初めて脚本家に抱かれた日。


こみ上げる吐き気を殺して、僕はただただ彼の望むように振る舞った。


寮までどうやって帰ってきたのは、覚えていない。
翌朝、鏡に映った自分を見て、自分が酷く汚らわしく感じたことは覚えている。


枕をしてでも仕事が欲しい。


顔を売りたい。名前を売りたい。


これは全部、『BUCKS』の為。



鏡の中の自分を撫でながら、僕はそう呟いていた。












「瑞樹」


施設から帰ってきた日の夜。

僕の部屋を訪ねてきたのは、亮介だった。

突然泣き出してしまったことをフォローされた気恥ずかしさもあって、僕は亮介からあえて目を逸らした。


「どうしたの……」
「話がしたい。部屋、上がるぞ」


亮介は俯向く僕に御構い無しに、そのまま僕の部屋へと足を踏み入れた。
そうして、僕に断ることもなく、どかりとベッドに腰を下ろす。



亮介が何を話しに来たのか察した僕は、無言のまま、亮介の隣に腰掛けた。

ベッドの軋む音が、やけに耳に障る。


「………」
「………」



亮介と僕の間を、沈黙が縫っていく。




いつか問い詰められる日が来るかもしれないと、心のどこかで、僕はそう思っていた。


その日が、今日だったというだけの話。


僕は小さく息を吸うと、そのまま事の真相を打ち明けようと、口を開いた。



「…何の話をしに来たのかは…だいたい察しがついてるよ」
「…………」
「僕の首の痕を見て…どんな想像をしたのかは分からないけど……」



言葉にしなくて済むなら、それがどれほど楽か。

何を話しにきたか分かっているくせに、話をすることが本当は怖くて、つい言い淀んでしまう。

僕は亮介の顔を見ることができずにいた。




「お前の背中に…首の痕と同じような痕がたくさん残ってるのを見た」
「………」


亮介の言葉に、無言で、少しだけ背中を丸める。

「そっか、見られちゃってたんだね」だなんて、笑って誤魔化せる余裕はない。


ただ、自分がしてきたことが、現実の世界で起きていたことなんだと思い知る。

今更自分が汚いだなんだと、そんなことを思い返しても仕方がないのに。

亮介の呟きが、僕の心に突き刺さる。


亮介は全てを察している。


僕はそう悟った。



「……寝てたんだ。脚本家や演出家と。……陣が繁華街で見かけたのも、きっと僕で間違いない」
「………」
「陣の言う通り、売りと同じかもしれないね。それと引き換えに…仕事を振ってもらっていたから」


自嘲するように話すことはできても、相変わらず亮介の顔を見ることはできない。
ベッドで並んで腰掛けている僕たちの間に深い溝ができなければいいと、僕は沈黙の間にそんな事を考えている。


……僕はどこまでも都合がいい。


「……志朗や湊の為か」


絞り出したような声だった。

亮介の問い掛けに、僕は少しだけ、俯かせていた顔を上げた。

そして、ようやく、隣に座る亮介の横顔を見遣った。

亮介も僕を見つめる。

哀しそうな目で。

僕を、見つめる。



(…何のためにこんな事をしたのか)


(それは、ただ、)



「……僕らのためだよ」


僕の言葉に、亮介は息を飲んだ。

そして何も言わない代わりに、僕から目をそらして、うな垂れた。

僕はそんな亮介を、静かに見つめていた。

罪を告白した罪人は僕なのに。亮介こそあたかもそうであるかのように見えてしまう。


「これだけ長い間一緒にいたのに……お前の変化にすぐ気づけなかった。……自分が情けなくて……悔しい」


そう言った亮介は顔を上げて、僕に向き直った。

その眉間には、深い皺が刻まれている。

辛そうな顔をしている亮介を見て、僕は少しだけ動揺する。

情けないだなんて、亮介は一体何を言っているのか。

後に続く湊や志朗のため、そして僕たち5人のため、或いは僕を除いた4人のため。

そう思って脚を開いたのは、僕だ。

不埒で身勝手で狡猾な僕だ。



それなのに、なぜ。



どうして亮介は、今。



「亮介、なに、」



僕に腕を伸ばして、僕を抱き寄せているんだろう。


「っ、りょ、すけ…?」
「自分を傷つけても他人を生かそうとする。お前の悪い癖だな……」


亮介の腕に、力がこもる。
僕はただ、亮介の腕の中で、その言葉を受け止めるしかない。


「俺は……誰かに抱かれるお前を見たくない。傷ついてくお前も見たくない」
「………」
「そんな事をしなくてもいいように…お前が傷つかなくてもいいように…俺も頑張るから。お前と一緒に、頑張るから。だからもういい。…もういい」



未来が欲しくて、手を伸ばしていた。


どんなに汚されても、貶められても。


5人でずっと一緒にいられるのなら。


この世界で、生き抜いていけるのなら。



僕はそう願って、ただ一人で、足掻いていた。



泥の中を這いずり回った。


海の底から太陽を求めて手を伸ばした。


暗い深海に飲み込まれながら。


そして、水面へ足掻く僕の手をつかんだのは。



「っ、……ズルいよ、亮介……」





亮介の背中に、僕は腕を回した。
しがみつくように、その胸に顔を埋める。



「っ、うっ、……ぁ……」


身体中から涙がこぼれていくようだった。
堰を切ったように涙が溢れてきて。

止められなかった。



亮介は、咽び泣く僕の身体を、ただそっと抱きしめていた。
亮介の腕の中で声を殺して、僕はただ、泣きじゃくった。



身体の奥底に溜まっていた澱みが、涙になって出ていくような気がした。











翌朝。


気がつくと、僕はベッドで横になっていた。

亮介の姿をふと探してしまうけど、部屋の中にその気配はない。



ベッドから起き上がった僕は、壁に掛けてある鏡を覗き込んだ。
そこに映り込んでいたのは、泣き腫らした目をした僕。




汚れきり、疲れ切った僕は、そこにはもう、映ってはいなかった。





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