静かな湖の水面は、波と波紋が交錯し夕日を反射させてか細かくきらきらと光っていた。まるで、時間潰しのように池の水面で戯れているようだ。ときおり風がなぎ渡り、水面に光のひだを走らせている。心地よい、そういわざるを得ない場所だ。そこで世界をぶち壊すような場違いの叫び声が響く。
「はぁぁぁぁぁぁぁ?!?!?ちょっと!!!どういうことだい!?!?え?ふょーーーどる!君ねぇ!いい加減なこと...を、言うような人間ではないことは分かるんだ、ということは私を動揺させるため...いや、違う!今の君の言葉は素直そのものだった!!ということは嘘じゃないのだろう!?は?ちょっと先輩どういうことだい?!?!というか君達どういう関係だったのさ?!?!え?!?!?!!!!!!兎も角フョードル!君はさっさと先輩から離れたまえ!!!」
「うるさいですよ太宰君」
憤慨している太宰君に対し、フョードルはテラス席に座って優雅に紅茶を飲んでいる。長い足を組み替えると一蹴した。
「貴方こそ私たちの逢瀬を邪魔して何なんです?」
「逢瀬えぇぇ!?」
「ええ、太宰君は知らなくても無理はないですが私と彼女は深い関係です。ねぇ?」
「やめろややこしくなる」
ねぇ?じゃないんだよ。じとりとフョードルを睨む。余計なことを
脳内に響く「知っている」声。声の主が瞳を閉じながら優雅にチェロを嗜んでいる姿が脳裏に浮かぶ。ステンドグラスが鮮やかに光る部屋で、外からの光を遮断し、あたかも世界に自分しかいないような雰囲気を纏わせて、静かに楽器を鳴らしているのだろう。演奏に集中しているようで、実際は脳内で私に語りかけてきている。器用なことだ。
しかし、こちらの事情をお構いなしに語りかけてくるのは辞めていただきたい。せめて、すみませんいいですか、くらい前置きしろ。と言いたいのを堪えて彼の思考を読む。いきなり場所と日時、とくればこれば呼び出しだろう。
「せんぱい!しんちゅう!しよぅよぉー!場所はどこがいいかな!綺麗な夕日が見えるところかなぁ!」
脳内で語りかけられている間もこちら側では別の会話が続いていた。先程から太宰くんは私にずっと心中アピールをしている。目を輝かせている太宰くんの横で呆れたように溜め息を付いている敦くんが、ふとこちらを見た。
「にしても先輩が、太宰さんの先輩にあたる方だとは思いませんでした。世の中って案外狭いんですかねぇ」
「何を言うか敦くん!世の中が狭いのではなく、私と先輩が巡り合えたのが運命的なのだよ!そして心中する運命なのだよ!」
「いや心中はしないけど」
「先輩は私がどこで誰と心中しようとも構わないのかい!?!?」
「うん」
「いやうんってそこは否定してほしかった...」
しかし世の中って
彼と私は脳内でこうして会話ができるのだ。相手の脳に関与できるであろう彼の異能と私の実態がないものでも盗める異能がかけ合わさった時に発生した特異点。これが互いの声を脳で聞き取れるという奇妙なものだった。私の異能力はアルセーヌルパン、普段は誰にでも返送できる能力ということにしているが、実態は何でも盗める能力だ。意識を切り取っているのか空間を切り取っているのか定かではないが、彼と意思疎通ができる状態になって数年経つ。意味が分からん、と当時は思ったが考えるだけ無駄なので考えることは早々に辞めた。
【貴方は私を何だと思っているのかな】
【パートナー、恋人、相棒、敵手....を表すパルトニョールシャ、でしょうか】
【言い方がずるいなぁ】
そんなこんなで探偵社という場所でまたもや先輩後輩となった私と太宰くんに与えられた任務が、フョードルの件だった。ここでやっと冒頭に戻るわけである。何を考えているのか太宰くんは一人でどこかへ行ってしまったので、今は一人で空を見上げながら物思いに耽っているわけだ。
色々と思い出しながら一人目的地に到着しあたり一面を見渡す。静かな湖の水面は、波と波紋が交錯し夕日を反射させてか細かくきらきらと光っていた。まるで、時間潰しのように池の水面で戯れているようだ。ときおり風がなぎ渡り、水面に光のひだを走らせている。心地よい、そういわざるを得ない場所だ。そこで、静かにゆったりとした私以外の足音が聞こえる。思考を切り替えるように小さく息を吐く。
「ああ、やはり貴方は来てくれました」
「........パルトニョールシャなのでね」
「......敵手、と言わないのですね」
やがてゆったりとした足音が止まる。ファーのついた黒いコートに白いロシアのファーハット、黒い髪に紫の瞳。それらを合わせ持つ人など私は一人しか知らない。振り向かずとも分かる。彼が今、私を見ている。彼が一歩こちらに近づく気配がした。ゆっくりと振り返って彼を見れば、やや肌寒い風に髪を揺らす彼は意外なほどに穏やかな表情でこちらを見つめていた。
「貴方がそう言わないのなら、私からは言わないよ」
「それは、お互いに並行世界の記憶があるからです?」
「そうだね、困ったことに記憶は増えていくし、謎は深まるばかりだ」
私には秘密がある。別にやましいことではないが、言っても信じてもらえないだろうし、言ったところで何かが変わるわけでもないので特段誰かに言う気もなければ必要性も感じなかった。ただ、一人で抱えるにはいささか大きすぎる秘密と言えなくもない。その秘密とは、「あるはずのない世界の記憶がある」ということだ。どうやら並行世界のものらしい。
その世界は太宰くんがポートマフィアのボスになり、敦くんがポートマフィアに所属していた。芥川くんは武装探偵社にいて、妹を探していた、そんな世界線だった。それだけでも頭を抱えたいのだが、最大の問題はーーー、
「僕と貴方が並行世界で夫婦関係だったことが、そんなに謎ですか?」
これだ。
何やら私はフョードルの妻であったのだ。
「今世紀最大の謎だよね」
「....では、その今世紀最大の謎を是非解いてください、貴方今は探偵社にいる探偵なんですから」
フョードル・ドストエフスキー。私の脳は「妻だった」という記憶のみが強く焼き付いており、どういった感情が働いていたのかが面白いくらいに一切合切消えているのだ。だが、度々燈画を見せられているように「あったはず」の情景が私の脳裡を去来し記憶だけがまるで経験したかのように蓄積されていく。この現象がなんなのか、この記憶は一体どこから来ているのか、異能力と関係があるのか。それを探るために役立ちそうな情報がないかポートマフィアでも探していたのだが並行世界がある、書いたことが現実になる本があるということしか分からなかった。だから結局は、こうやって直接本人と邂逅しているわけだ。だがやはり謎は深まるばかりで解明しそうにない。
「謎を解いてほしいのか?」
「えぇ」
「何故?」
「謎を解けば即ち私達はまた夫婦になると思いませんか?」
その瞬間、ふわりと風を感じたと同時に優しくて穏やかで驚くほど柔らかな唇の感触がした。長めの黒い前髪が私の前髪と重なり、愛でるように直接手のひらで頬を撫でられ、もう一度、今度は唇が触れるか触れないかのところでぴたりと彼の動きが止まる。時間にして数秒の出来事のはずが全てがスローモーションに移り、映画か何かを見ているのだと脳が錯覚を起こす。しかし、目の前の彼がそれを見過ごすはずがなく。
「ほら、謎解きをしてください」
その声だけが静寂の中を漂った。ぴくりと無意識に動いた私の指に彼のひんやりとした指がゆっくりと絡む。再び唇が合わさって、過ぎていく時を防ぐように重ねられた唇は離れなかった。そこでようやく事態を理解する。その瞬間異能力で逃げ出そうとした私に気付いたフョードルが、下唇に噛みついた。
「冒険が好きだと言って、するりと手を抜けていく、そうして臆することなく大胆不敵に世界を飛び回り、人々を翻弄しては鮮やかな軌跡を残していく。それを無意識に追ってしまう人も多かった。良くも悪くも周りを魅了していく天性の人たらし、それが貴方の生き方です」
「痛い」
「それはすみません、でも貴方逃げようとしたでしょう」
彼の赤紫の瞳が深く澄み渡っている。透き通っていながらも、底が見えないくらい深い泉のようだ。覗き込めば吸い込まれてしまいそうな宝石のように艶やかな光を灯している。フョードルは知的な皮肉を含んだ抑制された笑みを唇の端に浮かべた。
「貴方の弱点は、これです」
「?」
「可愛がられることに耐性がない」
方や赤紫の瞳をゆっくりと開き、やがて浮び始めた残虐な微笑は、いつのまにか夕焼けが闇に変わり静まった夜の中を毒汁のように流れた。一方で、猜疑心を滲ませながらも探るようにじっと眺める鳶色の瞳は、いくらか悪魔的にも見える強い光を放っていた。面倒にしかならないであろうことを予見させる彼らの表情に、明後日の方向に飛ばしたくなる思考をなんとか繋ぎとめこの場から一人脱出する方法を考え、閃いた方法で一人脱出をした。言い忘れていたが私の異能力はアルセーヌルパン、何でも盗めるといものだ、つまり空間を切り取って盗むこともできる。脱出はお手の物ということだ。こんなことに役立つとは思わなかったが。
。
「似合う?」
「全く」
「あっそう。じゃ返すよ」
「貴方の先輩である彼女はとても似合っていましたが」
「ふぅん、そうか....は?」
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