なんでゼンのボールが仕送りに入っていたのか。母が入れた? それとも父が? どちらも可能性は低いと思う。私がゼンを避けていたことを、あのふたりはそれとなく察しているようだった。ゼンは私が実家に帰ろうとしない理由そのものだ。
 箱の底深くにこれがあったということは、誰かがゼンのボールをこの箱にしまったことになる。なにかまぐれでこれが入ったとしても、一番底にあることは不自然だ。私はひとりっ子で、悪戯心のある弟妹はいない。父母のポケモンたちだっておとなしい子が多かった。温厚な彼らが悪戯をするとは、考え難い。
 じゃあ誰が、なんで、これがある?
 震え出した両手からボールが落ちそうになって、強く握り直す。もし落としてスイッチが作動したら、ゼンが出てきてしまう。そのとき、私はゼンにどんな顔をして向き合えばいいのかがわからない。外の空気やタイミングを読んでボールから勝手に出てくるポケモンもいる。ゼンは勝手にボールから出るようなことは、ある一回を除いてはしなかった。でもその一回は、ゼン自身を疑うに足りてしまう動機があった。だからこそ怖い。
 これは、送り返さないと。私という人間から一刻も早く、ゼンを離したい。ポケモンセンターに行けばボックスを使えるだろうか? デジタル化が進んだいま、置き型の公共タイプのボックスなんて設置されている場所が限られているくらいはニュースで見たから知っている。
 学生時代に登録していたアカウントとトレーナーIDはいまも使えるんだろうか? それとも、役場でなにか更新の手続きをしなくてはならないのだろうか。
 一番手っ取り早いのは、実家があるセルクルタウンに行ってボールを返すことだ。タクシーを使えるなら、半日あれば往復できなくもない。
 母にゼンのボールのことを訊くのが最短なのかもしれない。母や父と連絡を取るのは抵抗があって、でもゼンを私の傍に置いてしまうことのほうがよっぽど怖いし落ち着かない。それにセルクルタウンに行って、もし昔馴染みに会ったらどうする。10年前の嫌な記憶を思い出して喉で息が詰まりそうになる。


 家で考えていても思考は嫌な方向に偏るばかりで、とりあえずはポケモンセンターへ向かうことにした。
 ゼンのボールを鞄に入れて歩いている。モンスターボールはある程度の軽量化がされているから鞄に入れてしまえば、普段持つ重さと変わらないはずだ。それなのにゼンがすぐ傍にいると意識をすると、右肩がいつもよりひどく重い。
 白昼の大通りは車や人が往来していて、平日と変わらない賑やかさを見せている。屋台で売られているアイスクリームやお菓子の甘い匂いも、いまの私には胸を苦しめる材料にしかなってくれない。
 それに、学生も多い。全員季節感や着こなしに多少の差異はあるが、薄いブルーのシャツにパープルのスラックスという校則は、私が卒業してからも継承されているらしかった。シャツポケットに刺繍されたグレープの糸が青空の下でつやつやと誇らしく光っている。その眩しさから、すぐに目を逸らして歩測を狭めた。
 家からポケモンセンターは、歩いて15分ほどの場所にある。別地方では屋内型が多いそうだが、パルデア地方のポケモンセンターはどこも屋外に建てられている。
 つまりなにかを待つ場合には、スマホロトムに入れたアプリケーションで予約や呼び出しを確認する必要がある。来て早々その説明を受けてから一度も開いたことがなかったアプリを開いたし、ジョーイさんに教わりながら初期設定をして予約を取った。幸いにも十分後に偶然空きができていたらしい。こればかりは運が良かったと思う。
 ジョーイさんはタブレット端末を片手に、現状のボックスやポケモンの移動システムについて簡単な説明をしてくれた。とりあえずは過去に登録していたアカウントやトレーナーID自体は更新こそ必要だが、いまはスマホロトムのアップデートと連動されているため心配は不要とのこと。続いて彼女はボールの配送についてですが、と手元のキーボードを叩いてなにかを調べているらしかった。
 1分もたたずにディスプレイに伏せられた彼女の視線がやや苦いものに変わったあたり、あまり良い返事はもらえないような気がする。「ボックスを用いたポケモンの譲渡には、規約がありまして……」なんとなくわかっていたことなので、短い相槌を打ちながらそれとなく続きを促す。
「モンスタボールのコードを書き換えた違法なボールや、不法な取引を行う業者への追跡と対策のため、一方的にポケモンを送るという行為は禁止されているんです」
「一方的に渡す場合には相手と直接会う必要がある、と」
「ええ。申し訳ありませんが……」
「いや、大丈夫です。ありがとうございます」
 頼みの綱として見ていただけあって、落胆は大きい。けれどこれは私の厄介なプライドが行動を妨げているだけで、ジョーイさんに一切の非はないから、仕方ない。
 一礼だけしてポケモンセンターをあとにする。

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悲喜として茫洋