02 王命婚姻と侍女の嫌がらせ

 ──サファイエ辺境伯は、〈魔の森〉を管理し、王国の安寧に大きな貢献をしている。

 この国ヴァーシック王国は、北東部に〈魔の森〉という魔物が蔓延る地域がある。
 かつては魔物や悪魔に苦しめられていた我が国も、悪魔たちを|獄界《ゲヘナ》に封じ込めることに成功し、ようやく平穏が訪れていた。ただやはり|獄界《ゲヘナ》に通ずる|獄門《カロンド》のある〈魔の森〉には、まだまだ魔物が残っているという。

 サファイエ辺境伯は、いつからか〈魔の森〉を管理する貴族として君臨し、その仕事の重要性から公爵と同等の地位を持つ者として認められている。

 悪魔たちを閉じ込めた|獄門《カロンド》の周りを監視し、また定期的に〈魔の森〉の魔物を討伐しているとか。森から魔物が溢れてしまうと、街や村に甚大な被害が及ぶ。今現在、魔物の恐怖に怯えずに過ごせているのは、サファイエ辺境伯のお力が大きいのだ。

 本来ならば王国騎士団を率いて戦わなければならないT級の魔物を、サファイエ辺境伯は、自領の兵士たちだけで討伐しているとか、いないとか。
 軍事の才だけは本当にあるのだろう。

 ……でもそんな人がどうして今更。わたしなんかと。


 ✶


 次の日、父に連れられ王城の応接間に通された。部屋には、ヴァーシック王国の王女であるクリスティーネ殿下が待っていた。穏やかな表情を繕いながらも、鋭い視線からは王家の風格が漂ってくる。
 じきじきに王族の者からお言葉を頂戴するなんて、本当に大事な婚姻らしい。

「サファイエ辺境伯と王家の間で、正式に婚姻を結ぶことが決まりました」

 静かな威圧感を携える声色に、わたしは背筋を伸ばした。

「セラエルも知っているはず。サファイエ辺境伯は〈魔の森〉を管理し、国境を脅かす魔物たちを抑えています。それは王国にとって計り知れない恩恵です。──しかし、ただ恩恵を受けるだけではなく、互いに協力関係を築き、盤石なものにしていく必要があります」

 王女様の声は優しげでいて、その裏には揺るぎない確信があった。

「本来であれば、王族の中から花嫁を出すのが筋でしょう。しかし、魔族との生活に適した者がいなかった。既に婚約が決まっている者も多い」
「魔族との生活……」

 彼女は頷く。

「ええ。ふつう輿入れの際は、複数名の侍女や護衛騎士、料理人を連れ立って新居に馴染む補助をするでしょう」
「はい」
「今回の婚姻では、これを一名にするとの契約に決まりました」
「い、一名?」

 名目上は、「魔族との生活に適する者があまりいないから、同行人は少なくなってしまう」という話だろう。
 だけど、実際は魔族である辺境伯側に強く出るため、あえて王族側から「使用人は少なくしたい」と伝えたのかもしれない。それにしても前代未聞だ。よっぽど足元を見られたくないのかな。

「ダスメリカ公爵より、セラエルならば一名の侍女で事足りるとのお話でしたので、こうして白羽の矢が立ったのです」
 
 きっと今回の婚姻で、お父様はなるべく公爵家から人を出したくないのだろう。人もお金も……わたしにはもう散々使ったのだから──そういう話だと思う。
 それに……王城で暮らす王子様や王女様たちは、魔族との婚姻を嫌がったのかもしれない。ただでさえ恐ろしい〈魔の森〉にある城で、しかも魔族と暮らすのだ。王族が素直に従うとは思えない。もちろんそれは、同じ人間である侍女たちも同じだ。

「あなたはダスメリカ公爵家の娘であると同時に、王族の血を引いている。だからこそ、この婚姻は単なる外交手段≠ナはなく、王家の誇りをかけた盟約≠ニなるのです」

 王女様は、わたしの目を真っ直ぐに見つめた。
 誇りをかけた盟約というのに、同行人が一人なんて……王族の立場もわかるけど。

「あなたには重責が課されます。サファイエ辺境伯のもとで、王国を代表する花嫁としての自覚を持ちなさい」
「はい。ご拝命、|仕《つかまつ》りました」

 わたしは立ちあがり、丁寧にカーテシーを行う。王女様との会合は、それでお開きとなった。


 ✶


 わたしは離宮でひとり、ペンを力強く持ってサインを書いた。
 結局、王族からは辺境伯様がどんな人なのかも説明されなかった。どう足掻いてもこの婚姻からは逃れられないから、伝えるだけ無駄だと思ったのかもしれない。

 今更「王族の血」だなんて。……悔しいよ。

 侍女なしでも過ごせるだなんて、公爵家の令嬢としては本来異常だ。それを特別質すこともなく、王族から嫁を出さずにすむからとわたしに匙を投げて……。

 結局いいように利用されてるだけだ。わたしの血も、今まで離宮でひとり生活できるように努力してきたことも。齢八までは高等教育を受けていたこともあって、ある程度の教養もある。だから王国を代表する花嫁として差し出しても構わないと──もしかしたら生贄にでもするつもりで、わたしを選んだのかもしれない。

 王国と辺境伯の外交であるにも関わらず、格下げの公爵家令嬢を引き渡し、そのうえ十分な侍女も連れていかないなんて……。魔族である辺境伯に依存するつもりはないと、王族の強気の矜恃が関わっているんだろう。その陰謀に、わたしは巻き込まれた。


 わざと辺境伯様を怒らせて、この婚姻をめちゃくちゃにして、王家と辺境伯の協力関係なんて知るかって、そう投げ出してしまいたい気持ちもある。

 ──だけど。

 わたしは机に置いてあったガーネットのネックレスを手に取り、その中心の宝石をゆっくりと撫でた。お母様がわたしにくれたものだ。

『ひたむきに、真っ直ぐに生きていれば、きっといつか報われるときが来るから』

 お母様はそう言いながら死んでいった。わたしを産んですぐ、病弱だった体がみるみる衰え、そう一言手紙を残して終わりになった。

 そんな母の言葉を、今も縋っていいんだろうか。信じてみてもいいのだろうか。


 いくらご老体の魔族と言っても、王族に大切にされている貴族であることはたしかだ。今は腹違いの妹にあれこれ嫌がらせを受けているけど、辺境伯様に気に入っていたたけたら、これも少しは……収まらないかな。
 背中の鞭打ちの傷も残ったままだ。お父様たちが、気づかれないようにしろと魔法の薬を貸してくれたけど、若い男ではなく経験豊富な老爺なら──美しくない肢体にも目をつぶってくれるかもしれない。

 この国のことも好きだ。今わたしの身の回りにいる人たちはあまり好きになれないけど、国が滅びてほしいとまでは思わないし、人並みには民の幸せを願ってる。
 だから……。


 わざわざ人間に手を貸してくださる魔族様なのだ。戦いがお好きだとしても、お優しい心の持ち主かもしれない。同じ悪魔や魔物に苦しめられた者なのかも。

 大丈夫、きっと上手くいくよね。
 
 もう一度ネックレスを強く握り、不安な心にぎゅっと蓋をした。
 


 ✶



 お父様は荷物を入れる箱のいくつかに魔法をかけていた。「王命を賜った婚姻なのに、そのようなことをするのは」と軽く声をかけてみたものの、すぐさま一蹴された。それどころかまた腹を殴られ、「当主のやることに口を出すな」と怒られた。……間違ったことは言ってないのに。泣きそうになるのを必死に堪えた。
 相手は魔族で、魔法が得意なお方なのに。なんの魔法をかけているかは知らないけれど、こんなことをしてあとでバレたら……。

「お前には侍女のナタリーを付ける。三年もすれば向こうの生活にも慣れるだろう。そうしたら、ナタリーはこちらに戻せ」
「はい、お父様」
「お前と親しい侍女や騎士をという話らしいが、お前に親しい使用人はいないからな。仕方あるまい」

 お父様は髭を擦りながら、ナタリーに視線を移す。黒髪をひとつに結わえ、シンプルな装いながら侍女にしては整った顔立ちをしている。きりっとした表情で姿勢を硬くしている。

「ナタリー、よろしくね」

 昔馴染みの使用人だけど、仲良くしたことはない。シャーロットと一緒にいるほうが多かったはずだ。

「はい」

 ほとんどわたしのことは目に入っていなかった。どちらかというとお父様のことを見ているような……もしかして。このナタリーはお父様と……? いや、さすがにもうお父様も懲りたよね?

「セラエル。わかっておるな。お前が離宮で暮らしていたことや、荷物に魔法をかけたこと、公爵家での暮らしぶりを辺境伯に悟られるでないぞ!」
「はい、もちろんでございます」
「育てた恩を忘れるなよ。お前が無能なことが露呈されれば、お前自身が辺境伯を騙した罪人となるのだ。大事な王命を反故にし、国外追放されたくはないよのう?」
「はい。大丈夫です。精一杯嫁としての役目を努めて参ります」
「ふんっ!」

 お父様が言葉だけで引き下がってくれたことに、ほっと胸を撫で下ろす。



 荷物の整理には、侍女のナタリーも手伝った。離宮の狭い部屋でふたり、服を畳んで箱に仕舞っていく。

「セラエル様。こちらはシャーロット様がほしいと仰っていたお洋服です」
「ええ、そうだけど……」
「シャーロット様は、お姉様がいなくなるから寂しいと仰っておられました。こちらは家に置いておきましょう」

 絶対違うよ、それ……。ナタリーも知ってるでしょ……。

 シャーロットはわたしの腹違いの妹だ。
 わたしが生まれたその次の年に、義母様とお父様は念願の娘シャーロットを授かった。ただそのときはわたしの教育に付きっきりで、八歳の「〈聖魔法〉は使えない無能」認定を受けるまではシャーロットはほとんど無視されてしまっていた。そのせいで、シャーロットにはとっても嫌われている。
 そして義母様とお父様は、幼い頃にシャーロットを大事にしなかったことを後悔し、今は蝶よ花よと甘やかして溺愛している。

「こちらの宝飾品も、旦那様が辺境伯家には持っていくなと」
「そう……」

 それは魔法学園に通うときに、一切宝飾品を付けずにいたら公爵嬢として恥ずかしいからと持たされたものだ。……そっか、これもわたしに買ったわけじゃなく、借り物≠ナしかなかったんだね。

「こちらの鏡も、よろしいですね?」
「それは……八才の誕生日に義母様が……」

 まだスパルタ教育が続いていたときのことだ。誕生日に鏡をプレゼントしてもらって、──でもそのあと、無能の烙印が押されてしまったんだっけ。

「奥方様は、持って行ってほしくはないと」
「わ、わかったわ。置いておいて」

 このナタリーは、わたしの荷物を監視するために呼ばれたんだわ。はぁ……嫌んなっちゃう。

「こちらの靴も、シャーロット様がほしいと仰っていました。あぁ、こちらのブレスレットもですね」
「どうぞ……」

 もう諦めの境地だ。

「こちらの万年筆も、よろしいですか?」
「万年筆まで? 辺境伯様はすべて買い揃えてくださるのかしら……。魔法学園にはこれからも通うのよ?」
「ですが、ピンクダイヤモンドの印が可愛らしいと、シャーロット様が」

 そうね。シャーロットはわたしのものはなんでもほしがるもの。
 どんなに安くてもいいから、辺境伯様に何か書けるものがほしいと頼むことにしよう。

「でも、本来婚姻では新品の婚礼身支度品を持っていくものではないの? こんなにものを減らしてしまって……新品のものなんてひとつもないし……」
「王族が持参金を弾むはずだから大丈夫だと、旦那様は仰っておられましたが?」
「そうだけど……」

 本当にそれでいいのかな。こんなふうに選別ばかりして、本当に荷物が少なくなってしまう。

「この宝飾品は……」

 ナタリーがガーネットのネックレスを摘んでいるのを見て、わたしははっとして声を荒らげた。

「それはお母様の形見よ! それは持っていくわ!」
「ですが旦那様は、金目のものは置いていけと仰いました。王族からの持参金もあるのです」
「でも、嫌よ。嫌! それは嫌!」

 ナタリーは宝飾品を掴んだまま、冷たく見下ろす。

「ではこうしましょう。サファイエ辺境伯家に着いて数日は、新居に慣れるためにも飾っておきましょう。ですがそのあとは、私がダスメリカ公爵家へお届けします」
「そんなの……そんなのってないわ。それは私のお母様が……」
「そのお母様は、旦那様のご支援もあって貴方を産むことができたのでは? このネックレスも、旦那様のお金を使ったのかもしれません」
「そんなこと……」
「こちらは預かっておきますね」

 ナタリーはにこりと微笑み、自分の鞄に入れてしまった。

 もう嫌、嫌! ナタリーが来るくらいなら、もはやわたしひとりで嫁いだほうがマシ!

 半日に及ぶ選定ののち、ついに準備を終え、わたしはそそくさとナタリーを離宮から追い出したのであった。




 明日はいよいよサファイエ辺境伯に会う日だ。魔族……魔族。魔族は敵じゃない。仲間だ。

〈魔族〉と言うと魔物や悪魔が想起されがちだけど、実は|ま《ヽ》|っ《ヽ》|た《ヽ》|く《ヽ》|の《ヽ》|別《ヽ》|物《ヽ》だ。

 魔族は昨今、「かつて同じ人間だったのだから」と言われ、差別をしないよう王命が下されている。ほとんど人間と変わらない見た目をしており、吸血鬼、サキュバスやインキュバス、妖精などが魔族だ。

 一方で、魔物がさらに成長し人語を流暢に話せるようになった者が、悪魔だ。赤黒い体や漆黒の肌を持ち、ぎょろぎょろとした目玉や蝙蝠の翼、裂けた唇、醜く荒々しい形相、尖った歯に鋭い角……とにかく恐ろしい姿をしている。
 魔物は、禍々しく凶暴な動物のような存在である。

 悪魔も魔物も、人々の憎悪の怨念が固まってできた存在だ。わたしたち人間や魔族とはそもそもの作りが違う。


 そんな恐ろしくも醜い魔物を、サファイエ辺境伯様はひとり〈魔の森〉で狩ってくれているのだ。きっと大丈夫だ。優しいお爺ちゃんのような貴族様なら……きっと大丈夫。