「変わらないな・・・」
2年ぶりに見る住み慣れた街。おしゃれなカフェができていたり、駅中に貼られたポスターが初めて見るものだったりはしたけれど、それくらいだ。2年なんてそんなもの。それなら、どうして私は捨ててしまったのだろう。どうして大切に持っていられなかったのだろう。華やかな門出とはとても言えないあの日のことを思い出せば、また胸が疼く。夢か恋か。どちらか選べもしないくせに天秤にかけたつもりでいた。傾いた
「名前?」
私を名前で呼ぶ人間は限られている。それほど多くない友人と、唯一の肉親である父、そしてあの家族だけだ。ゆるりと振り向けば想像通りの姿。目を見開いた間抜け面に思わず笑ってしまう。
「久しぶり、棗」
「帰って来たのか・・・・どうして連絡しない?」
不満げに口を結んで棗が言う。同い年なのに父親みたいだ。棗とは幼馴染で、気を遣わない相手だ。椿や梓のことも好きだけど、棗といる方が楽だったりする。何でだろう、人間らしいからだろうか。そんなことを言えば椿がうるさそうだから言葉にはしない。
「今日会えたんだからいいじゃない」
「またお前は・・・かな兄は知ってるのか?」
「棗のことは好きだけど、お願いだからこれ以上掘り返さないで。要と私はっ…何の関係もないんだから」
言い淀むなんて、説得力の欠片もない。躊躇するということは未だに捨てきれていない証拠だ。苛々する、未練がましい自分に。目先のことに囚われて自ら燃やした恋心は私のことを許してくれそうにない。
「鏡見てから言え。とりあえず、飯でも食うか」
「棗、仕事中じゃないの?」
見ればスーツ姿だ。ゲーム会社に就職したところまでしか知らないが、私同様に忙しい日々を送っているに違いない。時刻は18時、定時あがりなのだろう。私の返事を聞かずに歩き出す。顔はかっこいいのに少し残念。要ならまず夕食を済ませたか確認して、それからリクエストを聞いてくれる。情景まで思い浮かべて我に返る。息を飲んで立ち止まって、そして笑った。
「(本当、馬鹿みたい・・・早く消さなくちゃ)」
天ぷらが食べたいと言えば、顔を顰めながらも店を探してくれる。器用貧乏というか、お人好しというか。そんなだから椿に勝てないのだと言ったら、天ぷらが反故になりそうだからやめておく。立派な店構えだ。まあ久しぶりの再会なのだし、多少背伸びしてもバチは当たらないだろう。
「元気にしてたのか?」
「すこぶる元気。仕事も大変だけど楽しいし、これからは
運ばれてきたグラスで乾杯をして、当たり障りのない会話が続く。聞けば棗も毎日忙しいそうで、営業マンはやはり体力勝負らしい。まあ陸上をやっていただけあって、そこは心配なさそうだ。
「皆は元気?風斗や弥は背が伸びたのかな・・・」
「二人とも育ち盛りだからな」
「あ、お土産あるから渡してもらってもいい?」
どちらにしても、朝日奈家に寄って行こうと思っていたから丁度よかった。棗経由で渡してもらえれば要に会わずに済む。正直まだ、笑って話せる自信がない。時が経てば、なんてよく言うけれど本当だろうか。当事者側としては時間の問題ではないと感じる。
悶々と暗い記憶を掘り起こしていると、目の前にスマホを差し出される。言わずもがな棗のだ。怪訝な顔をする私に、無言で突き付けてくる。画面に『椿』と表示されているのを見てやっと意図を理解した。
「もしもし?」
「お、マジで名前じゃん!元気かー?」
「声が大きい・・・元気だよ」
「ぜってー嘘」
ケラケラと笑う声は優しい。いつも賑やかなくせして見てる所は見てる。棗よりも余程鋭い。朝日奈家の皆は私にとって家族同然だけど、幼馴染と呼べるのは三人だけだ。椿、梓、そして棗。もう亡くなった彼らの父と私の父は友人同士。幼い頃はまるで四つ子のように育った。
「あ、そうそう!棗には内緒なんだけどさー」
何故、棗には内緒の話を今するのだろう。目の前に本人がいるのに、と言いたくなったけれど驚愕の一言でそれどころじゃなくなる。
「俺、妹できたんだわ!」
「は・・・まさか椿の妄想の話じゃないよね?」
「リアルな話!母さんの再婚相手の娘!!」
美和さんが再婚するとは聞いていたけれど連れ子がいるなんて。妹萌えな椿からしたら、念願の妹だ。めでたいことだし喜ぶべきなのだろうけれど、少し複雑。小さな嫉妬心が胸を刺す。からかわれるから絶対に言わないけれど。
しかし、どうして棗には内緒なのだ。まさかとは思うけれど言ってないのだろうか。椿の声を聞きながら棗をじっと見つめると、片眉を上げてこちらを見返してくる。棗には悪いけれど、ちょっと面白いから黙っておこう。
「あんまり困らせちゃ駄目だよ」
「それ、梓にも言われたー」
「まあ、めちゃくちゃに見えて分別はあるから心配はしてないよ」
いつも飄々としていてイジるのが好きだけど、梓や棗には時々ちゃんとお兄ちゃんだし、好きなことには全力だ。逆を言えば、妹がその対象にならないか不安ではある。
それにしても、教えてくれたことに感謝だ。結婚式でその妹とも会うことになるだろうし、心構えはしておかないと。とんでもない悪女だったら嫌だな、なんて考えながらまだ見ぬ妹の姿を思い浮かべる。
「−−い、聞いてるか名前!」
「あ・・・うん」
「じゃあ待ってんな!」
待つって何を。思い出を巡らせていたから全く聞いていなかった。勢いよく電話を切られてスマホを棗に返す。天ぷらをつついていると驚いたように声をかけられる。
「よくOKしたな」
「何の話?」
「聞いてなかったのかよ・・・今から家に来ることになったって言ってるぞ」
ずいと見せられた画面には『名前が来るって言ったから連れて来い』と書かれている。やられた。生返事で聞いていたのをいい事に椿の奴。不機嫌を隠さず顔に出せば、棗が笑う。
「一度言い出したら聞かないぞ、後が面倒臭い」
「よーく知ってますよ、十倍くらいになって返ってくるもの。行くわよ・・・ちなみに今日は誰がいるの?」
「安心しろ、かな兄はいないみたいだ」
そんな事聞いてない、少なくとも表面上は。"誰が"という森に
たぶん声を聞くだけで泣く。そんなに強くもないけれど、弱くもないつもりだ。要の前でだけ弱くなるのは、強がりを許さない人だからだろう。泣くのを我慢している時は決まって見透かされて。誰にも見られないように胸元に導かれるから、縋り付いて涙を流したものだ。吐き出せば不思議と胸が軽くなることを教えてもらった。手を離した後もその優しさに何度救われたか知らない。
「いつか・・・また笑って話せるかな」
ぽつりと無意識に零れた言葉。聞き流してくれればいいのに、目の前の男はそれを拾ったらしい。呆れたように息を吐いて、はっきりと告げられる。
「一つ言っておくが、かな兄はお前と別れたなんてこれっぽっちも思っていないぞ」
「−−−−は?」
丸めて捨てたはずの恋心はしぶとく息をしていたらしい。路地裏の猫のように、電柱下の雑草のように。死んだふりが上手すぎやしないか。胸の奥にある棺の中で眠っていた