『特別だ』と言われることが、心地よかった。
『お前ならできる』『大丈夫だ』と、そう言って陣に手をとられることが、心地よかった。
誰よりも、いつでも自分を見てくれている。分かってくれている。
そんな気すらしていた。
『特別』
陣に囁かれれば、そう思うことも容易かった。
息を吸うように。
『大丈夫。うまくいく。お前は…特別だ』
それは、魔法の言葉だった。
その報せは唐突に訪れた。
楽屋で珍しく五人顔を合わせた日のこと。
BUCKSのマネージャーである安藤夏に連れられ神妙な面持ちで楽屋を訪ねてきたのは、夏の妹、安藤秋だった。
「どしたの、秋ちゃん。泣きそうな顔して。また陣がアイドルでも泣かせた?」
「………」
場を和ませようとした志郎の問いかけに、秋は無言で返す。秋の隣で眉を釣り上げた夏が、後ろ手に楽屋の鍵を閉めた。
「…穏やかじゃないな」
「えぇ。今回ばかりは部外者に聞かれたらシャレにならないの」
肩を竦めた亮介の台詞に、夏は深刻な面持ちで頷き返す。
「ちょっと」と声をかけて、五人を楽屋中央のテーブルへと手招く。
そして、雁首揃えた五人の前に差し出されたのは、二枚の写真。
「…なにこれ…」
湊が動揺する、その写真。
秋が差し出したその写真には、どこかの路上で口づけを交わす、辰巳結城と。見慣れた後ろ姿があった。
「………」
本人を除く四人は、その後ろ姿が誰なのか、言わずとも分かってしまった。本人も、まさか撮られていたとは露知らず、写真を前に絶句していた。
「幸運にも顔を撮られたのは辰巳結城だけよ。けれど……この後ろ姿の正体が誰なのか、業界じゃちょっとした噂になりつつあるわ」
夏の言葉に、楽屋の空気が凍りつく。
写真を前に、五人は言葉を交わす余裕もなかった。
これは逃げられないのではないか。
追求を免れないのではないか、と。
「で、これはあんたなの?陣」
「………」
夏に問い詰められ、陣はぎゅっと目を閉じる。湊、志郎、瑞樹、亮介。そして秋と夏。楽屋にいる全員の視線を感じながら、陣は口を真一文字に結ぶと。こくり、と頷いた。
「……俺だ」
そう認めると、ソファに背中を預け、脱力した。
陣以外のメンバーが呆然とする中、すぐさま反応したのは、夏だった。鬼のような形相で、秋に畳み掛ける。
「秋、あんたんとこのカメラマンが撮ったんでしょ!?この写真、陣の後ろ姿カットできないの!?」
「む、無理だよ!!陰影でぼかすくらいはできるかもだけど、それ以上は…!!あたしだって雇われの身なんだし!!」
「…いいわ、この件、社長にあげて対応を考えるわ。そういう事だから、陣。ホテル暮らしは今日で終わり。キューブへ戻りなさい」
「………」
「返事は!」
「……わかった」
秋をつれて、怒り肩のまま、夏は楽屋から出ていった。
普段なら、楽屋に残されたメンバーでやいのやいのと会話が弾むはず、だが。
この状況で歯を見せてできる話があるわけもなく。
「…僕ら、次の収録があるから、先に出るよ」
「…オレも移動しなきゃ…」
瑞樹、亮介。そして志郎が、楽屋から出ていく。
湊と陣、二人だけになってしまった。
楽屋のドアが閉まると、廊下から聞こえてくる騒がしい空気は完全に消え失せてしまった。
窮屈な静寂に支配される。
「………」
「………」
湊が机の上の写真を手に取る。
数日間キューブに帰らず放蕩した挙句、こんな写真を撮られ。
辰巳結城とキスをする?
……あり得ない。
形容しがたい感情を含んだ湊の瞳に、目を伏せたままの陣が映る。
「どういうこと、これ……」
「……なにが」
「陣…辰巳さんと付き合ってんの…?」
そんな、まさか。
呆れるしかない。
湊の問いを煩わしいと感じて、つい語気が強くなってしまう。
「そんなわけねぇだろ!!」
「じゃあなんだよこの写真!!付き合ってもいないのにキスして、おまけにパパラッチまでされて!!油断しすぎだろ!!」
「俺だって好きで撮られてねぇよ!!関係ねぇだろ黙ってろ!!」
「……、関係なくないっ……!!」
「…は……?」
「俺は……!!」
『大丈夫だ。上手くいく』
『お前は特別だ』
その言葉は、自分だけのもの。
どんな意味であれ、その言葉があったから、自分は何度もステージに上がれた。
『特別』
そう。特別でいたい。
辰巳結城よりも。誰よりも。
ただ、これからもずっと、陣にそう言って欲しい。手をとって。目を見て。
「……陣の特別で……いたいから…」
不意に口からこぼれた言葉に、嘘偽りはない。
ただ、陣が辰巳結城とキスをした事で、暴発してしまった。感情をコントロールできずに、つい吐き出してしまった。
陣は湊の告白に、顔をひきつらせる。
それは思いもよらない一言だった。
「……なに言ってんだお前……」
不快も露わに眉を顰めて、陣は返事と同時にソファから腰を浮かせた。
吐き出してしまった自身の言葉に呆然としたままの湊は、陣を呼び止めることもできず。
楽屋のドアを開けた陣は、湊を振り返ることもせず、そのまま楽屋を出ていった。
バイクにまたがり、テレビ局の地下駐車場から飛び出した。
キューブにたどり着いた時、どの道を走って帰ってきたのか覚えていない程度に、頭の中は混乱していた。
ヘルメットを脱ぎ、頭を左右に振る。
湊に告げられた突然の言葉、その意味を咀嚼しようとしているが、しかし、何かがそれを拒絶している。
『陣の特別で……いたいから……』
きっと、恋愛感情ではない。そう思いたい。
湊の言葉を、自分が拒絶反応の如く勘違いしてしまっただけだと思いたいが、しかし、湊のあの言いようは、まるで……。
瑞樹と亮介の間にある関係性を想起させるような、そんな口ぶりだった。
「冗談だろ……」
心の整理がつかない。
それは、誰にも告げることのできない、陣の心からの呟きだった。
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