レヨン・ベール
ざわざわと木枯らしの枯葉を揺らす音が、やけに耳につく。北風と共にざわめく青空は、うっすらと山の向こう側から曇天を運んでくるようだ。今日の御侍さまは、体調が悪い。普段なら、俺がポーカーをする時くらいの、温度を変わらせぬ涼しい顔つきをしてるのに、それが今日は微かに眉をひそめている――いや、『今日は』なんかじゃない。嵐がくる日はいつもそうだ、何かにイラつくような、微かな感情の芽を息吹かせる。
「サンドイッチ、今夜は誰も教会に通さないで下さい」
そう告げた御侍さまの顔色は、今朝よりも白い……白というよりも、青と言った方が正解かもしれない。俺の返事を聞いた後、御侍さまはキッチンに夕食があると一言いい、そのまま自室へと篭もってしまった。
御侍さまと出会って数か月、前の御侍さまとは違って店の手伝いもなく、日々この教会へ来る礼拝者の人々と挨拶を交わし、朝と夜にパンとスープの炊き出しをする位だ。朝から晩まで目まぐるしくお客を捌いていた『あの頃』とは全く違う状況に、拍子抜けしてしまう。
言われた通りキッチンの方へ足を運べば、炊き出しに出していたパンへローストビーフとレタスを挟んだものと、コンロにはミネストローネが入った鍋。パンの皿の横には、小さなココット皿に入った苺が数粒――パンは炊き出しの物だけれど、スープもこの添えられた苺も、炊き出しの食材にはなかったものだ。
――いつも、そうだ。
御侍さまは、必要以上に俺へ関わろうとしない。穏やかな表情で受け答えの物腰も柔らかいのに、一線を引かれているような気がするんだ。そのくせ、こうやってまだ戦後で困窮を極めているのに、手に入りずらい果物を率先して俺に渡してくれる。近づくことは許さないのに、自分から掠める位のものは許すのだ。それって狡くないか?何年も培ったポーカーで鍛えられた観察眼は、伊達じゃないと思う……たぶん。上手いのだ、御侍さまは。悔しいが、俺以上に。
少しだけの時間の共有をしている人たちにとっては何も疑問に思わないだろうが、こうやって寝食を共にしていれば少しの引っ掛かりも大きな物へと変わってしまう。
ミネストローネは、トマトの酸味と程よく煮込まれた、野菜の甘さが相まって次へ次へと口に運ぶスプーンが止まらなくなる。ローストビーフのバーガーは、ソースの中に摩り下ろした玉ねぎが混ぜられていて牛肉の独特な臭みを消しては旨味を引き出し、そして、微かな生姜の香りがふんわりと鼻をついた。
「どれもこれも美味いんだけどなー……」
これだけ美味しい料理を作るのに、これだけ身体が温まるのに……一人じゃ心が冷えたままだ。
「――決めた」
スープを食べきり、最後の一欠けらのバーガーを口へ詰め込んで、俺はココット皿を片手にリビングキッチンを飛び出す。
目指すは、あそこしかない。
向かった場所は、中の住人の心を現しているかの様に固く閉ざされている。内鍵が出来る構造でもないのに『固く閉ざされている』なんて、表現を受けるの可笑しい話だが――扉が一枚の厚い城壁にさえ見えてしまう。
何度もノックするが、相手からの返答がない。此処までは想定内だ。いつもなら直ぐに諦めるが、今はそうじゃない……俺は、一歩踏み込むと決めたから。
「邪魔するぜ、御侍さま」
「……入室の許可は出してませんよ」
少しだけ乱れたベッドに腰かけている御侍さまの顔色は相変わらず青白い。薄暗い部屋のなか、ガスランプの光だけでぼんやりと浮かび上がるその顔へ、更に陰を落としているみたいだ。
「御侍さまは、ご飯食べないのか?」
「食欲がないので。……何か問題でもありましたか?」
「うん、」
ベッドに座ったままの御侍さまと距離を詰めようと一歩踏み出せば、灯で反射する緑色の瞳の奥が揺らめいた。これは『拒絶』、御侍さまが分かりやすく俺に伝える危険信号だ。
「……俺に出来ることはない?」
ずっと言いたかった、この数か月抱えてきた言葉は情けない位に喉奥に引っ掛かって震えていた。御侍様の眉先が微かに動き、俺の瞳を捉える……濃くなった緑は、少しだけ黄緑を含んでいる。
御侍様の瞳って光が当たれば、深緑が朝日に照らされたみたいに鮮やかな若葉色みたいになるんだ……今、この状況で気が付くくらい初めて距離を縮め、しっかりと御侍様の顔を真正面から見れている。
「出来ること?……言っている意味が――」
「――っ、分かってるだろ!?なんでもいい、御侍さまの抱えてるものはなんだよ!俺じゃ頼りない!?他の食霊みたいに戦いも強くない!出来る事と言えばレストランの配膳くらいだ……そのレストランさえも今じゃ意味ないけど……けど、さ……」
折角、真正面から顔を見れたのに俺の視線はだんだんと消沈していく言葉と共に下へ下へと落ちていく……ぎゅっと握ったココット皿の苺は優しい赤色、それが滲んで見えた。
「…………一人は寂しいぜ、御侍さま」
それは『拒絶』を繰り返す御侍様に言った言葉なのに、俺の胸へ深々とゆっくり突き刺さっていく。
「それが貴方の本心ですか、サンドイッチ」
「うん……そう、頼りないかもしんないけどさ……俺は御侍さまを支えたいんだ」
俺の靴先と、御侍さまの靴先が綺麗に向き合っている。足同士はちゃんと前を見れているのに……俺ってこんなに情けなかったか?
「……『御侍さま』」
「え、」
暫くの沈黙の後、ぽつりと呟かれた言葉が信じられなくてパッと顔を上げた。かち合う瞳は相変わらず、綺麗な翠緑だ。
「その『御侍さま』っていうのをやめて」
「え、うん……わかった、」
少しだけ棘が含まれている声色、今まで聞いたことのない声で動揺してしまう。俺の返事に一つ頷いた御侍さまは、細くそして、いささか長く溜息をついた。
「アンタの意思は分かった。同じところに住んでるし、少し分かりやすく壁作ってたから近づいてこないと思ったけど……執念深いっていうか、衝動的というか、なんていうの?豪快?」
はっ、と鼻で笑った御侍さまは今までの柔らかい表情や雰囲気なんて全くなかった。別人みたいで……あまりの衝撃で、こくりと唾を飲み込んでしまう。
「観察されているっていうのは気づいてたけど、流石に『素』は分からないか」
「……『素』?」
「そ、『心優しい信仰深い神父さま』が『神ギライ』なんて知ったら礼拝者が驚くでしょ」
ふふ、と小さな笑い声を転がす御侍さま……性格を偽っていたことも、無信仰というのにも驚きが隠せないのに、腑に落ちてしまう謎の納得感はなんだ?口端を上げる御侍さまから滲む『狂気』に似た何かから目が離せない……綺麗、とさえ思えてしまうのは何故だ?
「それじゃあ何て、呼べばいいんだ?」
「……『神父さま』」
深緑に囚われる、ゆっくりと細められるそれから逃げられない。
どくりと、心臓がばたついた。
「僕に罪を忘れさせないで。僕に毎日示して。温いものに浸からせないで、浸かるなら煮えだった熱湯がいい。重くしてもっと、もっと、――僕を雁字搦めにして背負わせて」
一気に、白が黒へと変わる。「どうする?」と、言わせるような瞳の奥は仄暗い。
一人は駄目だと言ったのに、一人を選んだ御侍さま。
でも、俺にその『言霊』を言わせるってことは、俺の指先は御侍さまの心を掠めてる?
「分かったぜ――『神父さま』」
けい然を滲ませたレヨン・ベールは、まだ揺らせない。
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