星を抱く人

きらきら────私が萩原研二を擬音で表すとすれば、これだ。同じ高校に通っていた彼は、学内では超が付くほどの有名人だった。整った容姿、分け隔てない優しさ、おまけに文武両道とくれば、モテない理由を探す方が難しい。一方で私といえば、そんな彼に積極的にアピールするような度胸もなく、遠巻きに眺めるだけの女子の一人であった。生徒Bどころか、アルファベットすら振られないだろう。会話も数えるほどしか交わしたことがない。それも一対一ではなく、グループの中での会話だ。そもそも、漠然とした憧れはあれど、明確な恋心ではなかったように思う。そういう男子というのは、どうしても輝いて見えてしまうものである。詰まるところ結論を言えば、彼と私は住む世界が違うのだ。だから、こんな事態は予想外どころか起きるはずがない。否、起きてはならない。

「遅いぞ、萩原!」
「いやぁ、ワリワリ。電車で痴漢が出てさぁ。とっ捕まえてきた」
「ぜってぇ嘘だろ」

ゲラゲラと笑う男子達と、突然入室してきたイケメンに騒ぎ出す女子達。私はそのどちらとも同じ反応はできず、持っていたグラスを握り締め硬直していた。爽やかな笑顔と巧みな話術で場を和ませたのは、紛れもなく記憶の中にいる萩原研二その人だ。あまりの衝撃に、数秒間息を止めていたことに気がつく。我に返り、慌てて隣にいた友人の腕を引いた。

「ねぇ、今日来るのってM大の学生だって言ってなかった?」
「違う違う。それは端の二人だけ。他大学の人もいるって。てか、最初の自己紹介でどこの大学だか言ってたじゃん。聞いてなかったの?」
「当たり前でしょ。ただの数合わせで参加してるんだから」

しれっと否定され、思わず発狂したくなる。得意じゃない飲み会に好意で同席している私の身にもなってほしい。大学で知り合った彼女は、悪い子じゃないのだけれど、肝心な事を言わないことがある。今までそれで多大な被害を受けたことはなかったが、今後は一層の注意を払わなくてはならない。そう心に誓い、どうにかこの場を乗り切る策を考える。いや、ちょっと待て。そもそもあの萩原研二が、私のようなモブのことを記憶しているのだろうか。彼はただ立っているだけでも女子が勝手に寄ってくるような人だ。そんな人物が、3年間のうち何秒か同じ空気を吸っただけの女の存在を認識しているわけがない。そうに違いない。よし、ここは冷静に初対面のフリを貫こう。作戦を決め、何事もなかったかのように顔を上げたその時だ。バチリという効果音を伴って、彼と目が合った。時間にして2秒くらいだろうか、不自然な間を挟み、どうにか口角を上げてみる。どうも初めまして〜、そう心で言いながら軽く会釈をしつつ顔を逸らした。我ながら演技が下手すぎる。それから数秒後、そっと視線を向けてみると、彼は輪の中心で笑顔を振り撒いていた。その様子にホッと胸を撫で下ろす。

「ちょっと、あのイケメンと知り合いなの?」
「高校の同級生…でも、知り合い以下だよ。満足に話したこともないし」
「何言ってんの、絶好のチャンスじゃない!大学で彼氏作りたいって言ってたくせに。あんな滅多にいない優良物件、逃すとかありえない」
「いや、優良でも高価すぎるというか…私には不相応だよ。というか、声が大きい」

端の席でよかった。努めて小声で話す私の横で、友人は本気の目をして肩を揺すってくる。お願いだから、これ以上目立つ行為は謹んでほしい。内心半泣きで祈るけれど、全く届かない。頑なに首を縦に振らない私に、とうとう最後は不機嫌になる始末である。協力してくれるのは大変有り難いが、非難されるのは些か納得がいかない。

「どうせ二次会はパスよね?」
「どうせって…まあ、行かないけど。えっと、なんかごめん。せっかく誘ってくれたのに」
「あは、なんで謝ってんの?あたしこそ、ちょっと強引だった。あんたがそういうタイプじゃないの知ってたのに…でも、今日は来てくれて嬉しかった。ありがとね」

シュンとしたかと思えば、最後は笑顔でお礼を言ってくる。こういう子だから、嫌いになれない。私も頷いて、二次会に向かう彼女に小さく手を振った。その先には、彼の姿もある。相変わらず、きらきらしてるなぁ。そんな風に思いながらバックを持ち直し、逆方向へと歩き出した。明日は一限がある。早く帰って寝てしまおう。

「苗字さん」

せっかくだからコンビニでアイスでも買って行こうかと、呑気な事を思ったところで後ろから声をかけられた。突然名前を呼ばれて、足を止める。振り返り、困惑した。そこに待っていたのはきらきらした彼────なんてロマンチックな展開はない。誰だっけ。さっきの合コンに参加していた人だ。申し訳ないが、名前を記憶していなかった。別に彼がタイプじゃなったからとかではなく、あの場にいた人達の中で私が名前を言えるのは萩原研二だけだ。ここは、私の向かいに座っていたから"お向かいさん"としよう。

「この後さ、ふたりで二軒目行かない?」

なんと。予想外のアクションにフリーズしてしまった。正直に言いましょう。答えはすでに出ている。NOである。ここで「はい、喜んで」と言えないから、私は彼氏ができないのだ。自分でよく分かっている。口では彼氏が欲しいと宣っていても、それはたぶん本心じゃない。大学生とはそういうものだというイメージみたいな感覚があって、なんとなくそれを実践してるだけ。背伸びをして、大学生らしくあろうとしている。少なくとも、付き合ってもいないのにこうして手に触れてくる男なんて、願い下げだ。

「ちょ、離してっ、
「ごめん。この子、先約があるから」

その声に、心臓が変な音を立てた。第三者の乱入に、お向かいさんと同じく間抜けな顔と声を披露してしまう。地面から生えてきたと思うほど唐突に現れた彼は、長い脚であっという間に私の横に並ぶと、肩を抱いてくる。服越しに伝わってくる手の温度に、抵抗感は微塵も浮かんではこなくて戸惑った。状況が飲み込めず、思わず疑いの眼差しで見上げてしまう。そんな私の視線など気にも留めていないのか、彼は微笑を貫く。無言の圧力に耐えかねたのだろう、お向かいさんは逃げるように去って行った。呆然とその様子を見届けてから、肩に回された腕の感覚を思い出し、慌てて距離を取る。とりあえず呼吸を整えて、なんとかお礼を述べた。

「あり、がとうございました」
「どういたしまして……てか、なんでそんな他人行儀?初対面じゃないでしょ」
「っ、そうだけど、友達でもないよね」

さらりと指摘され、言葉に詰まる。やっぱり気付かれていた。彼は、さっきまで私の肩に触れていた手を見つめ、目を伏せる。どもりながら思っていたままを口にすると、その視線が私を捉えた。冷たさを感じて、思わず足を引きそうになるけれど、なんとか堪える。

「確かにそうかも。俺、苗字さんのこと何にも知らないし」

なのに次の瞬間、それは消え失せた。見慣れた晴れやかな笑顔が再び現れる。あの頃から感じていた。この男は、自分を隠すのが上手いくせに、他人のことは簡単に見透かしてくる。

「二次会、行くつもりだったんだよね?今からでも、

肩にかけたバックの持ち手を握る。私の問いにキョトンとした顔をした後で、今度は声を漏らして笑った。イケメンは何をしても破壊力が凄い。

「いいのいいの。誘われたけど、断った。今日一番気になった女の子が行かないんじゃ意味ないだろ」
「そうなんだ」
「はは!そうなんだって、まさかの他人事?君のことなんだけどな」
「……流石にそれを真に受けるほど馬鹿じゃないよ、私」
「真に受けるも何も、ただの事実だよ。まあ別に、信じてくれなくたっていいけどね」

これはもしや、弄ばれているのだろうか。その眩さで惑わし、狼狽える私を腹の中で笑うつもりなのだ。そうでなきゃ、この展開に説明がつかない。きらきら輝く星のような彼が、私のような石ころに目を止めるはずがない。

「帰るなら、送るよ。電車?」

結構です。そう即答しようとした唇は、それ以上動かなかった。振り向いて私を見るその姿は、周囲のネオンよりもずっと、煌めいていた。無意識に手を伸ばしそうになって、慌ててもう一方で制止する。

「萩原くんは、悔しいくらいに変わらないね」

どこか突き放すような声になっていた。だけど繕うことはしない。どうせ無駄だろうし。私の言葉に返事をせずに、彼は歩道脇の鉄柵に腰掛けて、力を抜く様子を見せる。どうやら、これから始まるつまらない話を聞いてくれるらしい。分かってたけれど、格好いいだけじゃなく優しいだなんて狡いな。

「俺のこと、そんなに知らないでしょ」
「うん、知ろうとすらしなかった。萩原くんはさ、いつだって遠くて、きらきらしてて……星みたいで。庶民代表の私には手の届かない存在だから、こんな風に会話するのも烏滸がましい気がしちゃうんだよね」

なんと自分勝手な評価だろう。関わりもせずに高嶺の花と位置付けて────だって、その方が楽だった。一体あの時、本気で彼に恋をしていた女の子は何人いただろうか。上辺だけの恋心。私もきっと、その一人だった。こうして予期せず再会できただけ、運は良いのかもしれない。だけどこの運に身を任せる気はなかった。星は、鑑賞するだけで十分だ。それぐらいが丁度いい。触れたいだなんて、あまりに愚かしく幼稚な願望だ。

「俺ってすげぇ美化されてんのな」
「ごめん……気を悪くしたよね」
「いんや。でもまあ、プレッシャーは感じるな。理想をぶち壊して幻滅されねぇように気をつけるわ」
「それは心配ないと思う。萩原くんに幻滅する女子なんていないでしょ。そういう一面もいいなって、なるに決まってる」
「苗字さんも?」

思いの外近くで聞こえた声に、肩が揺れる。雑談している時よりも低くて、真剣な声。咄嗟に横を向けば、すぐ側にあった口元が挑発的に弧を描くのが見えた。驚愕と羞恥で、返事ができない。

「今のは、その、一般論」
「へぇ、一般論ね。じゃあ、庶民代表の苗字さんも例外じゃないってことか」
「っ、揚げ足取るのはやめて」

決して口達者じゃない私には、最初から勝ち目などなかった。なんとか打ち返すと、揶揄うように笑う声。視線を合わせたら絆される気がして、通行人に意識を集中させる。人がこんなに困っているのに、誰も私達に見向きもしない。隣にいる綺麗な星に、気づかないのだろうか。そんな事をぼんやり思った瞬間、指先に何かが触れる感覚がした。その正体を理解し、身体が硬直する。私の右手を握った彼は、得意げに笑って言った。

「星が人間に恋したって、いいだろ」

掌から伝わる感触に惑う。冷たすぎず、もちろん手汗なんて掻いてないし、スベスベしていた。優しい彼らしい温もりだ。そんな場面じゃないのに、ホッとしてしまうような。お伽話みたいな台詞も様になるのだから、世の中はやっぱり不公平だと思う。手を伸ばしてもいいのだろうか。この温もりの中に落ちてしまって、バチが当たったりしないだろうか。そう思っている間に、唇が先走る。欲というのは、なんとも厄介だ。

「できれば地上まで下りて来ていただけると」
「ふは、隕石かよ……りょーかい。その代わり、しっかりキャッチしてくれよ」
「庶民なりに精一杯の努力はしますっ、な、ちょ!?」

全て言い終える前に、勢いよく手を引かれて、その胸にダイブしてしまった。何をするんだ、この男は。こんな通りの真ん中で。そう叫びたかったのに、初めての感触に意識を支配される。星のわりに体温低いんだなぁ。なんて、思考を明後日の方向に持っていくことしか、庶民の私にはできないのであった。