「名前姉さん、誘ってくれてありがとう。ケーキも美味しい。それから、伝えたいことが、ある」
「ふぇ?」
フォークを咥えたままだったから間抜けな声を出してしまった。それにしても美味しいな、これ。生クリームの甘さの中に、酸味の強い苺が良いアクセントになっている。とりあえず口内にある分を飲み込んで琉生を見ると、優しい瞳に私が映っていた。
「要兄さんに、聞いた。ふたりの結婚、すごく嬉しいから。おめでとうって、直接言いたかった」
息を飲む。だって光の見立てだと、8番の配当率はゼロじゃない。でも要は、話すと判断した。それなら私は、この子の祝福を笑って受け入れないといけない。
「ありがとう、琉生。結婚のことだけじゃなくて、今までもいっぱい元気もらったからね」
「これからも、元気にする……それに、僕もたくさん姉さんに助けてもらってるから、お返し」
ん?琉生は今、誰が誰を助けるって言ったのだろう。幼馴染や昴、侑介に言われるなら、まあ納得できる。でも琉生は……駄目だ。何か助言したり、世話を焼いた記憶が一切ない。はてなマークを浮かべて、首を傾げる私に琉生は微笑んだ。てっきり話が続くのかと思いきや、黙々とパンケーキに向き直ってしまう。
────私と琉生はお揃いだね。ほら、私も皆と血が繋がってないし。でも家族だから、ハグしちゃう!
秋は好きだ。暑くも寒くもないから過ごしやすいし、食べ物も美味しい。栗とか、さつまいものお菓子もたくさん食べられる。なんだか食べることしか考えていない気がする。現実逃避は止めだ。頭を振って呟く。
「今度は棗……っ、そう。貴女は彼を選ぶのね」
昴は、どんな顔をしたのだろう。迷ったり、取り乱している姿の方が多く見てきたはずなのに、思い出すのは強く真っ直ぐな瞳。一番幸せな選択をしろと言ってくれたときの顔。10月26日、また光からメールが届いた。内容は明確で『7番 退場、勝者 9番に決定』とある。なんで送ってくるのよ、と携帯を壁に投げつけたくなった。本気で親切心のつもりなら性格を疑うけれど、楽しんでやっているとしても胸糞悪い。
椿とは数ヶ月くらい顔を合わせていない。元気だろうか。梓と棗も、要のことで気にかけてくれたとき以来になる。どんな顔をすればいいのだろう。作り笑いをしたところで、効果はない。こんな中途半端なまま何を伝えられるのか。自分の顔が歪むのを感じる。
11月に入ってから、3人に連絡した−−−伝えたいことがあることを文面に添えて。揃って会えることになったのは11月の下旬になってから。それが、今日だ。通りの脇に車を停めて待つ間、拳を握る。3人に貰ったワンピースの裾に少し皺が寄った。棗はいつもだけど、椿と梓も仕事が随分忙しいらしい。時間を作ってもらうことに申し訳なくなっている自分に小さく笑った。いつから私は、あの3人に遠慮なんてするようになったのだろう。
−−−言ってみなよ
要の声がよみがえる。絶対に祝福してくれるという確信と、要に吐露した弱音が、ないまぜになって胸に渦巻く。そんな私の思考を破ったのは、コンコンと運転席の窓を叩く音。ハッと顔を上げれば、椿が立っている。その隣には梓の姿も見えた。慌てて鍵を開けて、後部座席に乗るように伝える。
「なにぼーっとしてんだよ。外見てるくせに、窓叩くまで気づかねえとか」
「ごめん、ちょっと考え事してて」
「おかしいな。僕らの予想通りなら、今日はいい話を持ってきたはずなのに随分ひどい顔してる」
本当にこの双子ときたら、人が下手に出ていればポイポイと石を投げつけるみたいだ。会話のキャッチボールどころかドッジボールだ。ふたりで私を標的にしてくる。キッと後ろを睨みつけて、呆然とした。梓の眼鏡がない。
「え、なに…コンタクトにしたの?」
「お試し期間だよ」
「そう、なんだ……似合ってるじゃん」
素直にそう言うと、梓は笑った。柔らかい、綺麗な笑顔だ。その横で、椿もそっくりな顔で微笑んでいる。それを見て、2つの気持ちの拮抗が崩れた。何をつまらないことを考えていたのだろう。伝えなくてはならない、私の口から幸せだと。根拠のない不安より、今まで見てきた彼らの人となりを信じればいい。すると今度は、助手席のドアが開いた。想像通りの人物が乗り込んでくるのを見て、サイドブレーキを下ろす。
「まさか、こいつらもいるとは…先に言えよ」
「だって言ったら棗、来てくれないかもしれないじゃない。どうしても一緒じゃなくちゃ駄目なの」
予約した店までの道中、また棗が小言を垂れ始めた。後ろの二人(主に椿)がそれに便乗してくる。修学旅行かよと突っ込みつつ、気付かれないように少しだけ口角を上げた。10分ほどで目的地に着く。椿が日本酒が飲みたいと言うから和食にした。私は運転があるから飲めないのに。
「とりあえず乾杯しよーぜ!」
「何に乾杯するの?」
「そんなの決まってんだろ」
運ばれてきたドリンクを持った途端、椿がいつもの調子で言って、梓の問いに棗が答える。どうせ碌なことじゃない。ウーロン茶を持ったままで早くしてくれと黙っていると、3人が一斉にこちらを向くから零しそうになった。
「せーのっ!」
「「「名前、結婚おめでとう!!」」」
なんなのよ。声を合わせて、嬉しそうにしちゃって。ていうか、椿と梓は分かるけど、どうして棗まで同じ台詞なわけ。ついさっき顔を合わせたばかりなのに。未だにコップを前に突き出せないでいる私に、3人とも待っていてくれる。
「おい、名前……」
「おっまえ、なに泣いてんだよ」
「棗、後でかな兄に怒られてね」
慌てて自分の頬に触れると、確かに濡れていた。まさか泣かれるなんて思ってなかっただろうな。私だって泣くつもりなんてなかった。ああ、要じゃない人達の前で泣いてしまった。だから今日のこの涙は内緒だ。狼狽えた棗がおしぼりを手渡してくる。サラリーマンみたいにゴシゴシやりたいところだが、化粧が崩れるから目元だけを軽く拭いた。
「ごめん・・・・私、貴方達を見くびってたみたい。御託を並べて変な遠慮してた」
「なんだー?柄にもなく余計なこと考えてたのか」
「おい、椿」
柄にもない、らしくない。いつもの調子で言う椿を、棗が諌める。タルトを買ってもらったときに喚き散らしたから、あまり私を刺激するなということか。人を時限爆弾みたいに、と思うけど棗は心配してくれているのだろう。
「貴方達がどれだけ本気だったか知ってるから……私ひとり幸せになるみたいで、伝えるのを躊躇ってた」
「なあ、梓。コイツ、ぶん殴ってもいい?」
「気持ちは分かるけど、一応は女性だから駄目だよ」
うわ、めちゃめちゃ怒ってる。要の言った通りだ。今日の3人を見て痛感した。彼らはもう、歩き始めてるんだ。負った傷は完全には塞がってはないけれど、私が願ったように苦しいだけじゃなかったということ。慰めも、同情も、彼らは望んではいない。
「信じられなくて、ごめんなさい。ずっと傍で見てきたのに、私の知ってる貴方達なら笑って見送ってくれるに違いないのに、いたっ!」
「お、いいぞ棗。たまには良い仕事するじゃん」
ペチンッと小さな音を立てて、額にデコピンされた。地味に痛い。幼馴染でも私だって女だぞ。でもこれは棗の優しさだと知っているから、黙ってお小言を頂戴しなければならない。
「"たまには"は余計だ。おい、名前…お前が俺達を気遣ってくれたのは分かる。だがそれは、要らぬ世話だぞ。まあ、徒労に終わったってことだな」
「徒労って……もう少し言い方ないわけ?」
絵麻ちゃんに対してはあんなに優しいくせに、私には全然容赦がない。かと言って、この3人が私に優しい
「概ね同意だけど、さらに補完させてもらう。僕らと彼女のことは、君とかな兄の幸せとは無関係だよ。どんな状況だって、君が大切な幼馴染だという事実は変わらない。名前の幸せを、心から祝福するよ」
「だなー!てか、俺らのこと甘く見過ぎ。極端な話、振られた直後だろうが今際の際だろうが、笑って祝福できる自信あるね。まあ声優だから演技でもできっけど、本気で『おめでとう』って思ってんのに、演じる必要ねーしな」
言われ放題だ。でも、贈られるのは私を傷つける言葉ではない。胸の奥から温かい感情が湧き上がってきてまた泣きそうになる。泣かされることはないって言ったのに、要の嘘つき。鼻を啜ると、棗が揶揄うように笑った。恥ずかしくて、悔しくて、少し力を込めて肘打ちする。
「なあなあ!かな兄のプロポーズってどんな?」
「それがさ、なんとベッドの上」
「ぶは!マジかよ!!」
「おい、名前…そんなにぶっちゃけて大丈夫か」
ニヤニヤしながら尋ねる椿に、偽ることなく伝える。台詞はあーだこーだと言い合う双子に、棗は呆れ顔でお酒をちびちびしている。ふっと目を伏せて、プロポーズされた夜の要を思い出す。本当はどんな風に伝えてくれるつもりだったのだろう。今夜のことを報告するときにでも訊いてみよう。
勝者は決した。長かったコンフリクトは、ひとつの結末を迎えて、椿達と会ってから2週間が経とうとしている。まだ伝えられていない兄弟が3人いる。侑介に昴、それに絵麻ちゃんだ。弥には話したというより、バレた。油断して指輪をしたまま部屋に行ってしまって、あの子が気づかないわけない。飛び上がって喜んでくれて私の方が驚かされたくらいだ。
「は……結婚!?本当かよ!ついに!」
「わぁ、本当ですか!名前さんのウエディングドレス姿、すっごく楽しみです!」
侑介はまた太陽みたいに笑って、絵麻ちゃんは私の手を握って喜んでくれる。本当は別々に報告した方がよかったのかもしれない。侑介は元気そうだけど、やっぱり少し心配だ。私の視線に気付いたのか、目が合った。すると次の瞬間、安心させるように笑うから、胸が苦しくなる。俺は大丈夫だと、言いたかったのだろう。弟がこんなにも逞しいのに、私が暗い顔をしているわけにはいかない。
「ありがとう……っ、喜んでくれて嬉しい」
マンションを出て、残るひとりにメールを送る。昴は試合や練習で忙しいだろうから、都合がいいときに電話してほしい旨を綴った。携帯をポケットにしまって帰路に着く。すん、と息を吸うと冬の匂いがした。もう12月、いい加減に冬物のコートを出した方がよさそうだ。ストールを顎上まで持ち上げると同時に、携帯が震える−−−昴からだ。最初から電話にすればよかったな、と小さく笑って通話ボタンを押した。
「昴?ごめんね、忙しいのに」
「いや、部屋にいたから平気だ。名前姉が連絡してくるなんて珍しいから驚いた」
明るい声に、感慨深い気持ちになる。私は当事者ではなかったけれど、泣いて笑って恋を謳歌する彼らを見てきた。どうか昴には、この幸せを貫いてほしい。
「伝えたいことがあるの。本当は会って言えればよかったんだけど・・・・私と要、結婚するの」
「っ、そうか……よかった。悪い、気の利いたこと言えなくて。でも、嬉しいのは本当だ」
相変わらず口下手な昴に、笑みが零れる。声を聞けば祝福してくれていることは分かる。私からも『おめでとう』を贈らなければならないけれど、昴の口から言ってくれるまで待とう。そのときは、必ず笑顔で伝える。夜空を見上げながらそう誓った。