血飛沫とまと

 船長室の扉を開ける。ちゃんと許可を取ってから開けたはずだが、船長は気付いていないような素振りで、一切こちらに意識を向けていなかった。
 許可されたのに、入室する一歩が上手く踏み出せない。
 相も変わらずに宝石で溢れかえったこの部屋は、船長の愛する小さな石一つひとつが光を反射し、目に煩かった。
「せ、船長……、」
 一歩の代わりに、勇気を出して一言口に出す。しかし、なおも船長はこちらを一瞥もしなかった。彼は自身の席で、机の上に脚を投げだし、小さな石を眺めている。もうかれこれ、五分以上も。正直、私には宝石の良さは分からなかった。さっさと売ってしまったほうが宝石も喜ぶに違いない、そう思っていた。ここにある宝石や宝石のついたアイテムをすべて売り払ったら、それだけでうちの海賊団は将来安泰に違いない。
「…………」
 ふと、船長が宝石を机の上に置く。そしてすっと立ち上がる。海の上に生きる男とは思えない、線の細い身体をしていた。外套を着ていないと、その細い身体が普段よりさらに細く見えた。シンプルな装いだったが、首元のネックレス、両耳についた幾つものピアス、そして指輪も。彼のアクセサリーにはすべてに宝石が輝いていた。おそらく、彼は宝石のついていないアクセサリーを身に着けるつもりも、所有するつもりもないのだろう。そのアクセサリーの多さは、しかしシンプルさを損なっていなかった。ぎらついているが、目には入らない。彼自身の存在感がその派手さを包んでいた。
 立ち上がると、船長は机の上においてあった小さな金のケースを手に取った。落ち着いた、ゆったりとした動作から、こちらを気遣ってさっさと準備しようという意識は全くないことが窺えた。ケースの中には紙煙草が何本も入っているようだった。船長はそのうちの一本を取ると力なく咥えた。
「あ、火……、」
 私は自分が携帯していたはずのマッチを探して、身体のあちこちに触れた。──が、
「いい」
 船長が無気力な声で、言った。
 見れば、船長はマッチをつけるどころか、煙草を手で支えることもせず、火をつけた。一瞬、目を疑った。何もしていないのに、煙草の先が青色にポッと輝いたのだ。
 船長は人差し指と中指の間で煙草を挟むと、脱力的にだらりと腕を下ろす。その煙草の先端からは確かに煙が上がっていた。
 船長が、ゆっくりと煙を吐く。船長の顔が柔らかい煙に隠れる。
 煙を吐くという動作だけで、こんなにも映える人を、私は他に知らない。
 貴族的な美しさと、退廃的な無気力。
 そして、船長はこちらにゆったりと近づく。
「なに?」
「えっ……、ぁ……」私は完全に言葉を失っていた。自分の用事すら忘れてしまったようだ。
「なにしてんの? 入っていいって言ったよな、俺?」
 低くゆったりとした声が鼓膜に響く。
 船長が私の目をまっすぐ見据える。
「あ、はい……、えっと、」
 船長の目が、まっすぐ私を見据える。
 また、彼は煙を吸い、ゆったりと吐く。
 私の顔と、彼の顔の間を、煙が埋めた。私は思わずせき込む。そして脳がふらついた、のと同時に、なんだか夢の世界にいるような不思議な心地になった。
 濃い煙の向こうに、うっすら、ゆっくり、彼の顔が現れる。
 なんて美しいのだろう。彼ほど『高貴な顔』を持つ男は、他にいまい。陶器のように艶やかで、赤子のように不可解な、ミルク色の肌。目の下の隈を除けば、均一にすべて白く、しわのひとつも、頬の赤らみすらない。表情が分からないのだ。この不気味さが、高貴と退廃と不安の同居が、私の心を惹きつけ、離さなかった。
 顔のちょうど中心線に、スッと細く形のいい鼻が通っている。そこを境に、全くの線対称で、小さな顔の中に、完璧な位置関係で顔のパーツが配置されている。まるで、国宝級の職人がつくった最高傑作の人形のようであった。
 なんて美しいのだろう。その白い肌にはサファイアの瞳が埋め込まれている。無造作な銀髪の間から覗いているのだ。まつ毛まで雪のような白銀で、聖母のように優しい目つきをしているかと思えば、食人鬼のように冷酷な眼にも見える。
 そして、その眼は、やはり何を考えているのか分からない。その目は何にも興味を示さぬようで、また同時に全てを見通しているようでもあった。目の奥には、何もない。しかし同時に、大空のように広大で、深淵のように底がない。何を見ているのだろうか。彼の目は。私の顔を見ているようであったが、私の心を見透かしているようでもあったし、はたまたどちらにも関心がないようにも見えた。
 私はやはり、何も言えなかった。
 これが、我らが船長、ラムズ・シャークなのだ。それを認識するので、精いっぱいであった。


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