その後悔を希望に

元日の昼過ぎ、私は朝日奈家に来ていた。父さんからお使いだと言ってお節を渡されたけど、何か裏がありそうで怖い。チャイムを鳴らすと、長男と次男が揃って顔を出す。リビングにはその二人しかいなくて首を傾げた。おかしい、正月なら仕事や学校がない兄弟もいるはずなのに何故。新年の挨拶もそこそこに雅臣兄さんに促されてソファに腰掛けた。

「今日はね、名前を甘やかそうと思って」
「・・・ちょっと待って。全く話が見えないんだけど」

狼狽える私の横で、右京兄さんがお節の蓋を開ける。え、甘やかすってなに。右京兄さんはともかく、雅臣兄さんはいつも私に甘い。なんだって急にそんなことを、と考えてひとつ思い当たる。祈織の一件でパーティーができなかったことを気にしてくれているのかもしれない。

「実は和眞さんから言われたんだ、名前がひどく落ち込んでるから元気付けてくれないかって」
「貴方が落ち込む理由など、要か私達兄弟のことでしょうから」

父さん・・・確かにあの父は慰め役って感じじゃないしな。予想は当たらずとも遠からず。だけど気遣ってもらう資格はない。私は"姉さん"になりきれなかった。家族ごっこの延長で一番深い傷に触れることを恐れてた。気分が沈んでいる訳を全て話すことはできない。兄弟だからこそ、言えない。

「理由は言えない。でも落ち込んでるのは本当」
「うん、言わなくてもいいよ。だけど、ありがとう」
「・・・何が?」

御礼の意味が分からなくて見つめ返すと、優しい笑顔が見えた。言葉を引き継ぐように右京兄さんが言う。

「皆が貴方を家族のひとりだと思っています。私や雅臣兄さんが知らない所で、弟達を救ってくれているのでしょう。たまには、兄らしいことをと思いまして」

このふたりには10人以上も弟がいることなんて言い訳にならないんだろう。私よりよっぽど考えなくちゃいけないことが多いはずなのに、こんな風に気遣ってくれる。

「右京兄さんが優しいと怖い・・・っ、ねえ私、今から泣くけど、抱き締めないで。要以外の腕の中では泣かないって決めてるの」
「なんですか、その決まりは」

呆れたような右京兄さんの声を合図に、涙が溢れた。声を上げて泣くなんて、みっともないな。

「要の前で泣けないときは、いつでもおいで」

小さな後悔が次々浮かんでくる−−祈織が倒れた日、花見で会ったとき、夏祭りの夜、私はただ見ていただけで。あの夜、迷うあの子を傷つけてしまった−−でも、取り返しがつかないような後悔はない。そう思ったら少し息がしやすくなる。目の前にカップが置かれて顔を上げた。

「ホットミルクです」
「・・・蜂蜜」
「いれてありますよ」

虫歯になるからと時々しか出してもらえなかった、右京兄さん特製のホットミルク。甘みが口一杯に広がって、胸の痞えも流してくれる気がした。小さな後悔を希望に変えられるかは自分次第。そうすれば、今度こそ胸を張って貴方の姉だと言えるかな。

−−−−−

「あ、ふたりとも!こっち!」

見慣れた椿しろくろが歩いてくる。1月中旬のある日、吉祥寺の居酒屋。この時期ふたりは忙しい。それを承知で呼び出したのは諸々の礼と、誕生日を祝うため。

「今日は私が奢るから。でも調子に乗って頼まないでね、特に椿」
「急に呼び出したりして、どうしたの?」
「ホント!幼馴染じゃなかったら絶対来ねえぞ」
「要のことで色々心配かけたからね・・・あと、これ」

小さな包みをそれぞれに渡す。中身は色違いのブレスレット。彼女でもないのに重いかなと思ったけれど、まあひとりに渡すわけじゃないしいいだろう。椿には赤を、梓には青を基調としたものをチョイスした。まるでなんのプレゼントか分かっていなそうだから説明する。

「誕生日!」
「マジかよ!?いつもメールだけじゃんか!」
「いいでしょ別に」

実は変わりつつある彼らへの激励も兼ねている。誰を選ぶのか−−−彼女がどんな選択をするのかは、私や彼らが縛れるものじゃない。昴や侑介には内緒だけど、このふたりには頑張ってほしい。早速包みを開く椿の横で、真意を探るように梓が見つめてくる。

「頑張ってね、応援してるからさ」
「それは心強いね」
「なーなー、棗にも何かやるの?」
「うん、今度会ったとき渡すつもり」
「まさか・・・僕らとお揃いじゃないよね?」

バックの中を探って、細長い箱に入ったネクタイを見せる。社畜の棗にこれは虐めかもしれない。ふたりとも声を上げて笑ってくれたから多分平気だろう。

−−−−−

ボタンを押すだけができない。あのクリスマスイブから要にも、祈織にも連絡できないでいる。ふたりからも電話やメールがくることはなかった。はぁ、と溜息を零して家を出る。雨が降る中、15分の道のりを歩いて向かうのはあの家族が住むマンション。でも、用があるのは要でも祈織でもない彼女。エントランスが見える位置まで来て、声が漏れた。

「棗?」
「・・・ああっ、名前か」
「それ、どうしたの?」

左の口元に小さな傷がある。指を差して聞けば、決まり悪そうに目を逸らされた。どうやら言いたくないらしい。ということは、ぶつけてできた傷じゃないな。

「お前こそ、誰かに用事か?」
「うん、絵麻ちゃんに」

ぴくりと棗の眉が動く。それに少し驚いた。伊達に20年以上幼馴染をやってるわけじゃない。まさか応援したい相手が3人になるとは思ってなかった。指を伸ばして、できたての傷を押す。

「痛え!!」
「オラオラ、負けるな青少年」
「誰が青少年だ!お前だって同じ歳だろうが!」

怒鳴り声を背中に受けながら、マンションに入る。エレベーターに乗って4階のボタンを押す。ほんの少しの時間、目を閉じて考える。

変化は、悪いことじゃない。それでも変化を嫌うのが人間。よく知る幼馴染の、私の知らない部分が増えていく。要のことは全部知っていたいと思う。どんなことも、一番初めに私に言ってほしい。椿達にそんな思いは抱いていないけど、ほんの少しだけ、

「寂しいな・・・」

小さな音を立てて扉が開く。真っ直ぐに部屋の前まで来て、チャイムを鳴らした。暫くして姿を見せた妹が驚いた顔をする。

「名前さん!どうしたんですか?」
「ごめんね、いきなり来ちゃって」
「いえ、全然!あ、中に入ってください」

ドアを開けたときは沈んだ表情をしていたくせに、無理して笑う。ここがグッとくるのかもしれない。

「ああ大丈夫、届け物を渡しに来ただけだから」
「届け物?」
「そう、合格祝い。琉生みたいに服を見立てるのは苦手だからお菓子にしたんだ・・・この店、美味しいしオススメなんだけど学生にはちょっと高いから」

紙袋を掲げると、目をぱちぱちさせて数秒。我に返ったようにパァッと嬉しそうに受け取った。うん、確かにこれは可愛い。手を伸ばして頭を撫でた。誰かが傷つく結果になっても、笑っていられるように。

−−−−−

暦上は春だけど、全然寒い2月末。両手を擦りながら歩く。結局、要と祈織ふたりには私から連絡をすることはやめた。要に対しては、正直まだ怒っている。謝るまでは許してやらない。祈織には会いたい。でもあの子が私に会いたいと思ってくれるまでは待とうと決めた。

「姉さん」

歩き慣れた仕事からの帰り道、はっと足を止める。とうとう幻聴まで聞こえるようになったのかな。顔を上げれば、暗くなりかけた空を背負って立つ影。息を飲んだ。どこかの家の夕食の匂いが鼻をつく。動けずにいる私の方にゆっくりと歩いてくる。

「祈織」

震える指で頬を撫でる−−−あのとき私が傷つけた場所。小さく「ごめんね」と呟けば、祈織はふるふると首を振った。その度に柔らかい髪が揺れる。そうしてやっと身体が動いた。あんなに小さかったのにな、と思いながら背伸びをする。抱き締めてキスを贈った。

「お帰りなさいっ!」
「うん、ただいま。それから・・・ありがとう」
「お姉ちゃんなんだから、当たり前でしょ」
「ふふっ、そうだね」

強がってみせた私を穏やかに見つめる瞳は、以前と同じ色をたたえている。私は少しでも貴方の救いになれたかな。そう聞けばきっと私が望む答えをくれる。でも、聞かなくていいや。

「・・・やるべき事が決まったんだ。一番最初に姉さんに伝えたかった。言ってくれたよね、光の下に導いてくれるって。それなら、どうか幸せでいてほしい。それだけで、僕の歩く道は明るくなるから」
「それって、要の幸せも願ってくれるってこと?」
「そうか・・・盲点だった。それは、少し嫌だな」
「ちょっと!?」

慌てて突っ込めば、愉快そうに微笑む。こんな冗談、昔だって言わなかったのに。じん、と胸が熱くなるのを誤魔化すように私も声を上げて笑う。
やるべき事が何なのかは聞かなかった。必ず戻ってくると、そう祈織は言ったから心配はしていない。私はあの子が願った通りに幸せを掴みに行くだけだ。

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とヒロインの関係が好き