「そう。雅兄から言われてさ・・・人数は多い方がいいだろうし、俺も参加しようと思うんだ。イブの日なんだけど、名前も忙しくなかったら来ない?」
クリスマスが1週間後に迫ったある日。少し高めの店で一緒にイタリアンを食べていると、要が言った。確かに、なんだかんだで絵麻ちゃんが朝日奈家に来てからは参加していない。パーティーなら来れる人は参加するだろうし、たまには大人数でというのも楽しそうだ。返事を待つ要に頷き返す。
「そうだね、行こうかな。イブね…予定入れておく」
「ごめん」
眉を下げて謝ってくるから、小首を傾げた。理由の見当がつかない。別に行きたくないのに行くわけじゃないし、それくらい要だって分かっているはずだ。私の反応に、少し目を伏せて要が口を開く。
「せっかくのイブだから、ふたりで過ごせればよかったかなって…名前は昔から、そういう欲を言葉にしないだろ。だから俺も君に甘えてばかりだったし」
「は……いや、言葉にしないというか思ってない」
付き合い始めてから、確かに私よりも要の方がクリスマスやら記念日やらを気にしていた。私は誕生日くらいは一緒に過ごせればいいかな、くらいだ。友人達には有り得ないとよく言われたし、椿にも女のくせに冷めすぎだと苦い顔をされたものだ。結婚を決めた今もそれは変わらない。でも、そう思う理由は昔とは違うものになった。はっきりと本音を述べた私を、要は形容し難い表情で見てくる。
「そんな顔しないでよ。昔はさ・・・会えるだけでいいって思ってた。クリスマスじゃなくたって、一緒にいられればよかったの。私には、それだけでその日は特別な日になったから」
「彼氏冥利に尽きるね。毎日が記念日ってことか…」
要は頬杖をついて、外を眺めながら目を細める。少し嘘をついた。高校のときは、面倒な女だと思われたくなくて、わざと強請らなかった。今思い返せば笑い話にできるけれど、当時は繋ぎ止めるのに必死だった記憶がある。
「でも結婚したら、今まで名前にとって特別だったことが普通になるだろ。ずっと一緒にいるんだからさ。それなら、やっぱりクリスマスとかは特別になるんじゃないの?」
「まあね……でも、今年はいいの。私はこれから何度も要と迎えられるけど、皆は違うでしょ。何十回のうちの何回かくらい、家族で過ごしたいじゃない」
弾かれたように私を見る顔が面白くて、勝ち誇ったような気持ちになる。クスッと笑って、止まっていたフォークを再び動かした。
12月22日。パーティーまであと2日となったその日に、珍しい人から電話がかかってきた。ディスプレイの名前を二度見してしまったくらいである。慌てて通話ボタンを押すと不機嫌そうな声が聞こえた。
「遅い!この僕を3コールも待たせるなんて、名前姉さんじゃなかったら許されないよ」
「風斗・・・・ごめん。久しぶりだね、元気?」
「まあね。ねえ、今日マンションに行くから会いに来てよ。僕に伝えたいことがあるんでしょ」
すごく久しぶりな気がして、怒られているのに笑ってしまう。確かに伝えたいことがあるとは言ったけれど風斗からアクションを起こしてくるのは意外だった。それにしても、私の都合など関係ないらしい。幸い、特段予定はないからいいけれど流石だ。
「了解。リビングに行けばいいかな、何時?」
「夜の6時。待ってるよ、名前姉さん」
声だけ聞いていても以前と違う。会うのが楽しみだ。でも、どうしてマンションに出向くのだろう。あの子が誰かに会いに行くとは考えにくい。まあ理由は何であれ、今回を逃したらいつ会えるか分からない。
約束の20分前に家を出た。もう12月も下旬だから寒いのは当然か。はぁ、と吐いた息が白い。手を擦り合わせながら正面玄関を通り抜けた所で、足が止まる。視界を支配する光景に、脳が付いていかない。見えたシルエットは3つ−−−絵麻ちゃん、要、そしてもう一人。暫く会わないと言われたことなど忘れて、堪らず駆け出した。すらりと伸びたその背中に飛び付く。
「祈織!!」
数ヶ月振りに会う弟は、息を飲んで体を強張らせた。でもそれも一瞬で、胸元に回った私の腕にそっと触れると、祈織が小さく笑う気配がした。他のふたりも私の登場に驚いている。今日は風斗に会いに来たわけだし、要にも行くとは言っていないから当然か。
「妹ちゃん、見てよ。俺なんか眼中にないみたい」
「あはは……」
茶化す要の声は優しい。きっと、私と同じ気持ちでいる。要はさっき、祈織に笑いかけていた。守るための笑顔じゃなくて、あの冬の日に封じられた微笑み。油断したら涙が零れそうで、祈織の背中に顔を埋めたまま動けなかった。不意打ちだ。今度会うのは、この子が望んだときだと思っていたから心の準備ができていない。もしかしたら、出て来ない方がよかったのだろうか。でも顔を見たいし、話したい。ああ駄目だ、また自分のことだけを考えている。
「それじゃ、俺達は行こうか」
「え、でも・・・」
狼狽える絵麻ちゃんに、要は有無を言わせない様子で促す。久しぶりの再会は私だけじゃないはずなのに、いいのだろうか。絵麻ちゃんも察したように、マンションへと足を向ける。驚いたことに祈織は、優しく私の腕を解くと、その背中に声をかけた。
「要兄さん」
要が振り返って、私達を見る。その瞳はとても優しくて、また胸が鳴った。祈織は何を言うつもりだろう。てっきり自分は傍観する立場だと思っていたら、左手に何かが触れる感覚がして慌てて視線を移す。祈織の右手に握られたそれが、ゆっくりと持ち上げられる様をただ見つめた。そして、私の左手は吸い寄せられるように形のいい唇へと導かれる。小さなリップ音を伴って祈織は私の薬指へと口付けた−−−正確にはそこにあるリングに。
「祈織、お前……」
「まさか指輪ひとつで満足していないよね?虎視眈々と狙われていると思って、油断しないでおいて」
「そうみたいだな、肝に銘じておくよ」
要は祈織から目を逸らさずに言うと、背を向けた。一体何が起きたのだろう。何も言えない私の方を振り返って、祈織は笑う。幼い頃に摘んだ花を掲げて見せてくれたときのように、得意げな微笑みだった。そうしてやっと、私も笑い返すことができた。
「その笑顔が見られて、本当によかった。これで心から祝福を贈ることができる。姉さん、おめでとう」
「……祈織、うんっ、ありがとうね」
祈織は今までで一番綺麗に笑うと、私を抱き締めた。数秒そうしてから離れると、今度は両手が伸びてきて反射で身を硬くしてしまう。次に目を開けると、満足そうに祈織は言う。
「うん、やっぱりよく似合う。僕からのクリスマスプレゼントだよ。僕と会うときは、これを着けて」
首元を探ると、シルバーのネックレスがかけてある。会えるとは思ってなかったから、私はプレゼントなんて用意していない。不満が顔に出ていたらしく、祈織は愉快そうに口角を上げた。
「会えるって分かってたらプレゼント準備したのに」
「いらないよ。それに、もう貰ったから」
「え?」
「今日はまだ仕事があるんだ。またね、姉さん」
意味を尋ねる前に、祈織が横を通り過ぎる。振り向きざまに笑って、その姿が夜に消えた。嘘みたいに静かになってしまったから、夢だったんじゃないかと少し不安になった。確かめるように首元に揺れるネックレスに触れてから階段を上る。
4階の踊り場まで差し掛かると、話し声が聞こえてきた。見上げると、侑介の後ろ姿がある。別に隠れる必要もないので再び上り始めると、新たに風斗と絵麻ちゃんの姿が見えた。こちらを向いていたふたりが声を上げると、侑介も振り返る。
「名前姉さん!!」
パッと表情を変えて、風斗が駆け寄って来た。最後の一段を踏む前に抱きつかれて、バランスを崩しそうになる。慌てて手すりを掴もうとした私の体を、風斗は簡単に支えてみせた。やっぱり芸能人ともなると、鍛え方が違うのだろうか。こんな所、週刊誌にでもすっぱ抜かれたら大変だ。《朝倉風斗、年上女性と熱愛か!?》なんて見出しで。
「結婚おめでとう!あのエロ坊主が相手なのはすっごく不満だけど嬉しいよ、姉さんと本当の家族になれるんだから。ねえ、久しぶりに姉さんからキスしてよ」
まだ私の口から言っていないのに、先手を打たれた。それにしても、様子がどうもおかしい。少し早口だし絵麻ちゃんは顔を強張らせている。またこの子は何か言ったのだろうか。とりあえず、階段を上り切ってからお望み通り頬にキスを贈った。
「結婚式、ちゃんと呼んでよね」
「は・・・・ああ、ごめんね。風斗がそんなこと言うなんて意外で。私の方が『必ず来てね』って言う側だと思ってたから驚いちゃった」
「名前姉さんのドレス姿、僕だけ見られないとかありえないでしょ。ま、どっかの誰かの幸せより、よっぽど心から祝福できるよ」
私から身を離すと、スタスタと階段を下りて行ってしまう。チラと残りのふたりを見ると、侑介は風斗を睨みつけて、絵麻ちゃんは視線を落としている。背も伸びて大人びたのは確かだけど、風斗が素直になるのはいつのことやら。姿が見えなくなる前に呼びかけた。
「風斗!」
声をかけてしまってから少し後悔する。口煩く言うのは右京兄さんの役目で、私には不得手だと分かっている。お節介はこれきりだ。小さく息を吐いて、私を見上げる風斗に告げる。
「他人の幸せに順位をつけるのは勝手だけど、それを押し付けるのは駄目だよ。自分の思いを殺せとは言わないけどね。それと、祝福してくれてありがとう」
たぶん私にしか見えていないだろうけど、その瞳が僅かに揺れる。私がお礼を言うと、風斗は笑った。テレビで観るような営業スマイルじゃない、優しくて少し幼い笑顔は要にどこか似ていた。ヒラヒラと手を振って視界から消えていく。自分の部屋に戻るらしい。つまり私がリビングに行く理由もなくなった。
「名前姉・・・・風斗に優しすぎねえか?」
「侑介くんっ、もういいから!」
「別にそんなことないよ。侑介は絵麻ちゃんの方が大事かもしれないけど、私にとっては貴方や彼女と同じくらい風斗のことも大切だから」
ただの事実を言っただけなのに、侑介は目を見開いて驚いている。絵麻ちゃんは一瞬だけ瞳を潤ませて、小さく笑った。風斗が何を言ったか知らないけれど、あの子だって傷ついてないわけじゃない。それは侑介や彼女もそうだ。
「ほら、なに暗い顔してんの!」
「いてえ!やめろって」
不貞腐れている侑介の頬を掴んで伸ばす。振り払おうとするのが面白くてやめられない。そうそう、侑介はやっぱり笑っていないと調子が狂う。私が手を離すと頬を押さえる侑介の隣で絵麻ちゃんが微笑む。今度は彼女に抱きついて、耳元で小さく「おめでとう」と囁いてみる。驚きを隠せずにいるその姿がまた可愛くて両手を広げてふたり一緒に抱き締めた。