ヴェールをどうぞ
何故こうなってしまったのか、うめは疲労感に耐えつつも後ろから迫るプレッシャーから逃れようと、森の中を必死に駆けた。隣で共に走っている知り合ったばかりの少年は、うめのように同じ距離、同じ時間で走っているはずなのに息を乱している様子はない。むしろ、こうして決死の形相で逃亡劇を繰り広げることになった原因……堕神・赤だんごの群れの方へ振り返っては「うわ、やばいな〜」なんて、暢気に声を上げているくらいだ。
「うわーん!桜餅〜!どこ〜!?」
「さっきはぐれちゃったからなぁ〜」
うめは弾む息が煩わしく、ぐっと唾液を飲み込んだがそれはカラカラになった喉に引っ掛かり、咳を誘発されるものになってしまった。何度も咳き込むうめの様子に、少年――ルーシャンは、ちらりと堕神の群れを一瞥してから、うめの手首をぐいっと力強く掴んだ。
「うえっ!?」
「このままじゃ追いつかれる!ねぇちゃん悪ィけど少しガマンな〜!」
引っ張られる形にはなっているが、一人で走っているよりも断然早い。そのスピードに、うめはガラス玉を彷彿とさせる綺麗な瞳を瞬かせた。ぐんぐん引き離されていく堕神の群れ、頬に当たる風の強さは久しぶりに感じるものの様な気がする――『風になる』っていうのは、まさにこのことなの!?
そんな感動も束の間、うめの脚はとうに限界を超えていた。もともと、運動なんて好んでする性格でもなく、どちらかと言えば頭脳派なうめにとってこの長距離鬼ごっこをするのには辛いものがあった。がくりと、膝が崩れ地面への衝突が近い――人は何か衝撃を受けたり、自分の身に起きる危険的なものは、ゆっくりとスローモーションで見えるというのは本当だったらしい。自分に今から害が及ぶというのに、うめの脳内はいたく冷静で「きっと痛いわよね」と、短い感想付きだ。
衝撃に備えようと身を固くし、ぎゅっと反射的に目を瞑るが、うんともすんとも痛みは来ない。むしろ、身体は浮遊感に襲われ何だか熱いような気さえする。ゆっくりと、眼を開ければもの凄いスピードで森の風景が過ぎ去っていく様子、微かに荒れた息遣い、視界の端にちらつく褐色の肌と銀髪には覚えがあった。
「怪我させねぇから安心してくれよな、ねぇちゃん!」
「え、えぇ……ありがとう」
オレンジとピンクの左右異なる色をもった瞳が利発的に細められ、口元はしっかりと弧が描かれる。うめを横抱きしたままでも落ちる事のないスピードに、うめは少なからず戸惑っていた。食霊ならまだしも、自分と年端も変わらず、しかも小柄な少年が堕神から逃げつつ自分を抱きかかえたまま全力疾走……「この子の体力は、底なしなのか?」と。
風を切る音、忙しなく流れる風景も慣れつつあるが、未だ堕神・赤だんごのぽてぽてとした独特の足音は後方から聞こえてきたままだ。いくらまだスピードが落ちていないと言っても、ひと一人抱えた状態でこのままを保てる体力がこの少年にある訳では無い。と、うめも理解している――なにか、何かないの!?
早々と動く木々の間、その僅かな一瞬をうめは切り取れた。微かに開かれた空間、それが何メートルも横に続いている間違いない……小川だわ!
「ねぇ!すぐそこ!そこの小川をつたって行けば麓に出れるんじゃない!?」
後方を気にしつつ駆ける少年へ、うめは必死に自分の前方を指さした。少年は、言われるがままうめの指す方向へと足を向ける……うめの言うとおり、そこには二〜三メートルほどの小川が存在していた。少年はそれを一瞥すると、迷うことなく更に脚を動かす。
「ちょ、ちょっと!方向わかってるの!?」
「麓に出るんだったら川の流れに合わせて行けば大丈夫!そこで、ねぇちゃんの食霊にでも会えれば良いんだけど……っ!」
はっ、と吐き出された息は先程よりも荒い……やはり、少年の限界が近づいている。先程の様に自分で走ればいいのだろうが、なけなしの体力と脚力では直ぐに追いつかれるのは目に見えている。少年に自分を置いて逃げろと言っても、こうやって助けてくれている少年が「はい、そうですか」と、あっさり引き下がらないという事も、うめは理解していた。
どうしよう!どうしよう!――混乱と困惑がうめの冷静さを奪っていく。ひたりとひたりと迫る恐怖はこの世界で最初に味わったもの。悪い想像ばかりが砂嵐の様に、うめの心を傷つけていく……その脳裏の奥にあったのは、桜色。
ふわりと、うめの視界の端を一枚の花弁が風に流れ舞った。
それは、こっちだよ。と、誘っているかのような……ひらり、ひらり、ふわふわり。
「……っ、桜餅ー!!助けてー!!」
「もっちろん!任せてうめちゃん!」
力一杯の叫びだった。返ってこない言葉だと思っていた。しかし、その悲痛なうめの叫びは温かな声色によってあっさりと救われたのだ。
「いっくよ〜!」
花弁と同じ髪色の食霊・桜餅の掛け声によって、無数の桜の花弁が天から軽やかに落ちる。桜の木がない、緑に覆われた場所で踊る花弁は幻想的だ。腕を高らかに上げた桜餅は「せーのっ!」と、いう言葉と共にそれを振り下ろす。
可愛らしくダンスしていた無数の花弁は、まるで桜餅の意思へ従うように、うめ達の後方にいる堕神・赤だんごへ襲いかかった!一気に視界がピンクへ覆われた堕神たちは、悲鳴を上げてその場でのたうち回る。
「うめちゃん大丈夫だった!?」
「桜餅〜!!ありがとう〜!!」
少年に下されたうめは、力が抜けそうな足腰に鞭を打ちつつも自分たちを助けだしてくれた相棒へと思いっきり抱きついた。じんわりと寄り添ってくれる温もりは、彼女の心そのものだ。「心配したんだよ〜頑張ったね」と、しきりに声を掛け頭を撫でてくれる存在をもっと確認したくて、うめは更に抱きつく腕へと力を込めた。
「……小川の流れに沿って来たか、君にしては賢い選択だ」
聞きなれない男の声、馴れ馴れしくも感じるその口調にうめは覚えがなかった。未だに桜餅に抱き着きつつも、声の方へと視線を送ればその男は、自分と逃げていた少年へと声を掛けていた。
若葉色の長髪を揺らし、軍服を模した様な服に白の仮面、おまけに萌木色の炎を先端に宿した杖まで持っている怪しい出で立ちの男。
仮面の男・グリーンカレーの言葉に少年は、にっと歯を見せて笑い、目の前に堕神が居るのにも関わらず、どかりとその場に腰を下ろした。少年の息はすっかり上がっており、額には玉のような汗が滲んでいる……体力が限界を超えているのは明らかだ。
「今度は僕たちが相手をしよう……――烈火よ、一切を呑み込め」
煌々と揺らめく焔が一気に芽吹き、桜の花びらが鋭さを増した。
「うめちゃんがお世話になりました」
ぺこり、という可愛らしい効果音がつきそうなお辞儀に続いて、うめも慌てて頭を下す。その光景に、少年は「良いって!良いって!」と朗らかに笑った。
「おれは気にしてねぇし。むしろ、ねぇちゃんに怪我なくてよかった〜」
「そうだな。まず、君は自分の無鉄砲さを自覚した方が良い。勝手に食材集めに行くなと、あれほど言ったのにまだ足りなかったのか?」
仮面越しでも感じ取れる鋭い眼光に、うめだけではなく桜餅までもが背筋にひやりとした緊張が走った。身を固くして無意識に肩を寄せ合う二人に気が付いたグリーンカレーは「……失礼」と、ずれてもいない仮面を押し上げ、元に戻すような仕草を取る。
「まあ、でもさ!こうして、グリーンカレーにぃちゃんが助けてくれたし……っていうか、助けてくれるって信じてたし結果オーライだろ?」
「そのお蔭で、依頼の時間へ大幅な遅れをきたしているが?」
「え、まじ?」
笑顔から一変、眉を顰め顔を青くした少年とグリーンカレーのやり取りを見ていた桜餅が「あー!」と、大きな声を上げる。突然の大声に、隣にいたうめはもちろん、少年もグリーンカレーもそちらの方へと視線を向ける。一気に注目の的になった桜餅はそんなことを気にする素振りも見せず……いや、実際、焦っているのだからそんなことを自覚する暇もなかった。
「うめちゃん!校外実習に遅刻だよ〜!!」
「ええっ!?」
「うめちゃんってば、いくら実習の先生が遅いからって森の中に入っちゃうから〜!」
「時として好奇心は大事な物よ、桜餅」
「それは今だけでも仕舞ってほしかったよ!」
眉を八の時に下げた桜餅に腕を引っ張られつつも、うめは少年へと視線を向けた。
「助かったわ、ありがとう。お礼がしたいのは山々なんだけど、私そろそろ行かなくちゃ」
「こっちこそ!ねぇちゃんが川を見つけられなかったら、にぃちゃんと合流できなかったしお互い様だろ?」
「ふふ、そうね。本当にありがとう」
「……つかぬ事を聞くが、その実習とやらは『セントラル学園』のことか?」
「え、ええ、そうだけど……まさか、!?」
グリーンカレーの問いかけに、うめは瞬時に悟った……森の中で出会った少年、食材探し、堕神の群れを一瞬で葬る力のある食霊、依頼の時間、遅刻、待っても現れない校外実習担当者。
かちかち、と嵌っていくピースは最初から答えを見ているみたいだ。
「ふむ、僕の御侍……シャルよりも察しが良いのか」
「ねぇちゃん、生徒なのか!それじゃあ、おれの後輩になるんだな〜」
この少年の一言で、うめの予想は確信へと一変する。
「え、」
「おれの名前はルーシャン!こっちが、おれの相棒のグリーンカレーにぃちゃん!学園の先生には聞いてると思うけど、おれは『空輸専門の御侍』なんだ。よろしくな〜!」
にっこりと笑うルーシャンと名乗った少年、呆れたように息つくグリーンカレー、うめと共に固まる桜餅……それを壊したのは、うめの驚きに満ちた絶叫だった。
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