染まらず自分の意思で生きる、エリッサ・クーズランドという人間に惹かれていったんだ。
 ロゲインはお前に自由を与えてくれた人だと騎士カウスリエンは言った。その言葉は俺に響かなかったが、彼女の心を強く打ったに違いない。
 俺がグレイ・ウォーデンでなければ、マリクを家族だと思っていれば、フェレルデンを愛していれば、……ロゲインを殺さなかっただろうか。分からない。
 結局のところ俺とエリッサは、肝心なところで……大切な気持ちを分かち合えないんだ。

 硬直し、息が止まりそうになった俺を見てファーガスは困ったように頭を掻いた。
「踏み留まってるのはそのためか」
「……踏み留まってるって?」
「あいつと寝ない理由だよ」
「えっ!?」
 冷や汗をかいた。どこまで筒抜けなんだ。でも続く彼の言葉は冷や汗どころか俺を蒼白にさせるに充分なものだった。
「襲っちまえばいいのに。焦れったいな」
「おそっ、……言葉を濁さないのは家系なのか?」
 俺はどうにもからかわれやすい性格らしく、今まで散々エリッサとの関係をとやかく言われてきたが、まさか彼女の実兄に「妹を襲え」と言われる日が来るなんて思いもしなかった。
 そうできるものならとっくに……、いや。今となってはキャンプで一夜を共にしたことも夢だったような気がしてくる。俺はあの時、本当に彼女に触れたんだろうか。
 あの頃は本当に頭がおかしくなりそうだった。実際におかしくなっていたんじゃないか? 想いを遂げたい、応えてほしいと願うあまり、彼女が受け入れてくれたという妄想に取り憑かれて……ああダメだ、悲しくなってきた。

 頭を抱えた俺を見つめ、ファーガスの表情が険しくなる。たぶん彼だってこんな義弟はお断りしたいだろうな……。
「アリスター、畏れ多くも兄として言わせてもらうが」
「は、はい?」
「お前の妻は気が強くて自尊心を持て余してる怒りっぽい面倒くさい女だけど、家族への愛情の深さは疑いようがない。俺もその家族の一員としては面映ゆいが、あいつにとって家族以上に大切なものはないんだ。断言する、お前は絶対、彼女に愛されてる。でなきゃ家に迎えたりしない。お前たちにどんな蟠りがあるにせよ、あいつを愛することを躊躇わないでくれ」
「は……」
 彼女なりに愛してくれているのは分かっていた。俺の望むような感情ではないにしろ……それでもいい。エリッサが俺に恋をしなくても、そばにいたいという気持ちは満たされる。そう思っている。
「俺は彼女の家族になれたんだ。それ以上を望まない。もう……充分だ」
 受け入れてもらっただけで幸せだ。求められたいとは何様なんだ? 俺の思う通りに愛してほしいなんて過ぎた願いじゃないか。それは、強がりだとしても本心だった。
 もういい、これで満足、本当にそう……思ってるのに……仰ぎ見た天井が滲んで見えるのはなぜだろう?

「充分じゃない」
「え……うわっ」
 急に頭を鷲掴まれて俯かされた。ファーガス、相当な馬鹿力だな……じゃなくて、下を見ると泣き出しそうだから勘弁してほしい。
 慌てて上体を起こそうとするが、頭を押さえつける兄の腕はびくともしなかった。
「欲しいものがあるなら諦めなくていい。欲しいと言ってもいいんだ」
「俺は、」
「聞け。お前はエリッサに惚れてるのか?」
「……ほ、惚れてます」
「愛されたくないのか? 身を焦がすような想いで見つめられたくないのか? あいつに惚れてほしいとは思わないのか?」
 思う。愛されたい。求められたい。必要とされたい。王として、人として、男として、彼女のすべてで俺を欲してくれたらどんなに心が満たされるだろう。でも……。
「思わないのか?」
「ちょ、いた、痛い痛い痛い俺こう見えて体固いんでお兄さん!!」
「こう見えても何も、見たままだぞ。で? 愛されたくないのか?」
 愛されたい……愛されたい、当たり前じゃないか。しかし、どの口で言えるんだ。彼女の心を否定したグレイ・ウォーデンのくせに。でも、愛されたい。許されるなら、彼女に、他の誰でもなくエリッサだけに。
「っ愛されたいよ! 助けてもらうだけじゃ足りない、もっと強く、俺が想うのと同じくらい彼女にも恋い焦がれてほしいんだ! 身の程知らずで……悪いか!? 生まれて初めて自分から欲しいと思えたんだよ!!」
 叫びと一緒に嗚咽がこぼれ、石床に涙が落ちていくのを呆然と見つめた。
 俺を押さえ込んでいた腕の力がようやく緩み、よれよれになって体を起こすと、ファーガスの真っ直ぐな視線に射抜かれた。温厚そうな顔立ち……似てないと思ってたのに、瞳の力強さがエリッサとそっくりだ。

「構わん、許す。兄として俺が許す。両親の分も許す。あいつの義姉と甥の分も、乳母や家庭教師の分も、あいつを育てたすべての人間と、ハイエヴァーを守ってきた先祖代々あらゆるクーズランドの人間を代表して俺が許す。エリッサをお前にやる」
「だっ……、や、やるったって」
「惚れてくれるのを待ってるような弱気な男にあいつが惚れると思うか? 欲しいなら奪え。完璧な敗北を叩きつけてやれ。お前は俺のもんだと教え込め。そうすりゃあいつはあなたを男として認めるだろう」
 欲しがっていい、手に入れていい、相手の気持ちなど構うな、自分本位になれ、思いやりも優しさも捨て我儘になれ。
 ありったけの言葉を並べ立てファーガスはもう一度「俺が許す」と言った。俺に口を挟む暇も与えず「エリッサを奪え」と。
 彼女の望みが俺のもとにはないなら、俺は今のままでいいと思って……だけど……もっと、求めたい……彼女の望みが俺のもとになくても。
 俺が一番愛する女の、そのまた一番愛する家族が囁くんだ。俺は、俺が欲する唯一にして最上のものに、手を伸ばしてもいいのだと。



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