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 アラームよりも早く目が覚めるのはいつものことだ。
 ベッドサイドから伸びる充電コードをへその緒のように引っ張って、そこに繋がっているスマホロトムを手探りで掴む。真っ暗な部屋のなかで朝一番に見るブルーライトは、デスクワークでの疲労が累積した眼球に応えた。
 時刻は5時を少し過ぎたころだった。雨戸を閉じ切っているからわからないけれど、外はまだ日が昇っていないんだろう。寒い時期になると日の昇りが遅くなる。
 理想としては、あと1時間は眠っていたい。それぐらい眠って起きて、支度をするぐらいが標準的でちょうどいいんだろう。けれど生活習慣や体質というものはそう簡単に変えることはできないことも、よくわかっている。
 単純に、二度寝ができれば問題ない。でも一旦起きてしまうと、平日にそれをするつもりにはなれなかった。布団から身体を起こすと、やや肌寒い冷えた空気が部屋に満ちていた。
 疲れたな、というのが起きて最初に思ったことだった。嫌な夢を見たせいなのか、眠った感じが全然しなかった。


 通勤にはいつも、家を出て5分ほどの場所にあるバスを使う。乗車時間はおおよそ約20分くらいだけど、その日の天気や交通量によって若干の遅れはあった。
 この時間帯のバスはいつも満席だ。今日も座る場所がないことに内心でため息を吐きそうになる。
 バスの中腹あたりまで進んで、辛うじて空いている空間に体を捩じ込んだ。通勤鞄を前に抱えるようにして、吊り革をしっかりと握り込む。
 窓の外を眺めると、流れる景色のなかでいろんなひとが歩いている。私と同じようにこれから仕事に向かうひともいるし、夜間に営業していた店の締め作業やゴミ出しに向かうひともいる。ゴミ出しのおこぼれを密かに狙っている、ヤミカラスやゴクリンといった小型のポケモンが路地裏に潜んでいたりもする。
 なかでも昼夜問わず多く外で見かけるのは、グレープアカデミーの生徒たちだ。パルデアいち大きな学校と称されるそこには、老若男女問わず誰だってそこへ学ぶ資格を持っている。この前も90歳のおばあちゃんが通っているらしいと、職場のひとたちが話題にしていた。すごいとは思うけれど、話題にするほどのことなのかはわからない。
 私も一応、そこの卒業生ではある。けれど学校には先生も生徒もポケモンも全て含んで良い思い出がなくて、なるべく思い出したくない記憶のうちのひとつだった。
 それでもやはり、この地方はそれが目玉のようなところがある。だからハッコウシティのデジタル広告や配信番組では頻繁に特集されているし、スマホロトムでもよくアカデミー関連のニュースは流れてくる。いま乗っているバスの電子広告にも、昔通っていた学舎が映し出されている。一日でも目にしないという選択肢は、パルデアに住んでいる以上は難しい。
 学生時代のやらかしを揶揄する黒歴史という言葉があるけれど、私が昔の記憶に抵抗感を持つのはきっとそれに近い。黒というには生やさしい色かもしれないが、闇というには抽象的すぎてるので、結局のところ黒に落ち着く。
 それ以外の色で表しようがないのだ、昔の過ちというものが。
 過去を辿ると今になる。あのころ過ごしたひとや、ポケモンたちはどうしているのか。どうしているのかと思うけど、そこから先に思考は進まない。元気にしているとか、そもそも生きているのかだとかを想像しないようにしている。考えてしまうときりがない。きりがないのは終わりがなくて、そこにあれこれ費やすのはしんどくなる。
 ぼんやり外を眺めていると、バスがぐっと角を曲がって身体が少し傾いた。それに合わせて自分の身体も揺らいだが、耐えられないほどではない。
 バスの車内アナウンスが、そろそろ職場の最寄りに停まることを告げた。私は吊り革の上にある降車ボタンをそっと押した。



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悲喜として茫洋