たぶんきっと最初から

「わお、こりゃ選り取り見取り。女子高生が沢山。正に楽園だな、陣平ちゃん」
「そりゃお前だけだろ」

高校の入学式。皺一つない制服に身を包み、俺は隣の親友に声をかけた。安定の塩対応でも気にしない。早速、同じく新入生であろう女子達に視線を巡らせる。どの子もレベルが高い。折角の高校生活だ。楽しまないと損。長過ぎる校長の話を右から左に聞き流し、クラス毎に教室へ移動する。松田とは同じクラスだ。いくら人見知りしないといっても、親友と一年間同じクラスなのは有り難い。出席番号順に並び、一人ずつ自己紹介が始まった。気になる女子をロックオンできる時間だ。

「萩原研二です。一番後ろの席にいる天パで目付きの悪い彼とは幼馴染なんで、ガン飛ばされた時は俺にどうぞ。一年間よろしくお願いしまーす」

余計なことを言うなと、背中に松田の視線が突き刺さる。そんなの怖くもなんともない。ヒョイと肩を竦め、再び座った。無事に自己紹介が終わって、一旦休憩。その間、みんな各々立ち上がり、友達作りに勤しみ始める。

「ねーねー、萩原くんって背高いよね」
「うんうん、なんか大人っぽい」
「本当?嬉しいな、ありがとう」

早速何人かの女子に話しかけられる。至福の時間だ。努めて笑顔で返しながら、観察する。松田が呆れたように見てくるけれど、俺からしたらお前の方がマイノリティだと思う。綺麗な顔してるんだから、ちょっと優しくすれば女子はイチコロだろうに。そのうち機械が恋人とか言いそうで、お兄さんは心配よ。

「な、陣平ちゃんはどの子がタイプ?」
「あ?あんな下心丸出しの女、興味ねぇ」

確かに高校で彼氏を作りたいという女子は多いだろう。この親友はそういう子達が少しばかり苦手らしい。俺は健気で可愛いと思うけどね。

「まーたそういう事を・・・いいか、女子には優しくしなさいって。折角イケメンなのに勿体ないぜ」
「余計な世話だ」

軽く肩を叩いて茶化すと、おっかない顔で手を振り払われた。おお、怖。両手を見せて降参のポーズを取る。それが益々気に障ったのか、眉間の皺が深くなった。その皺を取りなさいって言ってるのに。

「そうだ、他のクラス見て回ろうぜ」
「は?なんでだよ、一人で行け」
「えー、冷たいなぁ」

ま、一人でも行くけど。仕方なく立ち上がった。振り向いて、本当に行かないのかと訊いてみる。すると視線すら寄越さずに、手を軽く振られた。付き合いは長いし、そんなことに一々傷付いたりしないけど、虫を払うときと同じ仕草じゃん。廊下を歩きながら、隣のクラスを覗く。教室の中では、すでに何グループかに分かれて談笑している。化粧をばっちりしたグループ、そこまで派手じゃないが学生らしいグループ、いかにも真面目そうな委員長タイプが集まったグループ。男子も似たようなものだ。

「あ、萩原くん」
「ん?おー、卒業式以来か。相変わらず目立ってるね」

声をかけてきたのは中学の同級生。ハーフでかなりの美人だが、すでに彼氏持ち。しかもめっちゃ年上の。初めて聞いたときは犯罪じゃないのかと思った程だ。他愛ない会話をしながら、その周りにいる友人達にも視線を向ける。

「なになに、知り合いなの?」
「えー、イケメンじゃん!」

高く弾んだ声が飛び交った。そこでふと、小さな違和感。恐らくそのグループの一員なのだろうが、会話に入ってこない女子がひとり。こちらに一瞥も寄越さずにスマホに文字を打ち込んでいる。自惚れに聞こえるだろうが、ここまで全無視されたのは初めてだ。だからか、名前も知らないその子の顔は、他の女子達よりも鮮明に俺の脳に刻まれた。

「くっそ〜、なんでバレたんだ?」
「そりゃあんな豪快に寝てたら気付くだろ」

不思議で仕方ないと言いたげな松田に、呆れたように返す。入学初日のその日は昼前には下校になったのだが、いつも通り松田と帰るつもりでいたら、予想外のハプニングが起こった。この親友様は初日から居眠りをして、ペナルティでプリント運びを手伝わされることになってしまった。前の席がかなりデカい奴だったから見えないと思ったらしい。勘はいいし勉強だってそれなりなのに、こういうところは阿呆だなと思う。

「仕方ないな。職員室に行けばいいんだっけ?さっさと運んで帰るとしようぜ」
「いや、いい。秒で片付けてくっから、ハギは外で待ってろ」
「なんで命令口調なのかねぇ」

手助けされるのがなんとなく不服なのか、松田は捨て台詞を残して走り出す。あーあ、先生に逆ギレしてペナルティ倍増されなきゃいいけど。初日からブラックリストに載っちゃうところが、らしいよな。言われた通り昇降口の端で待ちながら、ぼーっと校庭を眺めた。桜は散りかけて緑の葉が目立ち始めている。その時、ガチャンッと音がした。音の正体を探すと、少し先でひとりの女子生徒が自転車に跨ったまま突っ立っている。こちらに背を向けているから、たぶん俺には気付いていないだろう。新品の鞄や制服から新入生だとが分かる。一体なにしてんだ。特に深く考えずに近付いて、声をかけた。

「どうかしたの?」

俺の呼びかけに、彼女がゆっくりと振り向いた。少し焦ったような瞳が俺を捉える。その顔を見て、声は出さなかったが、確かに動揺した−−−あの子だ。今日、一番印象に残った女子。

「自転車の調子が悪いみたいで・・・これから行く所があるから急いでいるんです」
「新入生だよね?俺もだから敬語じゃなくていいよ。ちょっと見せてもらってもいいかな。こういうの得意だから直せるかもしれない」

努めて冷静に言葉を返す。よっぽど大切な用事なのか、彼女は躊躇せずに身体を引いて、自転車のハンドルを俺に託してきた。袖口から覗く細くて白い手首に、つい目がいく。受け取る時、僅かに肌が触れた。そこから恋が始まる、なんてことは起こらなかった。彼女はスッと自然に手を引っ込めて「ありがとう」と律儀にお礼を言う。

「いいよ。初日から説教食らったダチを待ってるところだから」

一度スタンドで立たせてから、屈んで故障箇所を探す。さっきの様子からすると、いざ漕ごうとしたら違和感があったのだろう。ハンドル、タイヤ、問題なし。

「あー、もしかして天パの人?」
「・・・え、松田と知り合い?」
「いや、さっき階段ですれ違った。大量のプリント持って。あと友達が噂してたから、初っ端から居眠りした強者が隣のクラスにいるらしいって」
「はは、そうなんだ。有名人だね、陣平ちゃん」

まさか俺より先に接点を持っていたのかと思った。それにしても、教室から一歩も出ていないくせに、隣のクラスにまで存在を轟かせるとは流石。

「仲良いんだ」
「まあね、昔から一緒だから。怖ーい顔してるけど、いい奴だよ。あ!あー、これだね原因は」

会話をしつつ見つけた不調の原因。なんてことはない。チェーンが外れていた。分かるように指差すと、ふわっと甘い匂いがして身体が硬直する。少し身を引いてから横を見れば、彼女が屈んで俺の手元を見ていた。シャンプーの香りだろうか。化粧もしていなそうだし、スカートの丈も標準だ。

「本当だ・・・どうしよう」
「これくらいなら応急処置でなんとかなるよ」

声には落胆の色が滲んでいた。そんな残念そうにするなんて、彼氏だろうか。ここでそんな事を訊けるほど不躾でもないし、度胸もない。慰めの言葉を吐きながらギアの一部にチェーンを噛ませて、ゆっくりとペダルを逆回転させる。あくまで一時的だが、仕方ない。

「随分チェーンが伸びてるみたいだけど、結構長く使ってるの?」
「うん、中学校からだから三年間。ちゃんと手入れはしてるつもりなんだけど、やっぱり寿命かな」
「いや、まだ十分使えるよ。まあ、後でちゃんと修理屋にみてもらった方がいいと思うけどね。はい、出来上がり」

ポンとサドルを叩いて振り向けば、嬉しそうに笑うから、工場の息子に生まれたことを感謝した。すると彼女は、何か思い出したように鞄の中から何か取り出すと、俺に差し出してくる。反射で右手を広げたら、コロコロと二つの飴が掌に転がった。

「本当にありがとう。今は持ち合わせがこれしかなくて。さっき言ってた友達の分も。お金は今度、
「は、金!?いやいや、いいって!これ、この飴で十分だから、本当に」
「そう・・・あ、ごめん。私もう行かなきゃ」
「ああ、そうだよね。うん、気を付けて」

金を取ると思われていたとは。慌てて断る。それきり特に問答はなく、彼女は素直に引き下がった。さっぱりしているな。それからスマホで時間を見て、申し訳なさそうに言ってくるから、頷いて手を振った。最後にペコリと一礼して、自転車で走り去る。その後ろ姿を見送りながら、はっとした。

「名前、聞くの忘れた」
「おい、ハギ」
「っ、うわ!陣平ちゃん・・・いつから居たの?」
「今だよ。んで?誰だ、あの女」

クイと顎で校門を出ようとしている彼女を示す。その問いに対して、どう答えればいいのか。名前も聞かなかった。知っているのは、隣のクラスだということと、自転車通学だということくらい。相手だって俺の名前すら知らないだろう。だが、彼女はこの幼馴染の名前が松田陣平だということは知っている。何故って俺が自分で言ったからだ。なんか負けた気がする。今度話すときは、自己紹介をして絶対に名前を聞こう。他の奴に聞くんじゃなくて、本人から聞きたい。

「別に、ただの同級生だよ」

今はまだ−−−心でそう添えた時点で、この想いに気付けていたら何か変わっていただろうか。違う結末があっただろうか。君の目に俺が映らなくなる前に、その手を取れただろうか。死ぬ間際、死ぬほど後悔することを、その時の俺はまだ知らない。

- back -