一、小さな一歩
私と六つ子との出会いは、ドラマチックなことなんて何もなくて、チビ太さんからの紹介だった。
大学を出て普通に就職をして仕事にも慣れ始めた頃。
通勤電車に揺られて、電話で怒られて、たまに残業をして。寝て起きて気がつけばまた通勤電車に揺られていた。
引越しをしようと思い立ったのは、毎日に虚しさを感じ始めたそんなタイミングだった。転職をする程の勇気はないけど、何かを大きく変えたい気持ちが私を動かした。
まずは不動産屋に予約を取って内覧に行った。紹介されたのはさして新しくもない川沿いのアパート。
今どき畳張りの六畳1Kなんて、若い女性には絶対人気ないよね。私も資料を渡された時は全然期待していなかったけど、実際に足を運んだら気が変わった。
なぜなら川を見渡す眺めが気に入ったから。不動産屋のおじさんもびっくりしていたけど、その場ですぐに入居を決めてしまった。
ゆっくりと確かに流れるきれいな水が人生の淀みを押し流してくれるような気がしただなんて、もちろんおじさんには言わなかったけど。
引越してからはベランダに出て川を眺めるのが日課になった。
確かに気は紛れたけど、でもそれだけじゃやっぱり私の人生は何も変わらなくて。また虚しさに捕らわれようとしていた夜。河原のいつもの景色の中に赤い提灯を見つけた。
屋台だと見当がついた時には好奇心に身体を乗っ取られていた。
「こんばんは」
その時の私は、昨日までと違うことならなんだって良かったに違いない。それがベランダから見つけた屋台の暖簾をくぐるなんていう小さなことでも。
冒険とも呼べないような、日常に投じる小さな一石。
「へいらっしゃい!おっ!こんな若いお嬢ちゃんがオイラの店に来てくれるなんて嬉しいねぇ〜。ホラこれ、サービスでぃ」
チビ太さんはそう言って一見さんの私にはんぺんをくれた。そんな人の良いチビ太さんと打ち解けるのに、時間は必要なかった。
「それでね、チビ太さん!もうその上司ってば酷いの!やっぱり僕が言った通りじゃないか君は僕の言うことに従ってればいいんだ、ってそれ最初に私が指摘したときは聞いてくれなかったくせに。……はあ、働くってなんなんだろうね」
まあまあその辺にしときねい、と空の徳利を差し出す私の手はやんわりと制止された。チビ太さんの言う通り、私は少々飲み過ぎている。そうだねまた来るね、と次の来店を約束してお勘定を済ませる。その無意識の一瞬に突いて出た独り言。
何か楽しいことないかな。
「楽しいことと言やぁ、年中楽しそうにしてやがる六つ子がいるなぁ」
「えっ?何の話?」
「何の話って、おめぇさん今し方言ってたじゃねぇか。なんか楽しいことないかって。」
「うそ、あれ口に出てたんだ」
「おいおい。こりゃ重症だねえ。あ、そうだ!今度六つ子がうちに来てるとき呼んでやろうか?あいつらのこと見てるだけで小さな悩み事なんてどうでもよくなるからよ!」
チビ太さんにそこまで言わせるなんて、六つ子とはいったいどんな人たちなんだろう。と言うか六つ子って。
俄然興味のわいた私は、是非にとチビ太さんに頼んでメールアドレスを残して帰った。これも日常に投じる一石になるかもしれない。暖簾をくぐる前よりずいぶん足取りは軽くなっていた。
あれから一週間と開けず、チビ太さんから連絡が来た。メールにはひとこと。
ただいま六つ子来店中。
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