陣に手を引かれる。
陣の手に触れる手の平が、やけに熱く感じる。
懐かしい、陣の手。
俺が欲しがった、陣の、その手。
「なーんも喋らんと、黙って部屋の隅におってからに。お前、もう少しオモロイやつかと思ったけどな。なんや、大しておもんないな」
俺の顎を右手で掴んでいるのは、山ノ井組の組長。
俺は身じろぎもせず、怯えもせず。
ただ、目の前にいる一人の男に拘束されている。
「斎木征爾。山ノ井組まとめとる。拓馬さんとあのクソ女の息子っちゅうんは、お前か」
「………」
「…なんや黙って。気色悪い。挨拶も出来へんのか?あ?」
「っ……!!」
掴んだ顎ごと、乱暴に畳へ叩きつけられる。両手をついて、自分の身体を支えた。
…頭がついていかない。
俺が山ノ井拓馬と榊真弥の息子だから、こんな目に遭ってるの?
どうして俺じゃなく、陣を襲ったの?
陣が目立っていたから間違えただけ?
聞きたいことは、山ほどある。
「どう、して、…」
「…なんや。言ってみぃ」
「…どうして、陣を、襲ったの…?」
そう問いかけると、組長は俺の目の前にしゃがんだ。
俺の目をじっと、睨み据える。
俺は目をそらすわけにもいかず、組長の目をじっと見つめ返す。
すると、組長は俺の髪をぐっと掴んで、顔を引き寄せた。
痛みに少し顔を歪めると、組長は歯を見せて笑う。
「あのクソ女のガキやっちゅう確証があったらな。お前でも神名陣っちゅうガキでもな。どっちでもよかったんや」
「…榊真弥の…息子なら…?」
「せやけどお前でない方のガキを襲って失敗したかもわからんな。その辺のゴロツキに始末任せたんがあかんかったんや。こない中途半端なガキ生かしおって」
「っ……!!」
「山ノ井拓馬の血を引くガキは、この世にただ一人。お前だけや。こんなひょろっちいガキが拓馬さんの遺したガキやと思うとホンマ、どないしよかー思うで」
そう言うと、組長は俺の髪を掴んだ手をパッと離す。
立ち上がり、まるで汚いものでも見るかのような目で、俺を見下ろす。
どうしたらいいかわからず、俺は視線を床に這わせた。
それが気に入らなかったのか、組長は盛大に舌打ちをする。
「ホンマにお前拓馬さんの息子なん?なんやしょぼいわ。覇気も感じられへん、怯えよって。…吐き気するわ」
頭上から浴びせ掛けられる罵声に、俺はただ背中を丸める。
組長の背後、開かれた襖の向こうは、土砂降りの雨。静かな庭園に、雨が叩きつけるように降っている。
ざああ、という激しい雨音だけが、頭の中にリフレインしている。
「組長」
そこへ、一人の組員がはいってきた。
俺をここまで連れてきた、あのスーツの男だ。
男は俺に一瞥くれると、無関心に組長へと向き直った。
「なんや」
「客人です。その…神名湊を、迎えにきたと」
(俺を…迎えにきた…?)
(……陣!?)
咄嗟に、陣だと思った。
俺が期待して少しだけ身体を起こし上げると、組長は突然、その右脚で俺の身体を蹴り上げた。
「うっ、っ、……!!」
派手にやられた俺は、和室の床の間に蹴り飛ばされた。ガタン、と音を立てて飾り棚から落ちたのは、立派な木刀。
組長は冷ややかな視線で、俺を見下ろす。
「ほんまきっしょいガキやな。なに期待してんねん?お姫様にでもなったつもりか?情けないと思わへんのか?迎えに来られたんやで?自分」
「………」
「おい。迎えにきたんはどこの誰や」
「…神名陣です」
「ほぉ。あの殺り損ねたガキか。ええ度胸や。…もうえぇ、下がり。あとそのガキ、この部屋に呼べ」
「…畏まりました」
組長がそう言うと、スーツの男は部屋から去っていった。
その背中を見送りながら、俺の左手は、棚から崩れ落ちてきた木刀に触れていた。
組長は、再び俺の前にしゃがみこむ。
「せっかくの王子様やけどな。殺り損ねた詫びや、ボコボコにしてコンクリ括り付けて海ん中沈めたるわ。どや?お前も一緒に泳ぐか?コンクリ括り付けて」
(陣を…)
(殺す…?)
「やめろッ!!!!」
叫びと同時に、木刀を握りしめた左手を振り上げた。
組長の脳天めがけて木刀を振り下ろす。
だが、それはいとも容易く、組長の右腕で受け止められる。
自身の右腕にめり込んだ木刀を、組長の右手がぐっと掴む。そうして、木刀ごと、俺を引きずり倒す。
「ッ……!!」
畳に投げ出された俺は、起きあがりながら、それでも組長から視線を外さず、じっと睨み据える。
こんなに人を殺したいと思ったことはない。
心底、俺は今、目の前にいる斎木征爾というこの男を、殺したいと思っている。
(陣に触れるな…)
(陣に近づくな!!)
「陣は殺させないッ!!そうなる前に、俺がお前をッ!!!!」
「………」
「殺すッ!!!!」
吐き捨てた言葉に、偽りはない。
本当に、陣の身に危険が及ぶ前に、俺は何としてでも、この男をこの世から葬り去りたいと思っている。
組長が、俺から奪った木刀の切っ先を、俺の顔に向ける。
俺はその木刀をぎゅっと掴むと、組長を睨み据えた。
殺させない。
陣は、殺させない。
「湊ッ!!!」
その声に、弾かれたように顔を向ける。
組長の背後に、肩で息をした陣が立っていた。
陣は俺と組長の間にすぐさま割って入ると、俺を抱きすくめた。
「湊、怪我は!?」
「し、してない、だいじょうぶ、」
抱き締める陣の腕に掴まりながら、言葉を返す。少し、息苦しい。
「何してくれてんだテメェ!!!湊に!!!」
「ハハハハハッ!!!いやぁ、驚いた驚いた!!なんやお前、ちゃーんと山ノ井の血ぃ受け継いでるやないか!!この俺を殺すやなんて!!笑かすわ!!」
「………」
声を張り上げた陣を無視して、組長は俺に向かって大声で笑う。
陣の腕の中から、俺は組長に訝しげに視線を送る。
「安心したで、拓馬さん。この子はちゃんと山ノ井の子や…」
組長の視線が、少しだけ物哀しいものに変わる。
しかしそれも一瞬のことで、次の瞬間には、その視線は陣に真っ直ぐ注がれていた。
「おう、よう来たな。うちの若いもんが殺し損ねてしもてな。すまんな、中途半端に苦しい思いさせて」
組長の言葉に、陣の腕が一層ぎゅっと締まる。その腕の中にいる俺は、陣から伝わる緊張感と息苦しさに、眉根を寄せる。
「今後俺たちに関わるな。山ノ井拓馬も、榊真弥も。今の俺たちにはなんの関係もない」
「………」
「一切手出しすんな。湊にも。勿論、他のメンバーにも。誰にもだ」
「お前が神名陣か。なるほどなぁ…」
「………」
「お前、顔はあのクソ女に似て、中身は親父さんに似たんやなぁ。なかなか肝の座ったガキや。気に入ったで」
(陣の……親父さん……?)
「また遊びにき。そんときはちゃんともてなしたるわ」
「行くぞ湊。立てるか?」
「う、うん…大丈夫……」
親父さん、という単語が出た瞬間、一瞬だけ、陣の腕の力が緩まった気がした。
でも、それを感じるとほぼ同時に、陣が俺の手を引いた。
引きずられるようにして、部屋を出て行く。
陣に手を引かれる。
陣の手に触れる手の平が、やけに熱く感じる。
懐かしい、陣の手。
俺が欲しがった、陣の、その手。
(………)
少しだけ、振り返る。
「………」
木刀片手に俺たちを見送る組長の顔は、ほんの少しだけ、何故だろう。
哀しそうに見えた…。
「乗れ。ヘルメットかぶれ。ちゃんとつかまっとけよ」
小降りになった雨の中、陣がバイクを吹かす。
俺は渡されたヘルメットを被ると、後部座席にまたがった。
陣のおなかに腕を回して、しっかりとつかまる。
「帰るぞ、湊」
雨の中、陣の声が聞こえた気がした。
その言葉が、どうしてだろう、無性に俺の心を掻きむしって。
「……うん……」
俺は陣の背中に顔をうずめて。
……ほんの少しだけ、泣いた。
「良かったのですか。あのまま逃して」
陣と湊の消えた方を見送る組長の背後に、陣を案内した組員が佇む。
斎木はその言葉に振り返りもせず、ただ、小さな声で呟いた。
「追いかけたところで拓馬さんは帰ってこおへん。…あのガキの中に拓馬さんを見つけて、どこかホッとしとる。嬉しいと思っとる」
「………」
「拓馬さんによう似た、あの感情の迸り。あれが心を掴んで離さんのや」
「……今でも、お慕いしているのですか?山ノ井拓馬を」
「さぁ……どうやろなぁ……」
雨が降りしきる。
過去も想いも何もかも、いっそ洗い流してしまうかのように。
…雨音の中で、斎木は一人、湊の中に山ノ井拓馬の影を見ていたのだった。
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