きみは愛を歌わない
地底回廊の入り口で衛兵に呼び止められた。俺がバックパックに突っ込んでたデイス夫人の許可証を四苦八苦しながら引っ張り出してる横で、エリッサはドワーフの少女に声をかけられていた。
思うんだけど、なんで俺は許可証を一番奥に突っ込んだのかな。大量の回復薬が邪魔で取り出せないぜ。
「あ、あの! ちょっといい? お願いがあるの。あなたたち地表から来たお客さんでしょ? グレイ・ウォーデン、見るからにそうよね。もしかしてサークル・オブ・メジャイに伝手があったりしない? 地表に出て話を通してくれる人を探してるんだけど。あっ、そうそう言い忘れたけど私はダグナ。鍛冶階級のジェイナーの娘よ」
捲し立てる少女を唖然として見つめていたエリッサは、ゆっくりと振り向いて嫌そうに俺を睨む。
な、なんなんだよ。まだ何も言ってないだろ。おまけにエリッサの背後に立ち尽くしてるスタンまで俺を睨んできた。だから、まだ「助けてやったら?」みたいなことは口に出してもいないって!
犬も……いや、たぶんあれは、俺を睨んでるんじゃなく眠いだけだな。
わざとらしく大きな溜め息を吐いて、エリッサは両手を腰に当てた威圧的なポーズでダグナと名乗る少女を見下ろした。
「ダグナ、それでサークルに何の用があるんだ」
「決まっているじゃない、魔法の研究をしたいのよ! でもオーズマーでは無理な話でしょう? 私には鍛冶の知識があるし、リリウムだって扱える、魔道士たちの役に立てるわ。誰にも成せなかったことを成し遂げられると思わない? ドワーフは、」
「ドワーフは魔法を扱えない。試練を受けることすら叶わないだろう」
「魔法を使えるようになりたいわけじゃないわ、学びたいの。私は……」
「鍛冶屋の娘だと言ったな。両親は君の愚考を御存知なのか」
はっきりと拒絶をあらわすエリッサの声を聞いて期待に満ちていたダグナの目からだんだん輝きが失せ、親のことに話が及ぶとあからさまに視線を泳がせ始めた。
まあ、賛成する親はいないだろう。ドワーフにとってオーズマーの外に出るというのはつまり追放処分も同然だ。サークル・タワーに行けたとしたら、二度と戻っては来られないだろう。
でも彼女はそんなこと承知で頼んでいるはずだし、エリッサもそれは分かっているはずだ。伝手ならあると言いかけた俺を制したスタンはいきなりバックパックを奪い取り、無造作に手を突っ込んで引っ張り出した許可証を衛兵に押しつけると一人でさっさと地底回廊へ入ってしまった。
「父さんは……知ってる。でも反対されてて……だって、まともに話を聞いてくれる人なんていないわ。分かるでしょ?」
「とてもよく分かる。そして反対するのは尤もだと思う」
「でも! このまま国に留まっても、未来なんてない!」
「国に留まっても勉強はできる。君は生きていくには充分なものを持っている」
ダグナが何を言おうとエリッサは聞く耳持たない断固とした態度を見せた。普段なら彼女は、どんなに受け入れ難い意見でもとにかく一度しっかり聞いてから考えてくれるのに。
……とにかく、スタンを一人で行かせるわけにはいかない。気の毒だがダグナの話を聞くために留まることはできなかった。
「お父上のところに戻れ、ダグナ。私は君に協力しない」
「ま、待って!」
縋ろうとする手を振り向きもせず、エリッサは俺を追い越して回廊に入っていった。俯いて泣きそうになってるドワーフの少女に何を言うべきか迷って、結局は黙ったままエリッサの後を追いかけた。かける言葉はない。エリッサはもう決めたんだから。
スタンが腕にぶら提げていたバックパックを取り返し、乱暴な足取りで追い抜くとすれ違いざま彼は怒気を帯びた声で「自分の為すべき役割を放棄するのは正しくない」と吐き捨てた。……それは俺に言ってるのか。
オーズマーに、この閉鎖的な空間に鍛冶屋の娘として生まれたのはダグナの意思じゃないだろう。彼女にはどうしようもなかったことだ。為すべき役割って何だよ? 父親の望むまま従順に生きることか? 自分の意思はどこにある?
無性に腹立たしい。俺の一部分にはエリッサの判断やスタンの主張に納得するところもある。だけど反論したかった。身の程知らずな夢だとか、うまくいくわけがないとか、そんなの分かってるさ。でも願う権利くらいあるはずだ。
通路の奥の方にダークスポーンの気配を感じた。向こうもこっちに気づいただろう。やつらが影から現れて包囲された時にエリッサを前に出さないため、俺とスタンでそれぞれ先頭と最後尾を受け持って進む。
すぐ後ろを歩きながら、エリッサが俺に言い訳のひとつも吐かないことに少し落ち込んだ。
「……俺が思うに、筆頭魔道師だったらきっとダグナを歓迎しただろうな」
「そうだな。魔法を研究したいなんてドワーフは聞いたことがない。サークルと協力すれば互いに新たな視点が得られるだろう。彼女の知識は塔の復興にも役立つに違いない。アーヴィングだけじゃなく、騎士団長グレゴーも彼女を受け入れると思う」
独り言を装った俺の愚痴っぽい言葉にエリッサはあっさり頷いた。むしろダグナをサークル・タワーに送り届けてやればよかったとでも言いたげだ。にべもなく要求を退けたやつの言葉とは信じられなくて思わず彼女を振り返る。
「じゃあなんで頼みを聞いてやらなかったんだよ? この一件が終わってからサークルに掛け合ってやることもできたし、なんならブライトが終わってからでもよかったじゃないか。他に頼れるやつがいないんだから、ダグナはきっといつまででも待てるだろう」
「そんなにも不確かで無責任な約束はしない」
「へぇ、王を決める争いには口出しするってのに不思議だな?」
「確かに問題は同じだ。王を選べない議会も幸運を座して待つだけのダグナも、自分では何も為さない。だが議会の決着は私の目的を果たすのに必要なことで、ダグナの件は私に無関係だ。だから王権争いには口を出し、ダグナは退けた。分かってもらえたか?」
「……」
少しずつ近づいてくるダークスポーンの気配を察してエリッサの表情が引き締まる。凛々しい横顔にうっかり見惚れ、彼女が思いの外すぐ近くを歩いてるのに気づいて今さらながら焦った。
誰かが筆頭魔道師に口を利く必要はないんだと彼女は言う。オーズマーの生活を捨て地表に未来を探したドワーフはたくさんいる。彼女もそうすればいいのだと。
「あの言い分は、家という逃げ場所を抱えておきながら他人に道を開かせ、成功が確約されてから悠々とその道を歩いて行きたいという身勝手なものだ。虫が好すぎると思わないか。本当に情熱があるなら彼女は自分で行動すべきだ。その結果なにを得て、また失っても、自業自得として」
……そうとも言える。地上に行きたいのならそうすればいい。ダグナがエリッサを頼るのは、失敗した時に帰る場所がなくなることを恐れるがゆえだ。
舗装された道が途切れ、剥き出しの洞穴に足を踏み入れる。もうすぐ奴らと鉢合わせするだろう。エリッサが剣を抜き、後方でスタンと犬が警戒している。
「準備が万全になることはない。絶対に失敗しない保証なんていつまで待っても得られるわけがない。いずれ、行動するのか、それともしないのかを自分で選ぶだけだ」
「耳が痛い話だな。はっきり『さっさと王になる覚悟を決めろ』と言ってもいいんだぜ。……言うだけなら」
「アリスター、あなたには選ぶ自由が残されている。私が指示することじゃない」
俺が選ぶ自由だと? 王になるか、ならないか。そんなのは自由とは言わないだろう。
玉座に腰かけて数多の生命を手中におさめる、一度だってそんな人生を望んだことはなかった。でも最初から俺の選択肢は限られていたんだ。
俺の意思ではどうしようもない過去の話、血筋なんて不可解なもののせいで一国を背負えだとかいう無茶を言われ、ブライトが迫る今は「そんなの嫌だ、俺は関係ない」と言って逃げることさえ叶わない。
王になんか、なりたくない。それは俺の人生じゃない。でも拒絶して逃げ出した先に待つのは大勢の人の死だ。そしてそれは逃げ出した俺の責任なんだ。
たとえ王にならないという選択肢があったとしても、俺はこの血と、名前に、囚われている。
……いや、でも……。そもそも俺は一体、王になりたくないなら何をしたいんだろうな。ウォーデンとしてブライトを退ける? もちろんだが、そのあとは?
もし王になったらこんな風に旅をして生きるのは不可能だ。俺は自由でいたかった。グレイ・ウォーデンになって初めて得た安らぎを、自分の居場所を失いたくないから。
アーチデーモンを倒して使命を終えたら、誰かに強制されたのではない俺自身の人生を歩みたいと思う。今まで通りに。そう、今まで……通りに……?
無意識に手から力が抜けて盾を落とした。戦士にあるまじき失態だ。ちょっとビックリした顔をしつつエリッサが拾って渡してくれたが、俺は反応できなかった。
彼女が俺の名を呼んだ。戦闘のために抜き払っていた短剣を小脇に抱えると、彼女は俺の手を取って、心配そうに声をかけ、紋章のない盾を持たせてくれた。俺のとは比べ物にならないほど細くしなやかな指が触れた瞬間、軽いパニック状態に陥った。
かわいい女の子と恋をして、愛を育み、結婚して、ささやかな家を持ち、二人で静かに暮らしたい。いつか子供が生まれたら、二人で名前を考えたりしたい。
我が子の顔立ちに彼女と似たところを見つけては慈しみ、仕草に自分と似たところを見つけては照れながら、やがてその子が大人になって、俺と彼女の髪が真っ白になるまで、ずっと、永遠に、一緒にいたい……。
そんな夢を見ていたこともある。だけど教会に送られた時にそれは叶わないのだと知った。魚臭くてむさ苦しいレッドクリフの小さな村にもありふれていた、そんな“普通”の人生さえ、俺が望むことは許されないんだと理解した。
そしてグレイ・ウォーデンに拾われ、大切な仲間を得て、喪った。
俺がグレイ・ウォーデンに居場所を見出だしたのは彼らが俺の家族だったからだ。そこが俺の家だったからだ。ブライトが終わり、王位を蹴って元の旅暮らしに戻ったとしても、ウォーデンを再建したとしても、そこに俺の望むものはもうないんだ。
だとしたら、ウォーデンに固執するのは無意味なのかもしれない。遠くワイスハウプトにいる彼らを家族だとは思えないんだから。
王になりたいと思ったことはないが、なるのが嫌だというのも少し違うんじゃないだろうか。それはグレイ・ウォーデンに加わるのとあまり変わらないのかもしれない。
自身のすべてを犠牲にしてでも為すべき役割を果たす。かけがえのないものを守るために。
そうだな、王になっても構わない。王冠を被ろうがグリフォンの盾を持とうが、どっちにしろそれ自体は俺の望む未来ではないんだから。肩書きが変わっても俺自身が望む自由をまだ選ぶことができる。
無言で突っ立っている俺をエリッサは不審そうに眺めていたが、いよいよ間近に迫ったダークスポーンの気配に再び戦闘体勢をとった。
彼女は協力してほしいというダグナの頼みを断ったが、その願いを否定はしなかった。
ダグナが自らの足でオーズマーを出て行き、独力でサークル・タワーに辿り着いたら喜びさえするかもしれない。きっと得意の口八丁で父親やオーズマーとの仲を取り成してやるだろう。エリッサは、そういうやつだ。
もしダグナではなく俺だったら? 俺が欲しいものを伝えたら彼女はどうするだろう? それを手に入れようとしたら手伝ってくれるのか? 自らの意思でそれに手を伸ばしたら、彼女は、受け入れてくれるんだろうか。
今は考えてみる暇もないけど、戦いが終わったら……。アーチデーモンを倒したら、全部なんとかなったら、使命を差し挟まずに彼女と正面から向かい合えたら。本当の家ってやつを手に入れることを、考える機会もあるだろう。
だが心のどこかで警鐘が鳴るのを感じてもいた。一番大切なことから故意に目を逸らしている。
俺には選ぶ自由がある。それはつまり、俺がまだ選んでいないということでもあった。行動するのか、しないのか、どうしても選ばなければいけないほど追いつめられてはいない。まだ準備ができてないと言い訳して先送りにしている。
だって……エリッサはまだ俺の隣にいて、俺が決めるのを待っていてくれるから。
ふと思い出した。グレイ・ウォーデンが子供を作れないと聞いた時、俺はホッとしたんだ。絶対に叶わない望みだと分かったからこそ失敗を恐れずに済んだ。未来を誰かに強制されている限り、俺は自ら行動しない言い訳を考えなくてよかったんだ。