パウダールームでさっとルージュを直し、少し崩れてしまった髪を耳に掛け、ふぅ。と、息を吐く。こういうお堅い場所は嫌いだ。リザが休暇さえ取っていなければ間違いなく交代してもらっていたと言うのに。

「やぁ、今晩は」

重たい足取りでトイレを出てさっそくエンカウントしたのは、ブロンドの髪に琥珀の瞳、グレンチェックのダブルスーツを着こなした若い男の姿で。その顔を見るなり、思わず「ワーオ・・・」と驚きの声が漏れてしまった。

本日のターゲットとしてロイから見せられていた写真の顔と全く同じ。本パーティーの潜入の目的は、主催者の実業家とその息子とのコンタクト。これはもう、達成したも同然だ。

「いやぁ・・・本当にお綺麗ですね」
「よく言われます」
「ハハハ、強かなところも素敵だ」

このやり取り、どことなくあの男と似ている。色男は皆揃ってこういう性格なのだろうか。
あれこれ言ってなかなか通路を退こうとしない男を前に、ロイとの合流は諦める他なさそうだ。

「宜しければモデルになって頂けませんか?」
「・・・えっ、モデル?」
「そう。こう見えて僕、写真家で。貴女ほど魅力的な女性は見た事ない──出来れば今夜にでもお撮りしたいくらい。」

胸ポケットから差し出された名刺にはプライベート用と思われる連絡先が書かれていて、充分過ぎる収穫とコテコテの口説き文句に思わず嘲笑が零れる。

「ヌードはお断り致します。」
「それは残念。でもそう言って連絡して来る人もいますから──これは持ってて」

名刺を握らせるように私の掌を両手で包んだ彼と見つめ合う格好になった瞬間、肩を後ろにグッと引かれ、バランスを崩した背中は誰かの胸に抱き止められた。

「お話中失礼。ちょっと妻と話がありますので。」



車に着くなり屋敷から死角になる助手席側のドアに押し付けられ、抗議の暇もなく口が塞がれた。隙間からすぐに捩じ込まれた舌に思わず「んっ・・・」と声が漏れる。
息を吸うのも忘れるくらい、吐息混じりの深いキスが繰り返され、頭がくらくらしてきたところでようやく彼の腕から開放された。

「用は済んだ、帰るぞ」

どうやら例の名刺を私に預ける気は無いらしい。クシャクシャに握り潰すとゴミみたいに雑にポケットに突っ込み、運転席に乗り込む。

これは、近年稀に見る憤慨ぶりだ。

私があのナルシストの極みたいな男と一夜を共にすると本気で思っているのだろうか。何となく胸にわだかまりを残したまま助手席に乗り込み、シートベルトに手を掛けようとしたとき。ふと、手に当たるビニールの感触。

危ない、すっかり忘れるところだった。

「ロイ」
「・・・・・」
「ロイ、拗ねないでよ」

拗ねてない、とキーを回しながらこちらを向いた彼の鼻先に、青と白のコントラストが美しいヒヤシンスの小さなブーケを突き付けてやる。

「ハッピーバレンタイン」

すると、先程まで眉間に深い深い皺を寄せていた彼の目がまん丸く見開かれて。花束と私を交互に見て、言葉を探しているようだ。
いつも彼が使う花屋のお姉さんにかなり強引に勧められ渋々買ったやつだが、こういう顔を見せてくれるならたまには贈り物もいいかもしれない。女性のご機嫌取りにプレゼントをする男の気持ちがよくわかる気がした。

「びっくりした?」
「今、どこから・・・」
「うーん、内緒?」
「──フッ、君らしいな」

ブーケを受け取るなりそれを丁寧な手つきで自分の膝に置くと、私の後頭部に手を回しグッと強引に引き寄せられた。
再び重ねられた唇にわずかに瞼を開くと、艶っぽい表情で同じ様に薄目で私を見つめていたロイ。反応を見られていたかと思うとちょっと恥ずかしくなり顔を逸らそうとするも、追うようにキスされて、髪をクシャリと雑に撫でる感触に身体の力が抜ける。

「あまり気安く私以外の男に触られるなよ」

とか、嬉しそうな顔して言うとまた何度目かのキスが降って来た。いつもする私の気持ちを探るようなものではなく、気持ちを押し付けられているようなキスが、何故か心地良かった。


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