綺麗なほど苦しい

※途中から過去編

棗と並んでサンライズ・レジデンスの前に立つ。時刻は20:45。居ないと分かっていても胸が騒つく。ここには思い出が多すぎる。そのどれもが綺麗だから余計に苦しい。思わず歪んだ顔を隣の男は見逃さない。

「おい、そんな顔で行くつもりか?」
「作り笑いは苦手なの」
「弥は寝てるだろうが、せめて笑って『ただいま』くらい言えよな」

無愛想なあんたにだけは言われたくないと思う。だけど、付いて来てくれるのは棗の優しさだ。昔から面倒見はいい。歩き出すその背中を追いかけながら、試しに口角を上げてみる。鏡もないし、採点してくれる人もいないから及第点なのかすら分からなかった。

−−−−−

幼い頃からずっと好きだった。理由なんてない。ただ好きだった。一緒に過ごした時間は、たぶん棗達の方が多いのに。どうしてか惹かれたのは貴方だけ。
だけど近くにいるからこそ分かってる、私は悔しいくらい妹だって。振り向かせて見せるとか思っていたけど、どんなに頑張ったって、その余裕を崩せない。だから、終わりにする。

高校の入学式。真新しい制服姿を見せようと朝日奈家に寄った。兄さん達が褒めてくれたのが嬉しくて、話が弾む。気付いたら外は暗くて慌てて立ち上がる。今日は父さんが手料理を振舞ってくれる約束だから、早く帰らないと。

「ごめん、もう帰らなきゃ!」

一人は危ないと声がかかるけれど、家まで歩いて15分の距離。それに今日は自転車だ。平気だと笑って、手を振った。エレベーターを待つ間、胸の辺りをギュッと抑える。本当は兄さん"達"じゃない。もちろん褒められたのは嬉しいけれど、誰より見てほしかったのはたった一人−−−要兄さんだけだ。

「可愛いけど、ひとりでそんな顔してちゃ駄目だよ」

口から心臓が出そうになった。誰か、なんて見なくても分かる。ロボットみたいに首を動かせば、目を細めて笑う私の好きな人。優しくて、格好良くて、家族思い。歳は3つしか変わらないのに、ずっと大人に見えるから悔しい。手が触れられる距離まで早く追いつきたい。何年もそう思っているけれど、この恋は不毛だ。初めから実らないと知っている。だって私は、家族のひとり。

「要兄さんはどうして彼女作らないの、モテるのに」

家まで送ると言った顔が、今まで見たことないくらい綺麗で戸惑う。自転車を押してもらいながらの帰り道に唇から出たのは、自分の首を絞める質問。だって芽を摘むなら早い方がいい。手遅れになる前に蓋をしないと、何倍も傷つくことになる。

「・・・待ってたんだけど、それも今日までかな」

泣きそうな顔を見られたくなくて、少し前を歩く。返ってきた答えの意味が分からなくて足を止めた。どういう意味、と聞こうとして振り向きかけた体が後ろから抱きしめられる。全く追いつかない思考と、硬直する体。声すら出せないなんて、相手が不審者だったら終わりだ。そんな私を他所に、くすりと笑う気配がした。

「なに・・・してるの」

なんとか紡げたのはそれだけ。自分でも声が震えているのが分かる。余裕のない心でも、嬉しいと思ってしまう。きっとこれは、戯れだ。惑わされてはいけないと脳が警鐘を鳴らす。お腹の前で組まれた腕を解こうとしたら、より強く力を込められて頬に熱が集まる。

「名前は、俺のこと好き?」
「好きっ、だよ。家族だもの、決まってるじゃない」

叫びそうになるのを堪えて、平静を装う。これは憧れ、親愛−−−そう、恋じゃない。お願いだから期待なんてさせないで。抱きしめないで。大勢いる振られた女の子の一人になるくらいなら、可愛い妹分のままでいたいの。

「嘘。もう少し大人になったら伝えるって言うから待ってたのに、随分手強いな」
「ちょっと待って!何の話!?」

センチメンタルな気持ちが一気に吹き飛んだ。全く身に覚えがない。そんな事言うわけない。だって伝えるつもりなんてないのだから。目を白黒させる私にクスクス笑う。一人で焦って馬鹿みたい。

「去年だよ、寝言で言ってた。名前の愛の告白が聞きたくて待ってたのに」
「まだ1年しか経ってないじゃない」
「もう少し待てって?それは拷問じゃないかな」

思いのほか冷静に返答できている自分に戸惑う。1年前の自分を殴りたい。まあ百歩譲って寝言はいい、しかしよりによって好きな人の前だなんて穴があったら入りたい。つまり要兄さんはこの1年、私の気持ちを知っていたということか。

「それで、愛の告白は?」
「伝えたって・・・受け取ってもらえなかったら意味ないの。お願いだから掻き乱さないでっ、

言葉が呑まれる。早くも遅くもない、と思うファーストキス。事故じゃない、それも相手は好きな人。なのに嬉しくないのは、一番欲しいのは決定的な言葉だから。こんなの、望んでない。好きって言ってくれなくちゃ信じない。このキスはいつもの意地悪じゃないと思わせてよ。離れた唇を睨みつけると、大きな腕に掻き抱かれた。

「好きだよ」

腕の中で目を見開く。耳元で囁かれたのは望んだ言葉。引かれるまま倒れ込めば、大好きな匂いが鼻先を刺激する。それだけでも頭がパンクしそうなのに、嗅覚だけじゃなくて五感全てで触れてくるから敵わない。声で、雰囲気で、分かる。本気だ。首元から顔までぶわっと熱くなるのを感じる。

「俺は君が思っているより大人じゃない。寝言一つで理性が効かなくなる。妹だなんて思ったこと一度もない・・・ずっとたった一人だ」
「もう、分かったから!耳元で囁くのやめて!」

甘すぎて、身体も心も保たない。砂糖菓子を齧っている気分だ。頬の火照りを春風が冷ましていく。涙まで出てくるけど、私の気持ちを伝えなくちゃ。目の前にあるシャツを握ってぐっと上を向いた。熱の籠った瞳に怖気づきそうになりながら唇を開く。

「私も・・・好きっ、です」

震えていたけれど届いたはずだ。祈織や他の弟達にだって『大好きだよ』と言うことはある。同じ言葉なのに、こんなに心臓がうるさい。でも鎮まってほしくないから不思議だ。

「よくできました、良い子にはご褒美をあげないと」
「待って!本当に、キャパオーバーだから!」
「ええ・・・じゃあここで」

距離を取ろうとしたら頬にキスをされて、また熱が上がる。私には荷が重すぎると思う。でも他人に譲るなんて御免だし、この人に振り回されるのがどうしようもなく好きなのだ。まだ目を合わせられなくて、俯きながら尋ねる。

「手・・・繋いでもいい?」
「仰せのままに、お姫様」

握られた右手に浮かれていた、たぶん付き合い始めてからずっと。甘やかすのが上手だから寄りかかってばかり。喧嘩をしたこともあった、ほとんど私の意地っ張りが原因だけど。兄さんじゃなくなって呼び方が変わっても、触れる指先は変わらず優しかった。2人で海に出かけて、何時間も浜辺で話したりして。全部、全部、キラキラしていて眩しすぎる。甘ったるくて吐き気すら込み上げてくるなんて馬鹿みたい。

笑う顔が好きだった。大人びた表情もだけど、子供みたいに笑うのが堪らなく好きだったの。私の初めてはぜんぶ貴方−−−恋をしたのも、キスをしたのも、夜を越えたのも。どれも他の誰かとしたことはないけれど知ってる、貴方以上に恋心わたしを満たしてくれる相手なんていないってこと。でも、もう遅い。

綺麗であればあるほど深い傷になるなんて思いもしなかった。確かに息はしていても、恋心あんたは満身創痍で傷だらけ。絆創膏じゃ役不足。

「せめて棗くらい速く走れたら間に合ったかな」
「何か言ったか?」
「なんでも。行きましょ」

前を歩いていたオレンジ頭が振り向く。気づけばもう玄関の前。思い出を巡らせていたら声に出ていたらしい。傷つけたのは他でもない私なのに、自分じゃ治せないのが厄介だ。なんの愛着もなかったら資源ゴミに出せたのにと小さく笑った。

−−−さよなら

あの日、貴方がどんな顔をしていたか私は知らない。視界に姿を映していても、心を見ようとしなかった。だからこの2年間、貴方がもう片方の恋心を大事に持っていたなんて信じられるわけないじゃない。

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とヒロインの関係が好き