過去を語る
 ――何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、 神はその願いを聞いてくださるということ、 これこそ神に対する私たちの確信です。

 何が、願いだ。
 何が、信仰だ。
 何が、救いだ。

 くそったれ。

 天におられるわたしたちの父よ。
 み名が聖とされますように。
 み国が来ますように。
 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
 私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。
 わたしたちの罪をおゆるしください。
 わたしたちも人をゆるします。
 わたしたちを誘惑におちいらせず。
 悪からお救いください。

 アーメン。

 いつものお祈り、いつもの光景の筈だったんだ。違ったのは、父さんがミサの開催の為に出張をするということだ。
 その日は朝から風が凪いでいて、気候も温暖で所謂『ピクニック日和』というやつだった。本来ならきっと、お祈りも済ませてしまえば家族三人で出かけていたのかもしれない。
 まぁ、今となっては夢物語だけど、ね。

「それじゃあ行ってくるよ」
「えぇ、いってらっしゃい。宿泊場所に着いたら電話をちょうだい」
「あぁ、分ったよ。……ほら、ギルバートそんな顔しないでおくれ」
「そうよギル、お父さんにいってらっしゃいは?」

 その時の僕は、酷い胸騒ぎを感じでいた。心臓は落ち着かず、地につけている脚はむずむずとこそばゆく、『父さんに行ってほしくない』の一心だった。
 今更ながら、いい子を演じないで駄々を捏ねれば良かったんだ。しがみ付いてでも……やめよう、この戯れ言こそ……。
 
「……いってらっしゃい、とうさん」
「あぁ、行ってきます。心配しなくても、御心は神様がしっかりと見ていて下さる。神を信じていれば何事も大丈夫、我々の救いを拾って下さるのだから」
「うん、みこころのままに。とうさんがいなくてもちゃんとおいのりするよ」
「良い子だ。私の愛しい子に、祝福があらんことを」

 不安げな僕に父さんはいつも通りに、いってきますのキスを送ってくれた――本当、近くの信仰者の家へお祈りに行ってくるみたいに軽いものでさ……。

 その日の夕刻からだった、天気がガラッと変わったのは。
 僕の地域は幸いなことにそれほどでもなかったんだけど、父さんが向かった地域に嵐が向かっているらしくて母さんは僕が不安がらないようにと思ったんだろうね「神様が守って下さるわ」そう言って笑ったんだ。

 僕も僕でお祈りしたよ……。

「どうか、とうさんをおまもりください」
「なぜかみは、いまおいかりなんでしょうか」
「とうさんをおたすけください」
「かみよ、いかりをしずめてください」



「……かみにとってなにひとつ、ふかのうなことはないのでしょう?」




 馬鹿みたいに一晩中、祈りを捧げたよ。思い出せば、反吐がでてしまうくらいに……なに?顔色?気にしなくていいよ、それよりもアンタから話を聞きたがったんじゃないか。黙って聞くのがマナーじゃないの?
 ――そう、それじゃあ続けるよ。

 気づいたら僕はベットにも入らず、祈りを捧げたまま眠ってしまったんだ。外を見ると太陽は高くて、幼いながらに寝坊したと悟ったよ。いつも起こしに来てくれる母さんの存在がなくて、慌ててリビングへ駆けていってね。その後が地獄なのに。
 リビングについたら、母さんが受話器を持ちながら突っ立っていたんだ。あんなに、胸騒ぎを感じていたのに、その時ばかりは働きもしなかった。

「かあさん?」
「……」

 焦点のあっていない眼、震えている身体、握り込まれている拳は真っ白で、明らかに可笑しい様子なのに。僕はなにも気づかなかった、察してもやれなかった。
 何度か揺さぶって、母さんはやっと正気を取り戻したよ……いや、“正気”だなんて言っていいのかな――ははっ、母さんは現在(いま)だって。

「――ま、その後はアンタのお察しだよ。父さんは災害で死んで、母さんはほぼ廃人。元々、精神が弱い人だったからね。教会もほっとけないし、母さんの為にも引き継いだよ。まあ、僕は祈りを捧げたって神は見向きもしないこと学んだ後だけどね。……実際そうだろ?神を信仰していても貧しさ、戦争、死と生、これらからは逃れられない。浅はかな考え、逃げだって」

 対面している、面布の男はぴくりとも反応しない。彼の食霊が用意してくれたお茶はすっかり、湯気が途切れ冷めてしまった。それほど、僕はこの無駄な与太話を続けていたというわけだ。

「満足した?僕はもう行くよ」
「……顔色がまだ悪いようだけど」
「僕にとっては、愛した父さんの最期の記憶だからね」

 お茶を一気に流し込み、「ごちそうさま」を一言――目の前の男を一瞥して、扉へと歩を進める。
 何を話しているんだ僕は、ああ、イライラする。聞いてくるこいつも、それに少しでも縋りそうになった僕も。救いなんていらないじゃないか、自分への救いなんて。僕の周りに救いがあれば良いんだ、それでいい。教会の子たちがいい例だ。あの子たちには未来がある、あの時の、絶望を知る前の僕みたいに。

「――あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう……俺はまだ、君が救いを求めてるように見えるけどねえ」

 聖書の一節を謳ったこいつが、酷く煩わしい。
 悟られるな、僕は今までだってこの後だって救いはいらない。
人と関わったって、その先は――。

「お言葉ですが、斎さん――Vengeance is mine, saith the Lord. 僕の代わりに主が報復をしてくれるのあれば、それは主がご自分を殺めた時。でも主はそんな事をしない。あの方は、何よりも人よりも最期を恐れているんですから。だったら、僕が葬る方が利口的では?僕は僕の中の神を殺したいんだ」

 今度こそ終いだ。

 閉めたドアの音はひやりとした廊下に、深く長く響いた――まるで、あの終夜みたいだ。


【終幕】
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