当たり前だと思っていたものが、ある日を境に自分の中から消え失せてしまったような。
そんな錯覚を起こしたまま、毎日をすごしている。
今の自分は、風が吹けば消えてしまいそうだ。こんなか弱い自分は知らない。こんな打たれ弱い自分は知らない。
どこに行くのも、何をするにも、ずっと一緒だった。カメラの前で笑うときも、マイクを持って歌うときも。
けれど今は。まるで。
一緒にいるのに、一緒にいないような。
…ただ、虚しさだけが、胸の内を占めている。
カメラが回る、その間。絶対に気を抜いてはいけない。
この世界で仕事をする前に、身体に叩き込まれることの一つだ。
赤いランプが点灯しているカメラが、カラスのように、じっと自分を見つめる。見つめられたその先には、何千、何万という視聴者がいるなんて、未だに信じられない。
常に笑顔でいろ。
常に油断するな。
少し大袈裟なくらいにリアクションをしろ。
叩き込まれたノウハウは、勿論これだけにとどまらない。けれど、概ねこれだけをきちんと頭に入れておけば、事故には繋がらない。
だが、今の湊には、それすらも頭に入っていないようで。
「湊。ちょっと来なさい」
バラエティ番組の収録。
ひな壇に座っていた湊の様子がおかしいことに夏が気がつくまで、そう時間はかからなかった。
収録の間の休憩中、夏が湊をセット脇へ呼びつけた。
「なに?なっちゃん」
「なに、じゃないわよ。あんたどうしたの!カメラに抜かれてんのに全然リアクションしない!ニコリともしない!…現場があんたに気を遣ってんのわかる?」
「あ……そ、うだったんだ、ごめん…」
現場のスタッフから気を遣われているだなんて、気にも留めていなかった。全く気づかなかった。
慌ててキョロキョロと目を走らせると、咄嗟に目があったADに、気まずそうにスッと目を逸らされる始末。
(え、…俺、今日そんなに浮いてる…?)
すっとぼけたコメントを残した記憶もない。いや、そうだ、そもそも、コメントをした記憶がない。
「どうしたのよ、どっか調子悪いわけ?あんたここんとこ、ぼーっとしてること増えたわよね?」
「…うん、…そうかも……ごめん…」
「だから。調子悪いのかって聞いてんの」
問い詰める夏に、湊は息苦しさを感じて、ぎゅっと眉根を寄せる。「すぐカオに出ちまうのはお前の欠点だ」と、いつか陣にも言われたことがある。
そう、陣にも……。
『その辺でやめとけ』
『勘違いだ』
「……調子……悪くないよ、別に」
「だったら!!もっときちんと仕事しなさい!!プロなんだから!!」
パシン、と軽く頬を叩かれる。
「イテッ!」
「そうよ、痛いでしょ!?痛そうなら痛そうなリアクションする!笑えるVなら笑う!いい!?」
「仕事をしなさい!」と、夏に檄を飛ばされる。
フラフラとよろめきながら、ひな壇に戻る。
こんなことは初めてだ。いつもは自分の感じた通りに仕事をしていればいいと、そう言われてきたけれど。
今はどんなVTRを観ても、おかしくもないし、悲しくもない。
……いや、もしかしたら、少し悲しいのかもしれない。
『勘違いだ』
『その辺でやめとけ』
『お前は特別だ』
『俺のいいようにされてただけだ』
『お前なら出来る。大丈夫だ』
『お前は特別だ』
……どれが、本当の陣の言葉だったのか。
考えても考えても、答えにたどり着けない。
溺れる一方の自分を自覚している。けれど、どうしようもない。誰かにすがるわけにもいかない。
少しだけ、自分の中の感情の糸が絡まってしまって、ぐちゃぐちゃになってしまっただけ。
きっとそうだ、そうなんだと。
自分に言い聞かせながら、湊はカメラの前で、ぎこちなく笑うのだった。
《湊の様子、最近おかしいよね?陣くんも、全然喋んないし。ちょっとおかしくない?あの二人。何かあったよね??》
スマホの画面に表示されたメッセージを読みながら、ため息をついたのは瑞樹だ。
問題を提起したのは志朗だが、困ったのは、これをメールした志朗が、陣と湊の異変に気が付いてはいるけれど、静観しているということだ。
こういう時に頼られるのが、兄の宿命、というところだが。
あいにく自分も、陣とはまだ折り合いが悪い。
ドラマのロケ現場、他の俳優のシーンが撮り終わるのを待ちながら、瑞樹はスタジオの外でスマホを触っていた。
先述のとおり、亮介との関係を陣に知られて以降、陣はまだ自分とも話そうとしない。勿論、自分も気兼ねして話しかけようとしていない、というのもあるのだが。
(…そろそろ限界かな……)
たった五人のグループのくせに、問題が噴出している。もう逃げてばかりはいられない。
BUCKSが空中分解する、なんていう悪夢は、万に一つもあってはいけない。
(さて……どうしようか……)
スマホをロックすると、衣装のスーツの内ポケットにそれをしのばせる。
そろそろ撮り終えた頃だろうと、スタジオの扉に手をかけた。
双肩が重い。
自身と亮介の未来だけではなく、BUCKSの未来も自分の肩にのしかかっている。
五等分のはずが、自分だけやけに重たい。
そんな気もする。
「瑞樹さん戻られましたー!カット27、カメラリハ始めまーす!」
「よろしくお願いします」
笑顔の裏側で。
瑞樹はずっと、陣と向き合うべきその瞬間について、考えを巡らせていた。
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