episode1:やっぱりバカだな
歴史上類のない程の大雨の日。雨よけ用の古びた皮革のコートで身を包みんだ青年はひたすら山道を歩き続けた。
フードで防ぎきれなかった雨が彼の前髪を濡らして額にくっつける。視界の邪魔をする前髪を乱暴に横に寄せ、彼はひたすら声を上げ続けた。
彼の名前はクルト。普段はその身を銀色に鈍く光る鎧で包み、戦時下においては容赦なく敵の首を切り落とす騎士として剣を振るっている。
そんな彼は自国敵国両方から恐れと敬意を込めて「首切りの騎士」だとか「死神」と呼ばれているのだ。
「ティーア!!どこだ!!どこにいる!!」
クルトはひたすらに妹ティーアの名前を叫び続ける。だが返事はない。それどころか、この辺りにティーアがいたとしても、あまりにも強すぎる雨の音が兄の声を掻き消してしまっているだろう。
クルトとティーアの兄妹には優しい父がいる。その父が、今巷で流行っている病気に冒されてしまったのだ。
流行り病はさほど酷いものでもなく、かかった者の大半は何事もなかったかのようにケロリと治ってしまうという。
しかし、ごく稀に、その軽い筈の病で死に至ってしまうケースもあるのだという。
クルトは父がそんな軽い病気ごときで死ぬわけがないとは思っているものの、心配性のティーアは「口から心臓が飛び出てきそう」と叫び、万能薬として知られている薬草を取りに、この雨の中を走って山へと入っていってしまったのだ。
ぬかるんだ足元に注意を払いつつ人影を探す。まだ昼間であるのに不気味なまでの大雨と鬱蒼とした森のせいで辺りはまるで真夜中のような暗さであった。
ただでさえ視界が最悪であるのに、その上足場も悪いとなると、一瞬の油断が命取りになりかねない。
さっさとティーアを見つけだして連れ帰らねば、と決心をしてクルトは同じように家を飛び出したのだ。
やがて、クルトは山の中の崖へとたどり着いた。
反対側へと古い橋がかけられていたが、この大雨のせいで崩壊してしまったようだった。
かつて橋であった木材も、今はもう濁流と化した谷の川の中に入っていってしまったのだろう。
まさかとは思うが、ティーアはここで足を滑らせでもして底に落ちたわけではないだろうな。
そういった思考が脳内を横切り、クルトはすぐさま谷底を確認しようとするものの、目視での確認は不可能であった。
谷底になど落ちておらず、雨に恨み言を吐きながら山道を歩いているに違いない。そう自分に言い聞かせて再び森の中を捜索しようとした。
その時、ふと、一瞬だが、木々の間をよく見慣れた焦茶色の髪が横切ったのが見えた。
間髪入れずにクルトが叫ぶ。すると、もう一度だけ焦茶色の髪の持ち主が姿を覗かせて「お兄ちゃん」と叫んだ。
ティーアの無事な姿を見ることができた。それだけで、一気に張り詰めていた緊張が解け、安堵感に包まれた。
それと同時に、わずかな怒りも生まれてきた。無事だからこそ、妹の行った無謀な行為を叱ることができるというものだ。
雨に掻き消されぬように声を荒げて、クルトはティーアを戒めようとした。
「馬鹿かお前は!こんな雨の中飛び出して行くなんて!」
叱りつける兄を理解できないとでも言うように、対抗して妹も声を張り上げる。
「だって!パパが死んじゃうかもしれないじゃない!」
「やっぱり馬鹿だな!それで仮にお前に何かあったら、あの優しい父さんは一生悔やみ続けるだろうよ!」
父のことを持ち上げるとティーアはすぐに言葉を詰まらせてしまった。
先程の反抗的な態度とは打って変わってしょんぼりとしたティーアの口が「ごめんなさい」と呟くように動いたのが見えた。
歳相応の、子供が見せるような悲しげな表情を見せたティーアに頬を緩ませる。
柔らかな笑みをたたえるいつもの兄の顔に戻ったクルトが「父さんが心配するだろうから、早く帰ろう」と言葉をかけようとした、その時。
僅かにだが、クルトの足元から音が聞こえた。
少しずつ、だが確実に、何かが砕ける音だった。
気がついた時には既に遅かった。
重く降りかかる雨のせいで、そこに移動してきたクルトの重さに崖は堪えきれなかったのだ。
視界から同じ髪の色の妹が消えていく。代わりに視界を埋めていくのは、鼠色の、どこまでも暗い雲ばかり。
やっぱり馬鹿だな、俺も。
そう呟いた言葉は、無慈悲に降りかかる雨によって掻き消されてしまった。
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