盤上の取り決め
つんと取り澄ました顔で歩くエリッサの手を握って「じゃあ今日はどこに泊まる?」なんて聞けたらいいんだけど、いろんな意味でそれは無理だった。
オーズマーには宿がない。閉鎖的なこの国には来客というものがほとんど存在しないからだ。限られた来訪者のうち、王に招かれた賓客なら王宮に部屋が用意されるし、懇意の貴族でもいるならその邸宅に一室を借りるだろう。
国内での商売を許された地表ドワーフたちは取引が終わり次第速やかに街から出るよう求められるので、どんな地位の者であれ門の内側で夜を越すことがないのだ。
一応はグレイ・ウォーデンもオーズマーへの立ち入りを許可された賓客と言えるが、そもそもウォーデンが地底に足を踏み入れる理由など一つしかないから、やはり宿というものは必要とされなかった。
そんなわけで例外的に普通の旅人としてここにいる俺たちは不便を強いられている。門が開かれて街に入り、どうやらここで何日か足止めを食らいそうなのにもかかわらず、身を休める居場所がないのだ。
地上の町と違って宿がなく、さりとて街中でキャンプを設営するわけにもいかない。
本来なら協定書を持つウォーデンは賓客として王宮に招かれるはずだってのに、生憎と今ドワーフの中にその許可を出す資格のある者はいなかった。王がいないとドワーフたちは一人で指先ひとつも動かすことができないらしい。
よりにもよって今この時にドワーフの間でまで後継争いが起きてるなんて最悪だよな。
目的を達成するため、その一歩を踏み出すために、それだけじゃなく体を横たえて休む場所を確保するためだけにさえ、まずは彼らの新たな王を決めさせなきゃいけないわけだ。
街の入り口のド真ん中で殺人行為が行われてる状況じゃあ、ブライトに立ち向かう同盟軍を出してもらうなんて不可能だからな。
「ってわけで、どうする?」
俺たちはドワーフの問題に首を突っ込み、それを解決しなければならない。エリッサを見れば、さすがに少しは苛立っているようだった。
「ヘルミ卿は酒場にいるらしいから後でいい。まずデイス夫人の父上を探そう」
「彼はエデュカン洞穴にいるって話だったか。移動してしまう前に見つけられるといいけどな」
でなければ彼がダークスポーンに殺されてしまう前に。そうだ、まずは地底回廊に入る準備をしないといけない。オーズマーからあそこへ行くのはずっと先のことだと思ってたんだが、本当に人生ってのはどうなるか予想もつかないな。
二人の候補者のうち、エリッサは先王エンドリン・エデュカンの三男であるベイレン王子を支持すると決めた。俺の見たところ、彼の部下の方が近くにいたからという理由だろう。
対立候補であるハロモント卿の部下にも出会ったが、既にベイレンの部下と約束を交わしていたエリッサは彼を無視して通り過ぎた。
正直に言って不満はある。というより不安だろうか。
ベイレン王子が父王の死に関与していたという物騒な噂が囁かれるのを聞いた。加えて後継者の座に就くために長兄を殺し、その罪を次兄に着せたという噂もだ。
単なる噂といえばそれまでだが、火のないところになんとやら。真偽がどうであれ、彼は人にその噂を信じさせるだけの何かを持っているってことだ。
エリッサは彼の人格にかかわらずただ王の血を引いた息子であるという一点だけを理由に、ベイレンを玉座に据えようとしているんじゃないか。……俺にはそれが気になって仕方ないんだ。
露店をぼんやり眺めていたエリッサが不意に俺を振り返った。なぜか後ろめたさを感じた自分に動揺する。
「パトロール隊の巡回ルートなら、ダークスポーンの数はさほどでもないだろうか?」
「えっ。あー、どうかな。前線の現在位置にもよるだろうが、奴らは常にオーズマー陥落を目論んでるから、街のすぐ近くでも群と遭遇する可能性はある。ただブライト中の今は地底のどこにしろ普段より数は減ってるはずだ」
地底に少ない分だけ地上に出てるダークスポーンが増えてるってことでもある。彼女はそれを聞いて苦い表情を浮かべた。
「誰を連れて行けばいいかな。あまり大人数にはしたくない」
「俺ならスタンを選ぶ。盾になれるデカブツが必要だ。俺と彼がいればダークスポーンの群れに遭遇しても耐えられるだろう。レリアナやゼブランは向かないと思う。あとは癒しの魔法があると安心だが、さっさとなんたら卿を見つけて帰りたいなら殲滅力を優先した方がいいね」
「デイス卿だ。……分かった。ではスタンを呼んでこよう」
俺の目をじっと見つめて頷いたあと、歩いていく彼女の後ろ姿を呆然と見送った。
なんか妙だ。うん? そうか、彼女が俺に意見を求めたのは久しぶりだな。ほんの入り口部分とはいえ地底回廊へ行くから、先輩ウォーデンである俺に助言を求めたんだ。
そして俺の答えは彼女のお気に召した。何だろう。すごく嬉しい。
エリッサに従ってついてきたスタンは相変わらずの無表情だが、レッドクリフやヘイブンをうろうろしてた時ほど不機嫌ではない様子だった。
これが彼の嫌う“無意味な時間”だとしてもドワーフの軍勢は必ずブライトを止める役に立つ。少なくない見返りのための労働だと理解してるから文句も控え目なのだろう。
グレイ・ウォーデンとして、エリッサが議席を持つ貴族を訪ねて王子を支持するよう説得してまわる間、ウィンとレリアナはゼブランを連れて買い物を楽しむことにしたようだ。不満たらたらのモリガンは「事が済むまで待ってるからさっさと終わらせろ」と言わんばかりに平民区の中央広場に腰を据えていた。
手伝えることがないとはいえ、こっちが駆けずり回っている傍ら気楽に遊ばれるのもちょっと腹立たしいな。せっかく全員でオーズマーに来たってのに、やっぱりすべてはエリッサ一人の行動に懸かっている。
とりあえず議長バンデロルから地底回廊の入り口辺りにテントを張ってもいいとは言われたから、エリッサと俺が今後数日オーズマーを奔走するはめになっても仲間の寝る場所だけはある。まあ、それなりに安心しておこう。
本当はエリッサだって休むべきだ。でも彼女は、どうもベイレンに王冠を被せるまで眠るつもりもないようだった。
王子の信頼を得て、玉座への道を敷く協力者として認めてもらうためのお使い仕事はこれで終わりではない気がする。正統なオーズマー王から援軍の派遣を確約してもらえるまでどれくらいかかるのか、考えただけで気が滅入る。
魔道士を連れていかないので回復薬は心持ち多めに用意する。スタンに荷造りを任せると人間用の薬を持ちたがらないから所持品の分配はリーダーであるエリッサが行う。もちろん俺も手伝う。
彼女の隣に腰を下ろして首を掻きむしってる犬を見つつ、お前はこういう仕事の役には立たないもんな、なんてちょっと優越感を抱く自分が悲しい。犬と張り合ってどうするんだ。
気を取り直してエリッサに目を向けた。なんとなく緊張しているようだ。さすがの彼女も地底回廊へ行くのは不安なんだろうか。リラックスさせてやれたらと思うけど、全然関係ない話をして和ませようとするのはエリッサには逆効果なのが困りどころだ。無駄口を叩くなと怒られてしまう。
エリッサは自分の回復薬を減らす代わりに大量のマバリクランチをバックパックに詰めながらこっちを見た。……うん、彼女の分の薬も俺が持っとこう。
「なあ、どうしてベイレン王子を選んだ?」
決定打を求めてるのはベイレンもハロモントも同じだ。そして俺たちが今から探しに行く貴族は、放っておけばハロモントに票を投じるだろう。それは現状維持にしかならないが、少なくともハロモント卿を支持すれば地底回廊の探索なんかしなくてもいいわけだ。
「膠着してるのはどっちも似たようなもんってことだろ? なぜベイレンなんだ。ハロモントは確かに不正に手を染めてるかもしれないが、親族殺しよりはずっとマシに思える」
俺としては権力狂いの王子よりも、国のため亡き先王のために渋々ながら玉座に就こうとしてるハロモントを支持すべきだと思う。
彼らの人格なんて知る由もないが、誠実さを売りにしてるハロモントの方が俺たちの恩を高く買ってくれそうじゃないか。王になった後ベイレンは俺たちの与えた助力を軽んじるかもしれないが、ハロモントは彼自身の美点を保つために誠意を見せなければならないのだから。
エリッサはマバリクランチをバックパックに押し込みながら不思議そうな顔をした。
「不正って、この書類はヴァータグ・ガヴォーンの偽造だよ。ベイレン側のでっちあげたものだ」
「ええっ?」
「本物なら私になど預けず記録館に持ち込んで証書を取り、表立ってハロモントを糾弾すればいい。デイス夫人だってこれを信じたわけじゃない。ただグレイ・ウォーデンがベイレンのために動いたから鞍替えに興味を惹かれたんだ」
ちょっと待て、それじゃあ俺たちはハロモント卿に濡れ衣を着せて陥れるために動いてるのか、と聞いたらエリッサは何を今さらと首を傾げた。
「この書類が偽物だからといってハロモントの清廉潔白が証明されるわけでもない。こんなものは王権争いの末端なのだから。どちらにせよ似たようなことは行われている」
本当の闇に部外者が介入できるはずがないと彼女は言った。その言葉になんとなく納得してしまいそうな自分が嫌だ。
ブライトに立ち向かうための行いではあるが、これそのものは単なる政治抗争だ。そう実感して苦いものが込み上げる。
エリッサはちょっと呆れたような顔で俺を見つめた。
「私がハロモントよりベイレンの方が正しいと感じて支持を決めたとでも思ってたのか? あなたも言ったように彼らは並び立っている。二人とも等しく手を汚している。ハロモントは洗えば汚れは消えると思っており、ベイレンは敵の服で手を拭っているが」
「でも王子の方が相応しいと判断した何かがあったんだろ?」
「そうだな。ハロモントは事が起きてから対処する性格のようだ。慎重なのは結構だが、この時代の王に相応しいとは思わない。ベイレンは果断だが無謀ではない」
「つまり……ベイレンの方が早く援軍を寄越してくれそうだから?」
「それもあるが、もし私が議席を持つドワーフなら嗄れに票を投じている。彼の方が王に向いているからだ」
考えたくないことばかりが脳裏を過る。なんだかまるで俺が言われてるみたいだなぁと故意に頭をぼんやりさせながら彼女を見ないように俯いた。
オーズマーは協定書にある中で最も援軍を得やすい相手だと思ってたのに、なぜこんな事態に陥ってるんだろう。
一国を揺るがす決断にエリッサは躊躇なく手を伸ばしている。王権争いなんて。ここへ来てからの彼女の言動はすべて俺に何かを言おうとしてるか、あるいは……言わせたがっているみたいに感じられて不快だった。
「……お前も王子の噂を聞いたよな」
ドワーフの王位は世襲制じゃないが、それでもこんな状況ならエンドリン王の子が亡父の跡を継ぐのが当然の成り行きだった。なのにそうはならなかった。
ハロモントが聞いた王の遺言の真偽はともかく、その不名誉な噂が信憑性をもって受け入れられてるという時点で王子の人格も知れるってもんだ。彼は、たぶん、本当に自分の父と兄を殺している。
「私たちはドワーフじゃない。彼を好きである必要もない」
「この決断で国の未来が決まるんだぞ」
自分が正しいことをしてるのかは分からないが、せめて“正しいことをしたいと思ってる”つもりだった。経過や結果がどうあれ目指すものは正義なのだと信じていたかった。
「ベイレンが気に入らないか? 議会は真っ二つに割れている。国の半数はベイレンを支持、もしくはハロモントを拒絶しているんだ。それなら私は預けられた一票を自分に都合のいい方へと投じる。何か間違ったことを言ってるだろうか?」
「いえ、まったくもって正しくあります、閣下」
「……何が言いたいんだ、アリスター」
「いや、べつに。気にしないでくれ」
俺はエリッサにベイレンを支持してほしくない。その冷酷さを認めてほしくない。自分の目的のために家族を手にかけた罪を受け入れるのは……家族を見殺しにせざるを得なかった運命への憎悪に身を投じるかのようだ。見ていられなかった。
必要なことなら何でもする、何をしても許される、それを自ら体現することでグレイ・ウォーデンに対して痛烈な皮肉をぶつけているように思えてならない。
怪訝な顔をしつつ彼女は何も聞かなかった。