転機は、いつだって唐突に訪れる。



「…君たちの後見人になろう」



そう、チャンスはいつも、唐突に。





「なぁ」

「ん?」

「…決めたか?」

「…何を」

二段ベッドの上と下。

上のベッドから、真下で眠る俺に陣が声をかけた。

ごそごそ、と布の擦れる音をさせながら、陣の問いに掠れた声で返事を返す。もうちょっとで寝れそうだったのに、と少しだけイラついたが、陣の声が少しだけ弱々しい気がした俺は、陣の言葉の続きを待つことにした。

陣も寝返りを打ったのか、頭上の木目が軋んだ音を立てる。


「…あいつの話だよ」

「………」

15歳になった俺と陣。そして瑞樹。

俺たちは、この福祉施設で育ってきた。

ここにやってきた事情は様々だが、ガキの頃からこの施設で寝食を共にしている。そして里親や後見人が見つからないまま、今に至る。


このまま高校に進学し、18になれば、俺たちは3人揃って施設から出ていかねばならない。



「アイドル、ね……」


不意に溢れた言葉に、陣が微かに笑う気配がした。


「カネ欲しさにアイドルってのは、なんかちょっとアレだよな」


それにあのオッサン、怪しすぎだろ。


そう言って陣が笑ったから、俺もつい笑ってしまう。



「アイドルって、俺らのどこ見て言ってんだって感じだよな」

「あぁ。残念すぎる」


今日施設に現れた男。



榊 真哉。


俺たち3人を街で見かけ、その氏素性をなんとか調べ上げ、そしてここまでスカウトをしに来たのだという。


君たちを迎えに来たとかなんとか、訳のわからんことを言っていた。俺は勿論、他の2人も胡散臭い男相手に絶句していた。

だが、状況が変わったのは、ある提案をされてからだ。


『君たちがアイドルとして私達と契約してくれれば、私が君たちの後見人になろう』


悪い話じゃないだろう、とでも言いたげに肩を竦めて笑った男を、俺を無意識のうちに睨み据えていたのかもしれない。眉間に皺が寄っていると男に苦笑いされ、慌てて目を逸らした。

報酬や条件は魅力的だったが、それでも俺は、何故か榊と名乗ったあの男を信用できずにいた。

俺たちみたいなガキをスカウトするにしては、だいぶ大掛かりなことをすると訝しく思ったのは、俺だけじゃないはずだ。


だが結局のところは、このまま手をこまねいていても、俺たちに未来はない。


そんなこと、分かりきっているのだが。


「…でも俺、アイドルでもいいかって思ってる」


陣の言葉に、俺は少しだけ目を見開いた。そのまま、陣は続ける。


「もしこれで上手くいったら、志朗にも湊にも、もしかしたら他の奴らにもチャンスっていうか…これからの事、なんとかしてやれるかもしれねぇし」

「…どういう意味だ、それ」


聞き間違いと思い違いでなければ、かなりスケールのデカい話をした陣に、俺は素直に問い返す。

この施設…いや、もしかしたら、それ以上。

同じ境遇にある仲間たちのこれからのことも、考えているような…今の台詞はそんな口ぶりだ。


「アイドルって、売れたら儲かんだろ?そしたら今度は俺らが、俺らみたいな境遇の奴らを、助けるっつーか…そう!援助してやる事だって、出来るかもしれねぇだろ?」

「…援助って…それはまぁ…やり方にもよるだろうが……」


陣がたまに突拍子もない事を言う奴だという事は分かっていた。

だが何を言い出すのかと笑い飛ばせないのは、陣なら或いはやり遂げそうだと、心の何処かでそう思ってしまうから。


こういうのを、人徳というのだろうか。

不意に自分が賤しく思えて、少し哀しくなる。自分のことだけを考えてしまう事は、決して悪くはないのだろうが。


「…明日また来るって言ってたよな、あいつ」

「あぁ。…もう寝るぞ。明日も学校だろ」


陣の言葉を待つ前に、俺は半ば強引に会話を終わらせた。

もう少しだけ話したかったらしい陣が、二段ベッドの上で、何やら文句を垂らしていたが、それもすぐに止んで、代わりに寝息が聞こえてきた。


暗闇に慣れてきた目で、俺はぼんやりと天井の木目を見つめる。



カネ。

後見人。

瑞樹。陣。志朗。湊。

……俺。


本当は、カネよりも何よりも、自由が欲しいだけなのかもしれない。

誰かに許してもらうまでもなく、生きていたいだけなのかもしれない。

少なくとも俺は、俺の面倒を見てくれているこの施設の大人たちに、食事を与えてもらって、服を与えてもらって…まるで生きていることを許してもらっているような…そんな気がしているから。


こんな風に思う俺は歪んでいるのかもしれないと、時折…そう思う。


『アイドルって、売れたら儲かんだろ』


陣の言葉が、頭の中で響く。


まずは、自分の未来を自分が助ける。


誰かを救うのは、その後でいい。


力をつけてから、待たせた分、自分に助けられる分だけ助ければいい。



何にせよ、まずは、一歩。



前に進むしかない。



「…おやすみ、陣…」



寝返りをうって、瞳を閉じる。

そうして、俺は眠りの淵へとゆっくり落ちていった。


明後日の自分を。


契約を交わした後の自分の姿を、ぼんやりと想像しながら――…




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