プロローグ

※松田視点。交通事故の描写がありますので、ご注意を。

まだガキの頃の話だ。確か、季節は春だったと思う。ある夜、親父が血まみれで帰って来た。怪我をしたのかと慌てて駆け寄ると、俺の頭を乱暴に撫でながら言う。

「俺の血じゃねぇよ」

息子を安心させるために作ったであろう笑顔はあまりに歪で、戸惑ったのを覚えている。喧嘩をしたのかと思い、誰の血なのか尋ねた。乱闘なんて起こせば、ボクシングの試合に支障が出る。そんな俺の心情を見透かして、親父はたった一言だったが返してくれた。

「すぐそこで、事故があったんだ」

それきり、いくら詳細を訊いてもはぐらかされた。次の日、現場と思しき場所で警察が作業しているのを見かけた。恐らく現場検証だろう。ブレーキ痕、変形したガードレール、道路に残った赤黒い血溜まり。子供ながらに大変な事故だったのだと知る。そして後日、新聞にその事故の記事が小さく掲載されているのを見つけた。

────飲酒運転か。横断歩道を歩いていた30代の夫婦が死亡。警察は過失運転致死罪で車を運転していた……

きっと親父は、その夫婦を救おうとしたんだろう。憶えているのはそれくらいだ。俺の中ではたったそれだけの記憶。自分の父親が、見知らぬ誰かに手を差し伸べたことが、ただ誇らしかった。だが、俺にとって喜ばしいことでも、当事者にとっては最悪の出来事。死んだ夫婦にも家族や友人がいて、その傷は一生癒えることなんかない。俺はそれを、理解していなかった。

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