欲しいのは君だけ

「何の用?」
「腹を括って来たのに、冷たいな」

よりによって父さんが留守のタイミングとは、わざとだな。しかも、アポなし訪問とはいい度胸。祈織と会ってから数日、2月最後の土曜日に要が尋ねて来た。

「話があるんだ、海に行こう」
「私だって予定があるんだけど?」
「予定?休日にその格好で?」

そう言って私の頭から足の先まで、わざとらしく視線を泳がせる。インターホンで要だと分かっていたから部屋着のまま。言い返せなくてぐっと睨めば、得意げな顔をするのが尚更ムカつく。

「ああ、つまりベッドに行こうってこと?明日身体に支障が出るだろうけど、名前のお誘いなら、
「分かった!行くから、もう黙って!なんで私にはそうなの?いつだったか『女性を強引に誘うのは趣味じゃない』って言ってたくせに」
「それだけ必死なんだ。本気で欲しいから、なりふり構っていられない」

鼓膜を揺らした台詞。急にシリアスを出してくるから気持ちが追いつかない。頬が熱くなる。なんだか負けた気がしてドアを思い切り閉めた。坊主なんだから、支度する間だけ外で待つくらいの忍耐は持ち合わせているはず。

15分で支度をした。ニットのワンピースとショートブーツ、化粧も最低限。本当なら服もメイクもバッチリしたかったけど、仕方ない。要を待たせてるし、今日は見た目より心構え−−−たぶん、真剣な話だ。せめて事前に言ってくれてたら、ちゃんと準備したのに。心はささくれ立ったまま、玄関を開けた。

「寒くない?」

その問いに小さく頷く。車が走り出して、窓から見える景色をぼーっと眺めた。時刻は18時。海から帰ってくる車はあっても、逆はそうそういない。降りた瞬間に後悔した。寒い。海風に吹かれて顔を顰める。上着を持ってくるんだった。この野郎と、誰に対してでもない悪態をついたとき、肩に重みがかかる−−−要のコートだ。

「ありがとう・・・・なんで笑うの?」
「いや、怒ってても御礼を言うところが名前らしいなと思ってさ」

砂浜に人気はほとんどなかった。車が走り去る音と、波の音が聞こえるだけ。手を取られて波打ち際まで歩く。いつもより少しだけ握る力が強い気がした。

「まずは謝罪だよな・・・ごめん。効いたよ、名前の叱責。俺は、祈織を傷つけるどころか、妹にまでトラウマを植え付けるところだった。本当に、馬鹿なことをしようとした」

愛情は時間が経っても消えないのに、怒りは徐々に鎮まっていくから不思議だ。怒ってはいたけど、正直あの瞬間の方がよっぽど頭にきていた。

「今度、自分の命を犠牲にしようなんて馬鹿なことしたら琉生に丸坊主にしてもらうから。あとひとつ言っておくけど、死ぬ間際の『愛してる』程度で縛れるほど私は安くない」
「うわ、全剃りは勘弁だな。いやそれにしても、あの緊迫した状況で読唇するなんてさすがっ、ちょ、嘘だから!グーはやめて・・・・・っ、無意識だったんだ」

一瞬言い淀んで呟く声。それが聞いたことないような声音で少し胸が鳴る。じっと目を見つめると、要は海の方に視線を移した。おいこら、こっち見ろ。手を伸ばして顔をこちらに向かせる、物理的に。その顔を見て唖然とした。

「本当に要なの?影武者とかじゃ・・・」
「いや、本物だよ。はぁ、敵わないよ本当に」

瞳を潤ませて口元を覆う−−−たぶん照れている。こっちまで恥ずかしくなってきた。ティーンじゃあるまいし、情けない。

「あのとき、名前の姿が見えて『ああ、言わなくちゃ』って・・・まさか読み取ってくれるとは思わなかったけどね」
「たとえあのまま死んだって、後を追ってなんかやらない。要以上にいい男見つけて幸せになってやる!」

そんな男いないけど。たとえ要より優しくて、綺麗な人でも、それは要じゃない。失礼だけど、その誰かは私にとって何の価値もない男だ。返事がなくて見返すと、思いのほか真剣な顔が見えて焦る。

「それは本気で嫌だな・・・父さんも、こんな気持ちだったのか。母さんの結婚式のとき『嫉妬しないで見てやってくれ』って頼んだんだ。そのくせ自分が同じ立場になったら、とても耐えられそうにない」

父さん−−−要や椿達の父親で、私の父さんの親友。私が中学生の時に亡くなった、要にとって特別な人。

「それなら目移りしないように、ちゃんと捕まえててよ。私だけを愛してとは言わないけど、その瞳を向けるのは私だけにして。約束、してくれる?」
「ちょっと待って・・・え、君だけを愛してとは言わないの?あー、掘り返すのは気が引けるけど、妹ちゃんとのキスの話といい、ちょっとドライ過ぎない?」

やばい、焦った要を見るの楽しい。椿気質が顔を出してきて、笑いそうになる。こんな顔をさせるのは私だけだと思ってもいいのかな。

「私、家族を愛してる貴方が好きなの。それに私だって他の兄弟のこと愛してるしね。この前だって祈織の頬にキスしちゃったもの」
「っ、祈織に会ったの?」

やっぱり。鎌をかけてみたけど、祈織は要に何も言ってないらしい。だけど私には伝えに来てくれた。少し優越感を感じて、ふふっと笑うと怪訝な顔をされる。

「会ったよ、話もした。でも要には教えない。私と祈織の秘密だから」
「へえ、まさか祈織に嫉妬する日がくるなんてな」

私の反応から、今の祈織の状況が決して悪い方には向かっていないことを察したらしい。要はいつもの調子で返事をすると、安堵の溜息を吐いた。その目は遠くの水平線を見つめている。私も釣られて視線を移す。

「なあ、名前・・・好きだ」

空耳だと思ったけど違う。海に向けられていた目は、いつの間にか私を映していた。焦がされたような、熱い瞳に心臓が掴まれたような心地がする。おかしい、さっきまで私の方が優位に立っていたはずなのに。結局いつも要のペースだ。何度も味わった感覚だけど、慣れることはない。それでも要に翻弄されるのは心地いい、ある意味で中毒みたいだ。

「好きなんだ、堪らなく。ずっと君だけに焦がれて、君だけが俺を掻き乱す。嫉妬心も、独占欲も、性欲も、掻き立てられるのはひとりだけだ」

要の右手が私の頬に触れる。繋がれていた方の手を引かれて、その胸に倒れ込んだ。嗅ぎ慣れた匂いに何故か涙が出てくる。たったひとつ、私が泣ける場所。

「抑えきれない。本当は椿や棗と話す姿だって見たくない、俺だけのものにしたい、君の全てを味わいたいと思う。正直、自分じゃ手に負えない」
「なに、それ・・・自分の煩悩でしょ」

思わず笑ってしまった。僧侶のくせに少しも断ち切る気がない。他人任せとか有り得ないんだけど。
真剣な話をするときの要の声は別人みたい。甘い言葉を吐くときとも違う、余裕のなさそうな声が私は結構好きだ。なんかサディストっぽいから言わないけど。

「愛してる」
「うん、知ってた。しょうがないから、私が受け止めてあげる。なんて、冗談・・・ああもう、悩むの苦手だって知ってるくせに」

顔を見られないように胸板にぐりぐり押し付ける。分かってる−−−本気で行かないと誰かに横から掻っ攫われるくらい要はイイ男だ。間違えるくらいなら悩んだ方がいいことは身を以て理解している。大きく息を吸って少し身を離す。自信たっぷりな顔なのが釈然としないな。

「えっと、私に全部ください。ごめん、今のなし!」
「え、なんで?すごいグッときたのに」
「・・・要にはずっと私に恋していてほしい。だけど求めるだけじゃフェアじゃないでしょ?だから私の恋心こころは要にあげる・・・以上、です」

茶化してくるのを躱して言えば、懐かしい『よくできました』と声が聞こえた気がした。急にお兄ちゃんを出してくるのやめてほしい。

「あ、忘れてた・・・あと、愛してる」

途端に息が詰まる。壊れるかと思うくらい強く抱き締められた。背中に腕を回そうとしたら、脇に手を入れられて身体が浮く。「ちょっと!?」と声が漏れる。子どもにするみたいに高く抱えられて恥ずかしい。いくらなんでも、ここ外なんだけど。それにコートも落ちてる。

初めて上から要の顔を見た。どくん、と胸が大きく音を立てる。ああ、この顔−−−私の好きな子どもみたいに笑う顔。やっと横抱きにされて、ひと息つく。
鼓動を整えていると、ちゅっとリップ音。この男は、私の心臓を潰すつもりらしい。

「本当はこんなキスじゃ満足できないけどね・・・下ろすけど、立てる?」
「いいから!早く下ろして!」

やっと地面に下ろされて、ふぅと息を吐く。落ちたコートを拾うと砂がサラサラと風に舞った。それなのに何でもないような顔をして、お金持ちなのは知ってるけど物は大事にすべきだ。手渡そうと差し出すと、手首を掴まれる。

「なに、まだ何かあるの?」
「驚いた・・・名前は心まで読めるの?」
「別に、ただの勘」

いつも見てるから、なんて言えるわけない。なんか悔しいし。誤魔化してみたけど、たぶんお見通しだろうな。視線を戻すと、また真剣な顔。今度はなんなの。

「実は、修行に入ろうと思ってね」
「は・・・・それって滝に打たれたり、座禅組んだりするあれのこと?要が?」

そこまで言って、この男が僧侶だということに気がつく。それにしても、ついさっき愛を語り合った?ところなのに。とか思ったけど、私もアメリカ行きの前に同じことしてたから責められないし、修行の理由は理解できなくもない。うまく言えないけど、祈織のことは要の中で一つの区切りだったのだと思う。

「そう・・・えっと、何て言えばいい?頑張って?」
「理由も聞かないんだ」
「だって別に、山に女がいるとかじゃないでしょう?あと煩悩も捨ててこなくていいから。せっかく私だけに抱いてくれてるなら持ち帰って来て」
「坊主に煩悩抱いておけって・・・無茶言うなぁ」

それにしても、僧侶らしいと思ったのは初めてかもしれない。そりゃ寂しいけど、今まで私の方が沢山待たせていたわけだし、少しくらい待っていられる。笑い飛ばして揶揄うと、無言で手を取られた。何か言いたそうに私を見る。冗談ならポコポコ出てくるくせに、真面目なことはよく吟味するんだよな。

言おうとしていることを想像してみる。たぶん待っていてほしいとか、必ず戻ってくるとか、そんなところだろう。それなら私の答えはひとつ。しかしかなりの時間−−といっても1分くらい−−が経っても無言のまま。まさか、この流れで別れを切り出されるのではと不安になってきた頃、意を決したように要が言う。

「抱かせてほしい」

今度こそ空耳だと思った。だけど計算したのかと思うくらいに引き波と同じタイミングで言われたから、一言一句ちゃんと聞こえた。左胸が大きく脈を打ち始める。私の中にいる恋心あいつがまた暴れ出した。

prev -  back -  next
とヒロインの関係が好き