03 二千歳辺境伯とご対面

 シャーロットは両手を「おねがい♡」のポーズで重ね、上目遣いにわたしを見つめる。

「お姉様がついに家からいなくなってしまうなんて……!」

 わたしから没収した服がソファに積み上がっている。とほほと溜息を吐きながら、軽い口振りで返す。

「シャーロット、お勉強頑張ってね」
「ええ! もちろん! お姉様も……えっと……? 二千歳を超える魔族の辺境伯様、でしたよね? 大変ですわ……」

 いかにも「大変そう、かわいそう」という憂い顔をして、義母様の腕に体を擦り寄せている。

「私はこの前、ガレス王子と魔法学園の庭園でデートをしたのよっ」
「あらまあ、素晴らしいわ。ガレス王子はなんて?」

 と義母様。

「私のことをたくさん褒めてくださったわ! 髪や瞳の艶が素敵だって。お姉様のことは……。髪の手入れもされていないし、結わえてもいないから、せっかくの金髪が台無しだと仰っていたわ……」

 シャーロットは緩やかなパーマをかけたキャラメルブロンドを揺らしながら、たたたっとわたしの元へ駆け寄り、甘ったるい声で零す。

「その……ご老体のサファイエ辺境伯様が、お姉様の金髪を気に入ってくださるといいわね! くすんでしまっているのが、むしろお似合いかもしれないわ!」

 まるで悪意なく発しているとでもいうような声色だ。
 それから彼女は、ナタリーを通して家に置いておくように伝えた、わたしの服や宝飾品を見てまわりはじめる。

「お姉様、こんな宝飾品を持っていたの? わたしはエメラルドのネックレスは持っていないのに……」

 言ってくれたらあげるのに。……と思うけど、たぶんそういうことじゃないんだろうな。

「お母様? この服、やっぱりいらないわ。時代遅れだと思うもの」

 わたしが特に気に入っていた服を指差し、お母様はにこにこと頷いてシャーロットの頭を撫でている。

「じゃあこのまま処分してしまいましょうか?」

 それなら返してほしいと言いかけた言葉を、シャーロットが遮った。

「お父様? たしか雑巾の予備が減ってきたと言っていなかった? こちらのドレスは、それに使ったらいいわ」
「シャーロット、なんて気が利く娘なんだ。そうさせてもらうよ」

 ドレスの生地が雑巾に使えるわけないのに。……嫌んなるな。



 それから、サファイエ辺境伯が到着したとの知らせが届く。シャーロットは今か今かと、わたしよりも彼の到着を心待ちにしている。……きっと年老いた容貌の辺境伯を一目見たあと、とことんわたしに嫌味を言うつもりなんだろう。

 家令が応接間の扉を開いた。
 まず、コツ、コツ、とヒールの床を叩く静謐な音が聞こえた。ダークブルーのローブがたなびき、裾に螺旋を描くダイヤモンドの紋様がきらきらと瞬く。それから、胸元のブラウスを少し開けて着崩した鎖骨に、大粒のサファイアをあしらった豪奢なネックレス。すらりとした体躯に、若々しく艶かしい白肌の手首が見える。
 彼はフードを外し、その|美《ヽ》|し《ヽ》|い《ヽ》|顔《ヽ》を顕にした。片脚を引き、上品な辞儀をする。

「お初にお目にかかる。ラゼスキア・サファイエだ」

 凛と通る氷を紡いだような声は、部屋をしん、と凍らせた。いや、声だけじゃなくて──その整然とした立ち振る舞い、女王にも見劣りしないほど美しく着飾った装束、そして人間離れした完璧な比率の目鼻立ち。

 老爺と言ったのは誰……?
 こんなに辺境伯様が格好いいなんて聞いてないけど……!?

 大変失礼だけど、さっきシャーロットが自慢していたガレス王子なんて目じゃなかった。きっと人間のどんな人よりも、この彼よりも美しい男を探すのは不可能だろう。
 老体とか……ご年配とか……とんでもない。20歳か22歳……いや、28歳にも見える。お父様よりも若々しい見た目をしているのに、お父様よりもずっと怜悧でいて大人びた目つきをしている。

 ようやくお父様は意識を取り戻したのか、ゴホン、と大きく咳をして、彼に返事をする。

「そちらは……サファイエ辺境伯の子息か?」

 あ、そうか。そうだよね。その可能性があった。
 彼は三日月をまぶしたような銀髪をさらりと揺らし、冷ややかな双眸を少し崩した。悪戯げに細められた視線へ、一気に神経が注がれる。

「いえ。俺が当主だ」

 お父様は彼の上から下まで目を滑らせる。

「二千歳を超えると伺っていたが……?」

 彼はまた首をかしげ、とぼけたように答える。

「二千は超えているな。……ああ、外見の話か。一定の年齢から、もう姿は変わらないんだ。期待させたな」

 いやそうじゃなくて! たしかにシャーロットの期待は見事に打ち砕いたけど!

「お、お姉様は……この方と、結婚する、の?」

 シャーロットは、空いた口が塞がらないとでもいうふうに口をパクパクとさせている。

「魔族だという話は通しておいたはずだが」

 サファイエ辺境伯、ラゼスキア様がそう声を落とすと、シャーロットは駆け寄って彼の腕へ擦り寄ろうとした。彼はひょいと体を横に傾け、シャーロットを躱してしまう。バランスを崩しかけたシャーロットがもう少しで転びそうだというところで、侍女が彼女を支えた。

「酷いですわ、今私、転びそうになったんですよ?」

 シャーロットは涙声で訴えかける。彼はまたどこか面白そうに微笑み、細い髪を揺らす。

「失礼致しました。婚姻して早々、女性問題でトラブルを起こしたくはなかったのです」
「わ、私はお姉様の妹ですよ? 家族になるんですから、ご挨拶くらいはくださるでしょう?」

 シャーロットはこれ見よがしに手の甲を前に突き出し、辺境伯へキスをするように促す。

「シャーロット嬢、俺は魔族だ。噛みつかれてもいいと思ってその手を差し出したのか?」

 彼はくつくつと笑ったあと、「失礼、冗談ですよ」と義母様とお父様へ目配せをする。それからダスメリカ公爵夫人である義母様のほうへ進んだ。同じく上品な所作で辞儀をする。義母様は手を差し出したので、軽く口づけを行った。
 ふたりの前で、辺境伯様は改めてその低い声を震わせる。

「この度はセラエル嬢との婚姻を迎えることができ、大変喜ばしく思う」

 お父様が返事をする。

「あぁ。こちらも、大事な領土を守っていると名高い辺境伯とこうして縁を結べたこと、感謝しておる」

 涼やかな目許が、お父様、義母様、シャーロット、そしてわたしへ移った。アーモンドアイの鮮やかなコバルトブルーの瞳に、それを飾るプラチナの長い睫毛。それが二度瞬き、わたしに向かって首を傾げた。

「お前がセラエルだな?」

 固まっていた喉を必死に動かし、首を落とした。
 混乱していた気持ちを整え、ようやく彼の顔を真っ向から見れた。頭で黒い角が螺旋をかいていること、耳が尖っていることに気づいた。でも、人外らしいパーツはそれだけだ。いや……それだけとは言えないか。肌は蝋を溶かしたように染みひとつなく、温度感の一切感じられない冷たい白色をしている。爪も少し尖っているように見受けられるし、同じ碧眼でもこんなに幽美な瞳は見たことがない。

 そもそも醸すオーラが、発する声色が、人間とは違う存在だと背筋をなぞるようにひしひしと感じさせる。

 彼はシャーロットを素通りし、わたしの前に立った。

「婚姻を結んでくれたこと、光栄に思う」

 辺境伯様はそのままわたしの前で跪き、呆然とするままのわたしの腕を取って、手の甲に冷たい口付けを落とした。

「あ……あ、の。は、い」

 彼はまた喉を鳴らして低く笑い、すくりと立ち上がる。ヒールを履いているせいもあってか、185cmはくだらないだろう。

 最後に拗ねた顔を取り繕えていないシャーロットへ視線を向けた。

「シャーロット嬢。妹君ですね」
「ええ……」

 辺境伯様が軽い辞儀をすると、シャーロットはめげずに手の甲を突き出した。辺境伯様はそっと手を取り、やはり丁寧に口づけを落とす。
 序列順としては正しいんだけど、彼がわたしだけに跪いていたことも含め、明らかに根に持っていそうだ。たぶん、未来の妻として礼儀を尽くしてくれただけだとは思うけど、わざと挑発させるようなことをしたようにも思える。


 青い視線がわたしの荷物で止まり、人差し指をクィと曲げる。すると、ふわりと荷物が浮き上がり、ひとりでに宙を移動し始める。

「ご挨拶もすんだところで。では、屋敷のほうへ帰ります。王よりご報告があるまでは、私めの素性や情報に関しては、他言なさらぬよう」

 わたしの腰に手を添え進もうとすれば、シャーロットは首を振ってずんずんとこちらへ歩み寄ってきた。でも途中で見えない壁に阻まれ、足が止まってしまう。

「どうして!? どうしてお姉様がラゼスキア様と婚姻なさるの? 私じゃなくて? 私のほうが……私だって……。どうして私だけ……!」

 泣き崩れるシャーロットをお父様が支え、おろおろと視線を彷徨わせている。
 何を言えばいいのかわからない。わたしだってこんなの、全然予想外だったのだ。

 お父様は苦しそうに声を上げた。

「実はこのセラエルは、前日まで貴殿との婚姻を渋っていたのだ。シャーロットはこんなに取り乱すほどに貴方に興味があるようなんだが、サファイエ公は……」
「なに、妹と姉で嫁を取り替えろと?」

 お父様は、罰が悪くなったように視線を揺らす。

「ははあ、私の冗談に合わせてくださったのですね? なかなか愉しいお方だ」
「あは、ははは……」

 乾いた笑いが漏れている。こんなお父様、見たことない。

「取り替えるなど、そんな無礼なことは致しませんよ。どちらのご令嬢にも不義理でしょう。それに私の提示した条件に合うのは、セラエルだと伺っておりますので」
「い、いえ。シャーロットもそれはそれは……」

 サファイエ辺境伯様の声色が一段低くなり、薄氷を纏った声が降りた。

「二度言わせるか?」

 この応接間にいる皆の、息を呑んだ音がした気がした。

「シャーロット嬢」

 ラゼスキア様が静かに語りかける。

「なにをそのように羨んでいるのかはわかりかねるが、俺はただの魔族だ。城の生活には不便するだろうし、〈魔の森〉を根城としていることには|違《たが》いない。楽しんでいる──とは言わないが、魔物を狩り、血潮を浴びることもしばしばだ。シャーロット嬢の望むような生活はできないと思いますよ」

 今はただ、あまりの落差にシャーロットがたじろいでいるだけだ。老体で魔族で、軍事に長けた辺境伯と言ったら、もっと筋肉隆々の渋い老爺や、むさ苦しい雄っぽさのある男を想像するはずだ。こんな……線の細い、すらりとした甘いマスクの紳士が来るとは誰も思わなかった。
 温度のない声色に少し頭が冷えたのか、シャーロットは身なりを整え、もう一度口を開いた。

「そう……ですわね。いくらラゼスキア様の容姿が優れていても、魔族ですもの。お戯れが過ぎましたわ。ごめんあそばせ」
「──ああ、容姿な」

 彼はわかっていたとばかりに薄く唇を歪め、目を細める。

「愛らしいシャーロット様にそう仰っていただけて、光栄の至りにございます。それと、」

 彼はにこやかに微笑んだ。

「馴染みのない方にファーストネームを呼ばれるのは好まない。次はご遠慮いただきますよう。では、またお会いする日を楽しみにしております」

 サファイエ辺境伯様はそうお父様と義母様へ声をかけると、わたしをエスコートし、応接間から出ていった。もちろん、荷物は魔法で浮いたまま勝手に運ばれてくる。そしてその後ろを、すごすごと侍女のナタリーが追いかけた。




 ナタリーとともに馬車に乗り込み、正面に座るラゼスキア様へ恐る恐る視線を送った。彼はというと、つまらなそうに肘をついて窓の外を眺めている。
 どういう……貴族様なんだろう。全然わからない。さっきの数十分間で、寿命を十年分くらい使った気がする。

 シャーロットは大丈夫だろうか。お父様と義母様が宥めるのに困っているかもしれない。たしかに彼女はイケメン≠ノ目がなかったし、こういう神秘的で冷たい印象のする美青年は貴族のあいだではなかなか見かけないし。

 まだどんな人かわからないけど、少なくとも第一関門はクリア、かな? 幸先はいい、きっとこれから運気が上昇するはずだ。


 ✶


 〈魔の森〉に入ってしばらく、ラゼスキア様は御者に声をかけて馬車を止めた。何かあったんだろうか。不思議に思って窓のそばから外を眺めていると、御者が地面に倒れ伏したのが見えた。

「いったい何が!?」

 ドレスの裾を持ち上げ、慌てて馬車の外へ出る。
 わたしが地面に足をついたころには、辺境伯様が御者の首に剣を突き刺しているところだった。

「……辺境伯様?」