#子ども部屋と同一設定のつもりですが、切り離してもらっても読める話です



「気をつけてねー」
「ママ、……いってらっしゃい」
 少し前まで泣いていた息子は、悟の腕に抱かれて玄関まで見送りに来てくれた。納得はしていないようだが、私の目線に近い位置で小さな手のひらを懸命に振っている。

 以前から僅かな時間を縫って、家族サービスをおこなってくれる悟の父としての姿はあった。けれど先日の件から、我が家では月一ほどの頻度でパパの日というイベントが作られ、積極的に彼ひとりで息子をみてくれるようになったのだった。
 こういう家系に産んでしまったこの子を、普通の子どものように保育園に通わせてやることは出来ない。本来なら五条悟の妻子である私達は、五条家の厳重な警護のもと匿われるようにして暮らさなければならなかった。
 けれど悟の完璧なる手回しで、私達はこうして高専内に一室を借りて今の生活を送ることが出来ている。最低限のセキュリティとして、この部屋には何重もの結界が張られているし息子の衣類には常に護符をつけてあるが、お陰様でそれらが作用するような危険は一度も起こっていない。
 それでも結局のところ、安心して我が子を任せられる人間がこの場所に悟しか居ない私にとっては、息子を束縛する役目の人間が五条家の者から実母である自身に代わっただけであり。つまり息子の自立心や社会性を奪うかのように、私は彼からひとときも離れられなくなってしまったのだった。
 そのことに罪悪感を抱きつつも、自ら均衡を崩さなかったのは母としての使命感を盾にしていたからだろう。だが子どもの成長は日々著しく、それではいけないと父である悟は危機感を抱いていたようで。偶然とは思えないタイミングで私に旧友から食事の誘いがあり、そこから我が家では定期的なパパの日なるものが始まったのだった。
 悟は言わずもがな特級術師という多忙な身であり、彼にしか救えない命を天秤にかけると、丸一日という時間はさすがに現実的ではない。けれど他の術師の手を借り捻出した三、四時間の日中の子守りを何度かこなすうち、今では私が居なくても困り事なく彼も息子も楽しく過ごせているそうだ。

「お留守番よろしくね。それじゃあ、いってきます」
 そう口にしたものの、私の方もすぐに名残惜しくなってくる。普段は文字通り常に一緒にいるからだろう。私は踏み出しかけた一歩を引き返し、息子の柔らかいほっぺたに口づけを落とした。外への用事だから仕方がないが、ほんの数時間とはいえ離れるのはやはりさみしい。
 非難される覚悟でいたが恐るおそる顔を上げると、夫である悟も息子にしたのと同じものを強請るように頬をこちらに向けていた。



 昼間からこう堂々と出歩く機会が少ないため、真上からの強い日差しと照り返すアスファルトに目が眩む。病院を出る頃にはすでに昼を回っており、それまでは一刻も早く帰りたいと気を急いていたが、駅までの道のりを思い返し今は身体を第一にと、少し休んでいくことにした。
 ランチ時の混雑はピークを過ぎており、ふらっと入ったカフェではすんなりと席へ案内された。注文を終え、悟に連絡を入れる。返事はすぐにきて、息子もお昼寝モードらしく何もトラブルはないからゆっくりしておいでと書かれていた。
 グラスに追加でレモン水を注いでいると、注文したパスタセットが運ばれてきた。ふと思い返すが、ひとりでの外食なんて一体何年ぶりだろうか。昔は出先で食べることが普通で、面倒だからと自炊とは無縁の生活を送っていたが、人は変われるものだとしみじみ思った。
 なんてことないトマトパスタが、無性に美味しく感じる。なので今日は彼のお言葉に甘えて、ひとりの時間を楽しむことにした。



 行きと同様に公共交通機関を乗り継ぎ、駅直結のデパートで二人へのお土産を買ってから、私は高専へと帰ってきた。
 部屋の真ん前まで来たところで鍵をバックから出して、鍵穴へ手を伸ばす。防犯面から我が家の玄関は常に施錠しているのだが、最近になって鍵の存在を認識した息子のせいでチェーンまで掛かり、何度か悟がチャイムを鳴らしている。私も閉め出されないといいけどなんて思っていたら、勢いよく先に扉が開いた。
「おかえり」
「!ただいま、よくわかったね」
「見えすぎる目があるからね」
 悟は目隠しもサングラスもせず、出掛ける前と同様ラフな格好で私を出迎えてくれた。いつもは圧倒的に私が彼を待つ側なので、なんだが新鮮だ。
 促されてドアをしめると、悟が手を差し出してくれたので遠慮なく手荷物を渡させてもらう。その間に私は外履きを揃えて脱いだ。すると振り向くよりも先に、ふわりと背中から抱きしめられる。そして温かい息が首筋にあたり、回された彼の手は私のお腹を優しく撫でた。
「……嬉しい。また頑張ろうね。僕も精一杯協力するから」
「うん、ありがとう」
 私もそこに手を重ね、新しい生命が宿った場所を慈しむ。きっと今まで以上に悟には苦労をかけることになるだろう。けれど最近は、それでもいいのだと思えるようになってきた。私と同じく彼も二人目を望んでいた事は嬉しかったし、そのために現状を変えようと夫であり父であるこの人が真っ先に動いてくれたのだから。
 さて、今は穏やかに眠るあの子がお兄ちゃんになるということを、両親である私達は一体どういう風に伝えようか。
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